長かった夏休みも残り4日になりました☺
子ども達の宿題もラストスパートに突入です😁💦
一昨日の日曜日。
三男の自由研究がようやく完成しました…!
今回のテーマは…
『ひいおじいさんと戦争』
模造紙に清書する三男。
『ひいおじいさん』とは、私の父方の祖父のことです。
祖父は若い頃に戦争を経験し、大変な苦労をしたと私も子どもの頃に父からよく聞かされていました。
でも、その詳しい内容については、よく知りませんでした。
⚫海外へ出征し、何年も日本に帰って来れなかったこと。
⚫マラリアになり、高熱が続いて死にそうになったけれど、たまたまお医者さんが現場を通りかかり、注射をしてくれて一命を取り止めたこと。
⚫捕虜になり、一欠片の生のジャガイモがご馳走だったときもあったこと。
教えてもらったのは断片的なことだけ…
でも、それだけでも今からでは想像もできないくらい、過酷な環境だったことがわかります。
実は私の父も、その断片的な情報しか知らなかったそうです。
祖父は真面目でとても厳しく、父にとっては幼い頃から近寄りがたい存在だったそうです。
ふざけたり笑い声を上げたりすることも許されなかったとか…
祖父は昔から自分の戦争体験について詳しく語ることはなく、父も怖くてあまり深く聞くことは出来なかったと言っていました。
おそらく、あまりにも壮絶な体験だったので、口にしたくなかったのかもしれません…
祖父母は熊本県の阿蘇市に住んでいたので、私が祖父に会えるのは、小さい頃から夏休みと冬休みの年に2回だけ。
確かに厳しい印象だったけれど、孫にはとても優しくて、よく
『これでお菓子でも買ってきなさい』
と、お小遣いをくれたりしました☺
戦争についての話も聞くことはありませんでしたが、晩年、ポツリポツリと語ってくれることもありました。
『鉄砲の玉が飛んできて、頭のすぐ上をかすったこともあったよ。
戦闘機の爆弾を避けるために、ジグザグに走って逃げたりしたんだよ。』
本当に生きるか死ぬかの毎日で、日本に生還できたことも奇跡的だったそうです。
祖父は今から19年前、1999年の1月に89歳で亡くなりました。
そして、祖父の死から数年後…
うちの母が祖父の遺品を整理していたとき、戸棚の奥からあるものを見付けました。
それは、
祖父が戦争で海外へ出征中に、祖母へと宛てたハガキでした。
裏面には達筆な文字で、現地の様子や祖母と幼い娘(父の姉)のことを案じている内容がビッシリ書いてありました。
その数、何と83通…!!
(こんな貴重なものが、1枚1枚綺麗に残されていたなんて…)
私もとてもビックリしたことを覚えています。
更に数年後。
私と結婚後にこの事を知った主人。
主人は元々歴史、特に人物史が大好きな人なので、
祖父の戦争体験、戦時中に祖父が祖母へ宛てたハガキについて、とても興味深く感じたそうです。
そして、自分の子ども達が6年生になったら、夏休みの自由研究は祖父の戦争体験をテーマにしたいと言っていました。
何故6年生かというと、
6年生になると授業で歴史を習うので、戦争についての理解もあること、
そして、血の繋がったひいおじいさんの戦争体験を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さについてしっかり学んでもらいたいと、思ったからだそうです。
なので、長男、次男が6年生の時も、夏休みの自由研究は祖父の戦争体験についてでした。
今回の三男で、このテーマについて調べるのは三度目になるのです。
とはいうものの、祖父の戦争体験については、私も父も、伯母たち(父の姉と妹)も、断片的な事しか知らなかったので、主人と子どもたちがどのようにこのテーマについて調べるのか、とても疑問に感じていました。
そこで登場するのが、あのハガキです。
主人は、このハガキの差出人の所に書いてあった部隊名に着目しました。
『泰派遣岡第五八二一部隊(➖)』
ここから独自に詳しく調べ、
祖父が戦争中に、タイで『泰緬(たいめん)鉄道』という線路を作っていたことが分かったのです。
(ここまで分かるのに、3ヶ月くらいかかったそうです。)
主人がネットで取り寄せた本。
この本がとても参考になったと言っていました。
まさか、あのハガキの部隊名からそこまで詳しい事が分かるなんて…
父も伯母たちもその事実を初めて知ったので、本当に驚いていました。
その事実を元に、長男、次男、今年6年生の三男は、主人と一緒に祖父の戦争体験について詳しく学んだのでした。
そして、今回出来上がった作品がこちらです。
仏印→ベトナム
馬来→マレーシア
泰→タイ
泰緬鉄道の総距離は東京から岐阜までの距離と変わらないそうです。
靖国神社の中にある『遊就館』では、実際に泰緬鉄道を走っていた列車を見たり、戦争の悲惨さを写真や資料を通して沢山知ることが出来たそうです。
この自由研究を通して、私自身祖父について全く知らなかった真実を知ることができました。
同時に、70年以上も続くこの平和は、多くの尊い犠牲の上で成り立っていることを、私も子どもたちも決して忘れてはならないと、改めて思いました。
主人、三男、本当にお疲れさまでした。
そして、おじいちゃん。
あの壮絶な状況の中を生き抜いて、
無事におばあちゃんの元に帰ってきてくれて、本当にありがとう…
子ども達の宿題もラストスパートに突入です😁💦
一昨日の日曜日。
三男の自由研究がようやく完成しました…!
