私は、10年前にある病気になりました。病名と生存率の告知を受けたのは、りさが1才10ヶ月になる前でした。
先生から病名を聞いた後は、頭が真っ白になり、ボッ~としていたと思います。
考えていたことは、5年生存したとして、りさは6才で小学1年生、10年生存したとしても、りさはまだ11才で小学6年生なんだということだけでした。
母親って不思議ですね~
こんな時、自分の年齢は考えないんですから…
それに、ただボッ~としていて、涙もでませんでした。
それから、彼女にとって母親は、居て当たり前の存在ではなく、もしかして居なくなる存在かもしれないと感じさせてしまったようです。
入院中・検査のたびに、実家にりさを預けていましたが、泣いて大変でした。
今、私は、元気にしていて、病気のことはもう忘れてしまいました。
ですが、その当時は、とても不安で、同時に、健康で毎日おいしくご飯が食べられることは、なんて幸せなことなんだろうと思っていました。
でも、人ってすぐに忘れるんですよね~
病気に対する不安が小さくなるにつれ、日々の生活を幸せだと感じることがなく、当たり前だと感じてしまいます。
りさのことも、彼女が健康で、毎日笑顔で過ごしてくれれば幸せなのに、ついついないものねだりしてしまうんですよね~
健康で、毎日おいしくご飯が食べられること、それが、幸せです
先生から病名を聞いた後は、頭が真っ白になり、ボッ~としていたと思います。
考えていたことは、5年生存したとして、りさは6才で小学1年生、10年生存したとしても、りさはまだ11才で小学6年生なんだということだけでした。
母親って不思議ですね~
こんな時、自分の年齢は考えないんですから…

それに、ただボッ~としていて、涙もでませんでした。
それから、彼女にとって母親は、居て当たり前の存在ではなく、もしかして居なくなる存在かもしれないと感じさせてしまったようです。
入院中・検査のたびに、実家にりさを預けていましたが、泣いて大変でした。
今、私は、元気にしていて、病気のことはもう忘れてしまいました。
ですが、その当時は、とても不安で、同時に、健康で毎日おいしくご飯が食べられることは、なんて幸せなことなんだろうと思っていました。
でも、人ってすぐに忘れるんですよね~

病気に対する不安が小さくなるにつれ、日々の生活を幸せだと感じることがなく、当たり前だと感じてしまいます。
りさのことも、彼女が健康で、毎日笑顔で過ごしてくれれば幸せなのに、ついついないものねだりしてしまうんですよね~

健康で、毎日おいしくご飯が食べられること、それが、幸せです
