定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅50/スワード(アラスカ)

2008年11月03日 | 思い出の旅行
アラスカ(スワード)編その1
 氷河と鯨とラッコを堪能させてくれたトパーズ号は独立記念日の7月4日午前7時前にスワード港に到着。スワードはアラスカをロシアからただ同然で購入したお国務長官の名前にちなんでつけられた町の名前である。
 港はフィヨルドの奥まったところにあり波も風もなく穏やかである。氷河に削り取られた平地を山々が取り囲んでいる。山のふもとは緑になっているが山頂には雪がまだらに残る。雲の切れ目からは遠く真っ白な氷河が見える。
 スワードは漁業と観光を主な産業とするわずか人口3000人の小さな町である。船からは2階建てと平屋の建物しか見えない。しかし、今日は独立記念日であり1万人が参加するマラソン大会が開催される日である。それにピースボートの寄港でこの町は大いににぎわう日となる。
 外はそれほど寒くないがツアー「カヤック初めての体験」での服装をどうしたら良いか迷う。寒さ対策もして雨具や長靴をリュックに詰め下船する。船内で入国手続きをすませているのでIDカードを見せるだけで簡単に入国できた。ターミナルビルを出ると大型ラウンドクルーザーが待機しており、早速乗り込む。車はカヤック体験をするローウェル・ポイント向け出発。町の駐車場、海岸はマラソン大会参加のキャンピングカーで埋まっている。町の中心部にはホテル、レストラン、店舗が見える。町を過ぎても街中に駐車できなかったキャンピングカーや乗用車が道端や小さな空き地に駐車している。川原や道端にテントを張っているのも見られた。
 南に20分ほど走ると小さな砂浜があるローウェル・ポイントに到着。浜辺に別荘が数件建っているだけの静かな浜だ。曇ってはいるが寒くなく風もなくカヤック日和である。
 インストラクターの注意を聞いてライフジャケットを着てカヤックに水が入らないようにするエプロン状の防水カバーを着ける。由紀子が前に乗り、私が後ろに乗る。防水カバーをカヤックに取り付け準備完了。インストラクターがカヤックを海に押し出してくれる。海に出てこぎ始めたら操舵用のペダルが畳まれた状態になっていて舵がとれない。乗るときに脚が触れ折りたたみ式のペダルを畳んでしまったようだ。インストラクターを呼んで直してもらう。左右リズミカルにオールで水をかくとほとんど波がない海面をカヤックは滑り出す。舵は足の先にあるペダルを押して操作する。右を踏めば右に曲がる。
 インストラクターについて沿岸に沿って進む。慣れてくると海に手を入れたり、周囲の景色を見たり、動物を探す余裕が出てくる。アザラシやラッコを見ることはできなかったが白頭鷲を近くで見ることができた。2時間程のカヤック体験はトパーズ号とは違う海面からの眺めやオールから伝わってくる海の感触を堪能することができた。
 浜に戻り、ジュースとスナックで一休み。まさに初めてのカヤックだったので少し心配だったが無事体験でき心地よい疲労と満足感に浸ることができた。届けられたランチボックスにはハムと野菜のサンドイッチ、トルティーヤ、ジュースが入っていた。汗をかき、美しい浜辺で食べたサンドイッチは格別美味しく感じた。