今回のテーマは…
『ひいおじいさんと戦争』
模造紙に清書する三男。
『ひいおじいさん』とは、私の父方の祖父のことです。
祖父は若い頃に戦争を経験し、大変な苦労をしたと私も子どもの頃に父からよく聞かされていました。
でも、その詳しい内容については、よく知りませんでした。
⚫海外へ出征し、何年も日本に帰って来れなかったこと。
⚫マラリアになり、高熱が続いて死にそうになったけれど、たまたまお医者さんが現場を通りかかり、注射をしてくれて一命を取り止めたこと。
⚫捕虜になり、一欠片の生のジャガイモがご馳走だったときもあったこと。
教えてもらったのは断片的なことだけ…
でも、それだけでも今からでは想像もできないくらい、過酷な環境だったことがわかります。
実は私の父も、その断片的な情報しか知らなかったそうです。
祖父は真面目でとても厳しく、父にとっては幼い頃から近寄りがたい存在だったそうです。
ふざけたり笑い声を上げたりすることも許されなかったとか…
祖父は昔から自分の戦争体験について詳しく語ることはなく、父も怖くてあまり深く聞くことは出来なかったと言っていました。
おそらく、あまりにも壮絶な体験だったので、口にしたくなかったのかもしれません…
祖父母は熊本県の阿蘇市に住んでいたので、私が祖父に会えるのは、小さい頃から夏休みと冬休みの年に2回だけ。
確かに厳しい印象だったけれど、孫にはとても優しくて、よく
『これでお菓子でも買ってきなさい』
と、お小遣いをくれたりしました☺
戦争についての話も聞くことはありませんでしたが、晩年、ポツリポツリと語ってくれることもありました。
『鉄砲の玉が飛んできて、頭のすぐ上をかすったこともあったよ。
戦闘機の爆弾を避けるために、ジグザグに走って逃げたりしたんだよ。』
本当に生きるか死ぬかの毎日で、日本に生還できたことも奇跡的だったそうです。
祖父は今から19年前、1999年の1月に89歳で亡くなりました。
そして、祖父の死から数年後…
うちの母が祖父の遺品を整理していたとき、戸棚の奥からあるものを見付けました。
それは、
祖父が戦争で海外へ出征中に、祖母へと宛てたハガキでした。
裏面には達筆な文字で、現地の様子や祖母と幼い娘(父の姉)のことを案じている内容がビッシリ書いてありました。
その数、何と83通…!!
(こんな貴重なものが、1枚1枚綺麗に残されていたなんて…)
私もとてもビックリしたことを覚えています。
更に数年後。
私と結婚後にこの事を知った主人。
主人は元々歴史、特に人物史が大好きな人なので、
祖父の戦争体験、戦時中に祖父が祖母へ宛てたハガキについて、とても興味深く感じたそうです。
そして、自分の子ども達が6年生になったら、夏休みの自由研究は祖父の戦争体験をテーマにしたいと言っていました。
何故6年生かというと、
6年生になると授業で歴史を習うので、戦争についての理解もあること、
そして、血の繋がったひいおじいさんの戦争体験を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さについてしっかり学んでもらいたいと、思ったからだそうです。
なので、長男、次男が6年生の時も、夏休みの自由研究は祖父の戦争体験についてでした。
今回の三男で、このテーマについて調べるのは三度目になるのです。
とはいうものの、祖父の戦争体験については、私も父も、伯母たち(父の姉と妹)も、断片的な事しか知らなかったので、主人と子どもたちがどのようにこのテーマについて調べるのか、とても疑問に感じていました。
そこで登場するのが、あのハガキです。
主人は、このハガキの差出人の所に書いてあった部隊名に着目しました。
『泰派遣岡第五八二一部隊(➖)』
ここから独自に詳しく調べ、
祖父が戦争中に、タイで『泰緬(たいめん)鉄道』という線路を作っていたことが分かったのです。
(ここまで分かるのに、3ヶ月くらいかかったそうです。)
主人がネットで取り寄せた本。
この本がとても参考になったと言っていました。
まさか、あのハガキの部隊名からそこまで詳しい事が分かるなんて…
父も伯母たちもその事実を初めて知ったので、本当に驚いていました。
その事実を元に、長男、次男、今年6年生の三男は、主人と一緒に祖父の戦争体験について詳しく学んだのでした。
そして、今回出来上がった作品がこちらです。
仏印→ベトナム
馬来→マレーシア
泰→タイ
泰緬鉄道の総距離は東京から岐阜までの距離と変わらないそうです。
靖国神社の中にある『遊就館』では、実際に泰緬鉄道を走っていた列車を見たり、戦争の悲惨さを写真や資料を通して沢山知ることが出来たそうです。
この自由研究を通して、私自身祖父について全く知らなかった真実を知ることができました。
同時に、70年以上も続くこの平和は、多くの尊い犠牲の上で成り立っていることを、私も子どもたちも決して忘れてはならないと、改めて思いました。
主人、三男、本当にお疲れさまでした。
そして、おじいちゃん。
あの壮絶な状況の中を生き抜いて、
無事におばあちゃんの元に帰ってきてくれて、本当にありがとう…