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北朝鮮が、拘束していた宣教師のオーストラリア人を国外追放

2014-03-03 | Weblog

 (写真) 北京に着いて、「とても疲れた」と話すジョン・ショートさん(左)

北朝鮮は、宗教的な文書を配布したとして先月拘束されたオーストラリア人の宣教師ジョン・ショートさんを国外追放しました。

ピョンヤンを出て北京に着いた75才のショートさんは、観光地でキリスト教のパンフレットを配って拘束されていました。

北朝鮮の国営KCNA通信は、彼が北朝鮮の法律を犯したことを認めて謝罪したので、年齢を考慮して釈放したと伝えました。

北朝鮮では宗教行為は固く禁じられていて、以前にも多くの宣教師が逮捕されました。

「非常に疲れた」と北京に着いたショートさんは記者団に語りました。

彼は、すぐ、オーストラリア大使館から護衛付き車に乗りました。

それより前に、KCNAは、「ショート氏は自分の行為が北朝鮮の法律に反する許されざる犯罪行為だったことを認め、謝罪を申し出て許しを乞うた」と報じました。

又、ショート氏は2012年8月の訪問の時、ピョンヤンの混雑する地下鉄で宗教に関する文書を配ったと伝えました。

一方、ショート氏の妻カレンさんは、「深く感謝しています。この感謝を表す言葉が見つかりません。」と話しました。

香港を拠点にしているショートさんは、先月、ピョンヤンのホテルで逮捕されました。

オーストラリアは、北朝鮮と外交関係がないので、スエーデン大使館に依頼しました。

オーストラリア政府は、月曜日に、ショート氏の釈放は歓迎すべきニュースだとする声明を出しました。

「オーストラリアの領事館職員が、ショート氏が可能な限り早く香港の自宅に戻れるように支援する用意をしている。」

「この機会に、何週間もこの困難な仕事に骨身を惜しまなかったスエーデン政府に感謝を伝えたい。」

拘束されていた韓国の宣教師キムさんが、先週、北朝鮮のメディアの前で反国家罪に対する謝罪の声明を読み上げました。

50才のバプテストのキムさんは、10月に、宗教関係の文書を持って中国から北朝鮮に入って逮捕されたと話しました。

彼は、自分の処罰に不安を持ち釈放を求めました。

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北朝鮮は75才の宣教師を解放しましたが、韓国のキム氏や米国のペ氏はどうするのでしょうか。米国もスエーデンにペ氏の釈放のための交渉を求めたようですが。分らない国です。

参照記事:

北朝鮮では昨年、韓国系米国人のペ・ジュンホ氏(45)がキリスト教活動を通し政権転覆を図ったとして、15年の労働教化刑を言い渡された。北朝鮮には当局管理下のキリスト教会がいくつかあるものの、独立した宗教活動は禁止されている。北朝鮮の人権に関する国連調査委員会の報告書によると、キリスト教の普及は重大な脅威とみなされ、実践現場が見つかると厳しく処罰される。


イスラエルの警察が獄中の米国人殺人者シェインベインを殺害

2014-02-25 | Weblog

米国で残忍な殺人事件を起し、イスラエルで拘留されていたアメリカ系イスラエル人が刑務所の看守に発射した後、イスラエルの特殊部隊に射殺されました。

警察によると、シェインベインは3人の警護職員を撃ち、1人に重傷を負わせ敷地に立て籠りました。

シェインベインは、1997年にメリーランド州で殺人犯として24年の刑を受けイスラエルで服役中でした。

彼は、殺人の後すぐイスラエルに逃げ、米国とイスラエルの関係を悪化させました。その結果イスラエルは逃亡犯人引渡法を変えることになりました。

日曜日の銃撃戦はテル・アヴィヴの北部のリモニム刑務所で起きました。イスラエルのメディアは、シェインベインは閉じ篭った部屋から刑務所の監視人や特殊部隊員に向けて発射し、反撃を受けて射殺されたと報じました。

シェインベインが武器をどのようにして入手したかは分っていません。

1999年に、テル・アヴィヴの裁判所は、その2年前に、米メリーランド州でアルフレッド・テロ氏を殺して手足を切断した罪で当時19才のシェインベインを逮捕しました。

シェインベインは、遺体が見つかった後すぐイスラエルに逃亡しました。

彼は、1944年に父親が英国統治のパレスチナで生まれたことを理由に、イスラエルに住んだことはないのに市民権を求めました。

イスラエルは、アメリカでは刑罰が厳しいものになるので彼を米国に引き渡すことを拒み、米当局を激怒させました。イスラエルへの支援を中止すると脅した政治家も何人かいました。

緊張はイスラエルが法律を変えたことで治まりました。

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殺人事件後すぐイスラエルに逃亡した米系イスラエル人が刑務所で特殊部隊に射殺されたという記事です。イスラエルが自国より厳しい米国での刑を避けるために犯人引渡しを拒んで米・イ間に緊張が生じました。それで、イスラエルが引渡法を変えましたが、結局、犯人はイスラエルで射殺されました。


アンネ・フランクの日記が日本の図書館で破棄される

2014-02-21 | Weblog

(写真)アンネ・フランクの日記とその関連本が少なくとも265ページ破棄されました

 

