②の続きです。
『あっ!あれ見て…!』
と、神社で驚いた様子で何かを見つけた主人。
指差した方向を見てみると、公園の柵に看板がありました。
その看板に描かれているキャラクターを見て、私もとても驚きました!
柵には『あぶないよ』と書いてある看板が…↑
『えっ!クリちゃん?!あれってクリちゃんだよね?!』
思わず大きな声を出して主人に聞きました。
近づいて、改めてじっくり見てみると、やっぱり看板のキャラクターは『クリちゃん』でした。
主人と私がこんなに驚いたのには訳がありました。
この『クリちゃん』というキャラクターを描いた人を、私たちはとてもよく知っていたからです。
実は私は今から19年前、22歳~24歳の2年間、ホームヘルパーをしていたことがありました。
その時に初めて担当したのがN本さんという男性。
N本さんは漫画家さんで、1952年~1965年、朝日新聞で『クリちゃん』という四コマ漫画を描かれていました。
私がホームヘルパーとして伺ったときは、すでに高齢になられていて1人暮らしをされていました。
足が悪く、物忘れもひどくなってきていたことをご家族の方が心配し、私は週3回、N本さんのお宅へお掃除と3食のお食事を作りに行っていたのです。
N本さんはとても穏やかな方でした。
いつもにっこりと笑いかけてくれて、
『いらっしゃい。いつもきれいにしてくれて。どうもありがとう。』
と、声をかけて下さいました。
時々、自分が描かれていた原稿を見せてくださったり、単行本を頂いたこともありました。
↑N本さんから頂いた単行本。
私が主人と結婚したことを伝えたときには、
『じゃあ、お祝いに今度ご主人も一緒に銀座にお食事に行きましょう。
とても美味しい鰻のお店があるので、ご馳走しますよ。』
と、銀座の『竹葉亭』というお店に連れて行って下さったこともありました。
私は24歳の時に長男を妊娠し、つわりがひどくなったので、一旦ヘルパーをお休みすることになりました。
その半年後、N本さんが亡くなられたことを聞いて、とてもショックでした…
N本さんとの思い出は今でも私の中の宝物になっていたので、
この日、神社の公園で『クリちゃん』に出会えたこと、とても奇跡的なことに思いました。
ここに移り住んでから18年。
今まで何度も来ていた神社だったのに、葉っぱに隠れていて看板に気が付かなかったのです。
主人が、
『きっとN本さんも自分のことを心配してここまで来てくれたんじゃないかな。』
と言ったので、私はまた感動して涙が次から次へと溢れてしまいました。
(N本さん、心配してくれてありがとう…)
何度も心の中でN本さんに語りかけました。
この日は本当は午後から心療内科を受診する予定でしたが、
主人の優しさ、
神社の清らかな空気、
そして、N本さんの『クリちゃん』に出会えたことで、私の心もすっかり落ち着きを取り戻すことができました。
この日のことは、きっとこれから一生忘れないと思います。
PTA本部とのやりとりはまだまだ続くし、また悩み苦しむこともあるかもしれないけれど、そんな時こそ一旦立ち止まり、自分の心と相手の心ができるだけ良い関係を保てるように、受け流しながらやっていきたいと思います😊
19年前。N本さんと銀座の三越前にて…
N本さん、天国から見守っていてくださいね😊
『あっ!あれ見て…!』
と、神社で驚いた様子で何かを見つけた主人。
指差した方向を見てみると、公園の柵に看板がありました。
その看板に描かれているキャラクターを見て、私もとても驚きました!
柵には『あぶないよ』と書いてある看板が…↑
『えっ!クリちゃん?!あれってクリちゃんだよね?!』
思わず大きな声を出して主人に聞きました。
近づいて、改めてじっくり見てみると、やっぱり看板のキャラクターは『クリちゃん』でした。
主人と私がこんなに驚いたのには訳がありました。
この『クリちゃん』というキャラクターを描いた人を、私たちはとてもよく知っていたからです。
実は私は今から19年前、22歳~24歳の2年間、ホームヘルパーをしていたことがありました。
その時に初めて担当したのがN本さんという男性。
N本さんは漫画家さんで、1952年~1965年、朝日新聞で『クリちゃん』という四コマ漫画を描かれていました。
私がホームヘルパーとして伺ったときは、すでに高齢になられていて1人暮らしをされていました。
足が悪く、物忘れもひどくなってきていたことをご家族の方が心配し、私は週3回、N本さんのお宅へお掃除と3食のお食事を作りに行っていたのです。
N本さんはとても穏やかな方でした。
いつもにっこりと笑いかけてくれて、
『いらっしゃい。いつもきれいにしてくれて。どうもありがとう。』
と、声をかけて下さいました。
時々、自分が描かれていた原稿を見せてくださったり、単行本を頂いたこともありました。
↑N本さんから頂いた単行本。
私が主人と結婚したことを伝えたときには、
『じゃあ、お祝いに今度ご主人も一緒に銀座にお食事に行きましょう。
とても美味しい鰻のお店があるので、ご馳走しますよ。』
と、銀座の『竹葉亭』というお店に連れて行って下さったこともありました。
私は24歳の時に長男を妊娠し、つわりがひどくなったので、一旦ヘルパーをお休みすることになりました。
その半年後、N本さんが亡くなられたことを聞いて、とてもショックでした…
N本さんとの思い出は今でも私の中の宝物になっていたので、
この日、神社の公園で『クリちゃん』に出会えたこと、とても奇跡的なことに思いました。
ここに移り住んでから18年。
今まで何度も来ていた神社だったのに、葉っぱに隠れていて看板に気が付かなかったのです。
主人が、
『きっとN本さんも自分のことを心配してここまで来てくれたんじゃないかな。』
と言ったので、私はまた感動して涙が次から次へと溢れてしまいました。
(N本さん、心配してくれてありがとう…)
何度も心の中でN本さんに語りかけました。
この日は本当は午後から心療内科を受診する予定でしたが、
主人の優しさ、
神社の清らかな空気、
そして、N本さんの『クリちゃん』に出会えたことで、私の心もすっかり落ち着きを取り戻すことができました。
この日のことは、きっとこれから一生忘れないと思います。
PTA本部とのやりとりはまだまだ続くし、また悩み苦しむこともあるかもしれないけれど、そんな時こそ一旦立ち止まり、自分の心と相手の心ができるだけ良い関係を保てるように、受け流しながらやっていきたいと思います😊
19年前。N本さんと銀座の三越前にて…
N本さん、天国から見守っていてくださいね😊