予讃本線といえば、海岸寺でもそうだったが、瀬戸内海を
バックに撮影するのが定石となっていた。
海岸時もいいが、やはり当時の定番は、伊予北条~浅海のみかん畑
から瀬戸内海をバックに撮影するのが有名であった。
松山でマルヨしたのも翌日はここに行きたかったからであろう。
今更ではあるが、当時の撮影では、標準からせいぜい135mmぐらいで
撮影するのが当時の私のスタイルで、学生故、望遠レンズなどは
夢でしかなかったし、多分もっていても撮影方法に苦慮したので
はないかと思う。それ故、周囲の景色も入りいまでは考えられない
作風が多いが、今となっては超望で車両主体で撮影していたら
四国の風景も見返すことができなかったであろう。
それはそれで当時は分相応?でよかったかもしれない。
さて、この撮影地は駅から相当遠く大きな荷物をもって
歩くには半端ないしんどさだったような気がする。
行きか帰りにタクシーかバスを使ったような気がするが
まったく覚えていない。それ故、ほぼ一日この場所で
この日は終えている。
天気もよかったのが幸いしたが、今のようにコンビにもない
から食料はどうやって調達したのかもわからない。
すくなくとも真夏の四国だから30度はあったに違いない。
若い事がすべてを乗り越えさせたことだった。
今では、そんな炎天下で10分すら待つことも出来ない
だろう。今でもここは撮影できるだろうか。
木々が生い茂っていてもう撮影できなくなっているかも
しれない。
26号機以外釜番号がはっきりしないので一括UP。左向きが下りです。
データとしては
183レ DF5060
128レ DF5065
1122レDF5050
625レ DF5033
176レ DF5026
171レ DF5062
1124レ DF5059
すべて、予讃本線 伊予北条~浅海 1981年8月20日
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