りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




かつての中野は醸造業が重要な地場産業でした。

 

 青梅街道方面は、中央線が通るまでは、中野の中心部。青梅街道方面に足を進めます。冒頭画像は、途中あったみずき公園です。写真左側のスロープの先は、自転車置き場のようになっており、バイクが止めてありました。

 青梅街道に出て、見出し画像は、あぶまた味噌。以前、ナマムスが江戸甘味噌を買ってきたところで、明治18年創業。江戸から伝わるとろりとした独特の甘みが特徴とのこと。

 青梅街道から少し戻って、妙徳稲荷。江戸時代は、名主の家の東北に所在したとのこと。

 このあたりがまさに中野の中心地だったのですね。

 中野駅は明治22年(紀元2549キリスト暦1889)開業。それに対して、中野坂上は、昭和36年(紀元2621キリスト暦1961)。その差72年の間に、地域の状況は随分と変化していったということでしょうか。

 妙徳稲荷のそばには、本町通り公園がありました。

 ちなみに、中野本町というのは、青梅街道の南側のエリア。北側は中央です。町名にもかつての状況が反映しているような。

 その場所から宝仙寺方面に少し歩いたところにあるのが、やままさ醤油醸造所のレンガ塀です。

 建造は、明治32年と推定されているそうで、石灰やつのまた、砂などで固める伝統の漆喰壁の技術とフランス積みという言われるレンガ積み工法で作られているそうです。

 中野区歴史民俗資料館の土地等を寄付された方も、醤油製造をなさっていたとも聞きましたが。

 醸造業の歴史の記憶が残されています。

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