頂き物です
ありがとうございます
長い付き合いのRくんが先日パパになった
そして昨日
可愛いべビちゃんガールを連れて挨拶に来てくれた
そのべビちゃんガールと遊んでる時にふと思った
仕事柄、私は1日に何回もありがとう
の言葉をもらっている
ありがとうって言葉をもらう度に
見えないけどキラキラしたエネルギーを一杯
振りかけてもらっているのではないだろうかと
だってそこには穏やかな気持ちと笑顔があるから
そのキラキラしたエネルギーが
私を元気にしてくれているのではないか
うんそうだ
きっとそうに違いない
逆に私がありがとうなのだと
昨日の朝
携帯の地震警報の大きな音が鳴った時
それと同時に揺れが始まり、どうなるのかと
不安な気持ちで、ただじっと待つしかない状態
地震とほぼ同時に警報が鳴った所で
逃げる時間など、とても無い
むしろ音に驚いて最初から構えてしまう
もしも音が無かったら夢うつつで
半分位の怖さで済むのではないのだろうか
べビちゃんガールも携帯の警報の音に
驚いてギャン泣きだったらしい・・
わかるわ~
この警報は、私にはいらないわ、、
反面
地震から5分とか6分程で、ソウルにいる
長男ボーイから「大丈夫か?」とカカオが入り
「なんで知ってるん!!」とリアルタイムに
話が出来た事は携帯があればこその安心である
でもこれも無事だったがゆえの安心であって
結局自然の力には人は本当に無力である
だからせめてありがとうと言う
キラキラしたエネルギーをたくさん振りまけば
地球も喜びに溢れるのではないかと思った
大きな被害がなくてありがとう
心配メールをくれた人達ありがとう
今この時にありがとう
お先にどうぞと道を譲って生まれるありがとう
今日出会うすべての皆様にありがとう
ここに遊びに来てくれてる皆様にありがとう
ありがとうは惜しみなく使う言葉だと
改めて色々と考えさせられた地震だった