めでたく子の親になった時、子どもの無事出産の喜びと、子育ての不安で結構複雑な気持ちを抱えているかもしれません。
昔の様な大家族なら、親兄弟親戚の援助も期待できますが、最近は核家族化で隣近所のお付き合いすら希薄化されて、子育ての負担は両親、特にお母さんの方にかかって来たりするのが、一般的な様です。
賢いお母さんなら、近所付き合いで社交的にコミュニティーを活用して、負担軽減も目指せるでしょう。
あるいは自治体の子育て支援センターを活用するという手段もあります。
親は無くとも子は育つ。
などと昔から言われていますが、そこまでムゲには出来なくても、赤ちゃんの頃からシッカリ育児して行けば、子どもの方から手をかけなくても良い様にスクスク元気に、清く正しく育ってくれます。
どうすればそうなるか?
それは、万国共通です。
つまり、生まれ出たその日から赤ちゃんに話しかけてあげて、赤ちゃんの五感の発達を促してあげて、話せる時期を早めてあげる事。
話せる様になったら、面倒くさがらず対話してあげる事。
会話の数の多い幼児期を過ごせた子どもは、知能も情緒も優れた子どもに育ってくれます。
子どもの就寝の時、絵本を読んであげるのも決して無駄ではありません。
話しを聞いてあげたり、話しかけたり。
その頻度が多ければ多い程、子どもはスクスク元気に、清く正しく早く育ってくれます。
これはもう普遍の法則です。
さて、早い方なら幼稚園の入園前に情操教育の始まり。
お稽古事や習い事。
実は、米国のリサーチでは自由時間の多い子どもほど、語彙力が豊富という結果が報告されています。
という事で子ども本人が望んで通いたいというのなら、お稽古事も習い事も良いかもしれません。
けれども、統計的には自由な時間の中で、子どもは遊びから生き方を学んでいるという事です。
これって、哺乳動物や鳥類の本能です。
家元とか芸能に従事しているのなら致し方無いのかもしれませんが特殊な場合でない限りは、子どもの自由度を制限するよりも本能の活用の方が、私たちには有効な様です。
出来ればフィールドワーク、野外活動で五体・感覚を使って遊びながら学習するのが、最も有効だという事です。
子どもはいたずらします。
この時も感情的に叱ってはマイナス面にもなりかねない場合が、あります。
親の威厳と厳しさを冷徹に対話で解決できる様にすれば、子どもが納得するまでの対話や、親の後ろ姿を見て子どもは悟るように神様が設計しているモノです。
これも万国共通の普遍の原理です。
烈火の怒りは最終手段。
気を付けていないと子どもも賢いので、いずれ裏をかかれたり・・・?
子どもの未来には、今の私たちでは想像できない生き方を迫られるかもしれません。
終身雇用やエリートコースという概念は今ですら、徐々に希薄になりつつあります。
AIの発達で今ある仕事もロボットや機械でまかなえる時代も早晩、訪れそうです。
そうなると子どもたちの創造力や知恵・知識が、今の私たち以上に必要になって来るでしょう。
なので、子どもたちには未来を見据えられる力を培って欲しいモノです。
義務教育からでは真理の追及には、中々及ばないかもしれません。
塾に通ったとて大同小異でしょう。
AIの発達と同時にネットの普及も日進月歩、ネットの活用で検索してリサーチできる知識や、バイリンガルになって海外からの知識に触れられる力を養う事も一つの手立てでしょう。
それ以上に子供に未来への不安より希望を目指す力を与えられるのは、ほかならぬ親の使命です。
勇気や倫理観、優しさや・厳しさや・忍耐もいずれ学べる心を育んで行けるように、伝えないとイケマセン。
手っ取り早いのは、働く親の後ろ姿でしょう。
実際に見せる事が出来れば、話すよりも説得力はあるのは、百聞は一見に如かずでこれも普遍の法則です。
虚からは何も生まれません。
真実を見抜ける眼も育てないと、イケマセン。
子育て支援は、何より親自身の生涯学習の覚悟ソノモノ。
子どもも育つが、親も育っている。
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