 ランチを食べてカヤック体験を終了、船に戻り長靴を置いて再び町に出て陸地から見られるイグジット氷河を目指す。歩くとかなりかかりそうだがとりあえず散策しながら行けるところまで行くことする。  
 終着駅スワード駅に入っていたアラスカ鉄道の車両の写真を撮ったり、町外れの大きなスーパーに入ってエスキモーが使うウルナイフ、アラスカの写真集などを買う。スーパーの中にあったスターバックスでコーヒーを飲んでいるとピースボートの乗客が来てイグジット氷河までバスがあると聞いたので歩くことはやめて町に戻りバス会社の事務所を見つけ申し込む。代金は往復9ドル、バスは3時に出発してイグジット氷河の入口で5時に迎えに来てくれるとのこと。
 タイミングよく乗客(ピースボートの乗客)が集まり満席になったのですぐ出発することになった。バスといってもカヤック体験で乗った大型ラウンドクルーザーだった。クルーザーは北に向け3キロ程スワードハイウェーを走ってイグジット氷河専用道路に入り13キロ程唐松林の中を川沿いに走ると前方に氷河が見えてくる。やがてビジターセンターがある氷河入口に到着。いつの間にか雲が切れ青空に変わっていた。
 早速氷河目指して歩く、寒くも暑くもない心地よい気候、盛岡の4月頃の気候か。舗装された歩道の右端に年号が書かれた標識が立っている。その年代の氷河の位置を示したものでどれだけ氷河が後退しているか実感できるように設置されたものである。地球温暖化の状況を明確に伝えていた。
 舗装が切れ、坂を少し上ると青色の氷河が目の前に現れる。下から見上げる氷河はまさに押し寄せる氷の川である。氷の割れ目から美しい青色が見える。立ち入り禁止になっているのでこれ以上氷河に近づくことはできなかった。眼下にこの氷河が溶けて川となって流れている様子が見える。川は氷河が削り取った土石を含んでいるので灰色に濁っている。この土石に含まれる栄養分をプランクトンが食べ、更に小魚がプランクトンを食べ、鯨やシャチが食べると言う食物連鎖の基になっているとのこと。この濁った川を歩いて渡っている観光客の姿が見えた。
 我々も川岸まで下りて、裸足になり浅瀬を探して川に入る。浅いが流れが速く、冷たい、直ぐ足が冷えピリピリしてくる。先に渡ったアメリカ人の家族連れが浅い場所を教えてくれる。無事渡り終えると家族連れのお母さんが「よくやった」と拍手してくれた。
 氷河を触り、解けた水を手に受け数千万年前の水の感触を味わった。後から、同じバスで来た若者のグループが川を渡って来たので浅瀬を教えてあげる。若者も川の水の冷たさにびっくりした様子、それでも直接氷河に触れられたことに感動していた。若者と同じ気分になって記念写真を撮りあう。
 帰りの川の中で氷が浅瀬にひっかかっているのに気づく。氷河が崩れて流れ出したもの、どうりで冷たい訳だ。我々は氷水の中を歩いているのだ。由紀子が氷の塊を持ってくる。川岸で川を渡れないでいたお年寄りグループに氷を差し出すと触って喜んでくれた。
 ビジターセンターに戻り絵葉書を買う。動物の毛皮と骨を売っていたがワシントン条約で日本への持ち込み禁止になっているので買うことはできなかった。
 町に戻り土産屋に入り悪い夢を取り除いてくれると言うネイティブのお守りドリームキャッチャーのアクセサリーと鮭の缶詰を買う。大勢の客に慣れていないのかレジ前に行列ができ20分ほど待たされる。店員は二人いるのにどういう訳か一人で対応している。一人が包装を手伝えばもっと早く終わるのにと思ったが手伝おうとしないし、手伝ってもらおうともしていない。
 買物が終わったら6時10分、アラスカビールと買物はあきらめて船に戻ることにする。途中に魚の水揚げ場があったので覗いてみると漁師が魚をさばいている。漁師の足元には巨大なオヒョウが床に横たわっていた。安藤さんに言わせると縁側は天下一品だそうだ。写真を撮り、急いで船に戻る。荷物のX線検査を終えたのが帰船リミットの15分前だった。
 これで全ての寄港が終わり、後は日本に向け航行するだけとなった。前半は102日間は長いと思ったが終盤になるともう終わりかと言う感慨がわいてくる。日本までの10日間、今回の旅の総括とこれからの仕事の準備をしなければならない。



       スワードの街中



    独立記念日に国旗と州旗掲げる家



        浜の風景


     カヤック挑戦用の正装?


        ランチ



       アラスカ鉄道



 スーパーマーケットで/すべて容量が多い



    これから見物する氷河の遠景



氷河の後退を示すサイン/1951年の氷河の位置を示す



         氷河



     氷河独特の美しいブルー



   氷河が溶けてできた川/当然冷たい



      氷が引っ掛っている



         毛皮屋



        魚の水揚げ場


    巨大なオヒョウが水揚げされていた



          土産屋



       遠ざかるスワード



          夕焼け

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