何の構想もなく始まってしまいましたので、各記事の終わり間近になると、「次に書くことが思いつく」みたいな(笑)感じで、毎度毎度「to be continued」で、なかなか話が進まなくてスミマセン。
では、昨日の続きです。

「私は、あなた方、魂の兄弟(前世霊たち)のもとに還りたい。」
と言った言葉で、私の守護霊の武士は刀を鞘に納め、私と守護霊そして魂の兄弟たち合計6名は、固く手を握り合いました。
すると不思議なことに、今まで別々に見えていた6名の兄弟たちが、一つになっていったのです。
これまで紹介していた魂の兄弟達を、それまでの私は、完全には信じ切れてはいなかったと思います。
それは心の片隅に、「彼らの個性を認めたくない。」という思いや、「彼らは、自分とは違う。」という思いがあったと思います。
そうです。
しかし、超個性的な彼らのキャラクターは、私の性格の一部が先鋭化し、突出化して表現されているものであることが、はっきり理解できました。
自分の性格を、受け入れることがた。
自分の個性を、許すことができた。
自分の個性を、仏神が祝福しているものとして、誇れるようになった。
そういった瞬間でした。
詳細不明の2名のことは、このときにはよくわかりませんでした。
私の自己発見がもっと進めば、理解できるようになるのでしょうか?
今後のお楽しみかもしれませんし、今世終了後のお楽しみ・・・かも知れません。
自他一体・・・、ではありませんね。
彼らは自分自身ですから。(笑)
なんと表現していいのかわかりませんが、とにかくとても嬉しかったのを覚えています。
そして、一体となった私たち(?)は、一つの球体になったように思えました。
そしてその球体が、スーっと、かなりのスピードで浮上して行く感じがしました。
そして、な、なんと・・・・(今日は、ここでは終わりませんよ。笑)、東京正心館の礼拝堂のエル・カンターレ像の(注:エル・カンターレではありません。あくまで「像」です。)三角に印を結ぶ両手の中に、スッポリと入って行ったのです。
そして私には、エル・カンターレ像の手のひらに、体中が囲まれたように見えました。
そして微かに、エル・カンターレ像のまなざしが垣間見えました。
そして次の瞬間、全方位から強烈な光が発せられ、球体となった私たちは、光に包まれました。
私は、「魂の再生の光だ・・・。」と思いました。
「もう、筆舌に尽くしがたい幸福感」というより他に、言葉がございません。
しばらくの間その光を、浴びさせていただいていたと思います。
私は、
「妻よ。そして小さな子供たちよ。ゴメンネ・・・。」 と、思ってしまいました。
その瞬間、私の意識は、東京正心館の研修室に、意識は戻ったのです。
私は、あのままあの時に死ねなかったことを、その時残念に感じておりました。
何にも変化はありません。
相変わらず、様々なことがおきます。
失敗もしますし、人生のトラブルは後を絶ちません。
しかし、私の基本的な考えは激変しました。
以前は、『人間は信じられない。』という考えでしたので、「やっぱりダメか。」と思っていたはずのところが、「きっとわかってくれる。」「なぜならそれは、彼が人間だから。」と、無理せず思えるようになっていました。
貴重な体験に、そしてそれを発表できる機会をお与え頂きましたことを、主エル・カンターレと、拙文に耐えて、記事をお読み下さった多くの皆様に、心より感謝申し上げます。

私は、霊的な覚醒を得て、宗教家の道を歩みはじめて以降、さまざまな霊体験をしましたが、霊的な体験を通して最もよく分かったことは、「善と悪というものが、はっきりとある」ということでした。
この世においては、善悪を曖昧にする考えもありますが、霊的な世界において、善悪は、はっきりと分かれています。
善なる生き方をし、善なる思いを持っている魂は、天上界に趣きます。
反対に、善なる思いを持っていない魂、言葉を換えれば、悪なる思い、悪なる心で生きた魂は、天上界には入れず、地獄界に趣くか、この世に執着し、この世に近い所を漂うか、このどちらかになります。
「霊的世界においては、魂の善悪が、はっきりと判定される」という事実を知ったことは、私の悟りのなかで、一つの重要な判断基準になりました。
この世のことについては、いろいろな意見があり、各説、各派が分かれて議論をし、民主主義的に多数決で決めていますが、霊的な面から見た場合には、物事の善悪は、はっきりしていて、迷いようがないのです。
「ある魂が、きょうは天国にいて、あしたは地獄に行く。その翌日はまた天国に戻り、そのまた翌日は地獄に行く」というようなことはありません。その人の魂全体について、善悪の判定は、迷うことなくなされていて、魂の善悪が、はっきり分かれています。
この善悪の判定は、国が違っても、宗教が違っても、きちんとなされています。宗教が違い、神の名前が違い、教えや儀式が違っていても、それでも、善悪は、はっきり分かれているのです。これは怖いぐらいです。
善悪のけじめを知るためには、「人間の本質は魂であり、魂は『過去・現在・未来』を生き通しの存在であって、この世での人生修行の内容や結果に応じて、死後の行き先が、天上界と地獄界という、二つの世界に分かれていくのだ」という根本的な真理を、まず、つかまなければいけません。
そして、霊的世界に厳然として存在する「天国・地獄」の概念だけではなく、「なぜ天国・地獄は分かれているのか。どのように生きれば天国に行き、どのように生きれば地獄に堕ちるのか」という、現実観察、科学的な分析から、善悪の基準は導き出されなければいけないのです。
それを導き出すために、過去、私は、さまざまな霊言集(現在、『大川隆法霊言全集』〔宗教法人幸福の科学刊・信者限定〕として発刊)を世に送り出し、天使や菩薩・如来といわれる霊人たちの考え方、心のあり方を教えました。
また、私は、悪霊や悪魔といわれる者たちとの対決などを通じ、「悪霊や悪魔は、何ゆえに、いま、悪霊、悪魔になっているのか。彼らは、どうすれば地獄から出ることができるのか」ということを実体験的に踏まえた上で、修行のあり方や、さまざまな教えを説いてきました。
そういう霊的な裏打ちのある真理を私は説いてきたのです。霊的な裏打ちがなく、人間の頭で考えただけのものでは、永遠の真理とは言えないのです。
『生命(いのち)の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P174~178
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私の場合、魂の兄弟の意志と、表面意識は解離していているのか、言われることを直ぐには納得できないこともありましたねぇ。これで苦労しました(-_-;)ひとつになれて主の御光に包まれて本当にヨカッタですね。88
私は人様から、「強引なところがある。」と言われることがあって、「そうなの?」と信じていなかったのですが、これら霊的体験をさせていただいて、「人様の眼はごまかせないんだな。」と思った次第です。(爆笑)
ぜひサンサンてるよさんの霊的体験も、ブログに投稿してくださいよ。
今は無神論・唯物論を破邪すべきときです。
実体験こそ、説得力を持つはずです。
そう、究極の至福体験でした。
あのときは「死」というものが、全く怖くなかったです。
おかげさまで、とても強くなれたと思います。
ありがたいことです。