(写真)背後にいる人物もその動機もはっきりしていません

図書館職員によると、少女アンネ・フランクの日記の100ページ以上が日本の首都東京の公立図書館で破棄されました。

破壊行為の背後の人物は分っていません。米ユダヤ人権団体が警察の調査を求めています。

これは、アンネ・フランクが、第二次大戦中にアムステルダムを占領していたナチスから隠れて書いた日記です。

その本によって彼女は戦時中のユダヤ人の苦難の象徴となりました。

日本図書館委員会の代表者のムラタさんは、これまでに東京の5図書館が破壊行為を報告しているとAFP通信に語りました。

「誰が何故こういうことをしたのか分りません。」

一方、「アンネ・フランクの索引にある全ての本が私達の図書館で被害を受けた。」と東京都杉並区の図書館員のオオバヤシさんは言います。

世界ユダヤ人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターは、事件に衝撃を受け憂慮していると声明で伝え、当局に調査を求めました。

「第二次大戦のホロコーストでナチスに虐殺された150万のユダヤ人の子供達に関する最も重要な追悼を誹謗する組織化された集団があると推測する。」と組織の長老クーパー氏は指摘します。

「アンネ・フランクは多くの日本人に読まれ尊敬されている。わずかな人間が偏見と憎しみを持ち、差し迫った危機に直面した時の励ましと希望と愛を記したアンネの歴史的な言葉を破壊しようとしている。」クーパー氏。

日記は、2009年に、国連教育科学文化機関の世界記憶遺産に登録されました。

アンネ・フランクの日記は、1952年に日本語に翻訳され、1953年にベストセラーになりました。

ハイファのイスラエル大学の日本の歴史・文化の専門家クーナー教授は、日記は日本で特に人気があり読まれているとBBCに語りました。

売られた日記の数についていえば、日本は米国に次ぐ国で、日本の読者にとって、日記は若者が生き延びた苦難を示すユダヤ人のアイデンティティを超越するものだと彼は言います。

「1950年代と1960年代に、日本の10代の子供達がアンネ・フランクの経験に関する感想を述べるコンテストが行われ、多くの10代が投稿した。」とクーナー教授。

「それは戦争の悲劇やどのように若者が戦争を体験したかについての本だ。故に、多くの日本人は事件を悲劇は続いると考えるだろう。」と彼はつけ加えました。

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当事国ドイツでもネオナチが台頭していると聞きます。社会が右翼化している日本に通じるものがあるようで恐怖を感じます。世界的ネオ・ファシズムの組織があるのでしょうか。調査の結果が気になります。


シリアの協議:進展がなかったことを調停者が謝罪

2014-02-15 | Weblog

(写真) 協議が行われていた間もシリアの暴動は続いていました

国連の調停者ブラヒミ氏が、ジュネーブで行った和平交渉が進展しないまま終わったことをシリアの国民に謝罪しました。

彼は、シリア政府と反政府側の間の行き詰まりを打破するために土壇場の試みとしてジュネーブで両者と最終的な議論を行いました。

彼は、行き詰まりの主な原因は、暫定統治機構について再び話し合うことを拒んだ政府側にあると言いました。

2011年3月以来、シリアの紛争で100,000人以上の死者が出ています。

ブラヒミ氏は、協議がほとんど進まなかったことを認めてシリア国民に謝罪しました。

彼は、「両者は自分達の本拠地に戻って相談をし、協議を続けるかどうかを考える必要がある」と言いました。

「更なる協議の日取りは決まっていない」と彼は言いました。

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やっぱり駄目でした。政府側の背後にロシア・中国・イランなどが、反体制派の背後には米・英・仏などが付いている、言わば代理戦争のようになっている中での仲裁は大変だったことでしょう。 ちょうど3年目になるに当たって、朝鮮戦争のようにとりあえず休戦を行ない、それから選挙をしたら…と思うのですが? 国民の苦悶がこれ以上続いてはいけません。


ザルツブルグで保存している作品の方がミュンヘンの物より重要

2014-02-15 | Weblog

 

(写真) ドイツの芸術家フリッツ・マスコス氏(1896-1967)の瞑想的な女性の絵は、ミュンヘンのコーネリアス・グルリット氏のコレクションの中にありました

美術収集家のコーネリアス・グルリット氏のオーストリアの家で見つかった美術品は、ミュンヘンのアパートで見つかった美術品よりはるかに価値があると彼の弁護士は言います。

60作品ほどの中に、ルノワールやモネや他のフランスの印象派の作品があると記者が伝えています。

昨年、多くの芸術作品がミュンヘンのグリット氏の家で保存されていたことが分りました。多くはナチスが略奪したものと考えられています。

彼は絵画が略奪品であることを否定していますが、ユダヤ人グループはもっと詳しい情報を望んでいます。

新しく見つかった作品の写真集を発行して詳しい説明を付けるかどうかまだ決定されていません。

ユダヤ人グループは、ナチ迫害の犠牲者から盗まれたり強奪されたりした作品の全てを識別する一助とするために、発表される予定の作品のリストを求めています。

81才のグルリット氏は、ナチスが認めた美術品業者で1956年に死亡したヒルデブランド・グルリット氏の息子です。

ホロコースト補償組織の要求委員会は、ヒルデブランド・グルリット氏は美術品の略奪をするようにヒトラーに命じられた4人の美術品業者の1人だと伝えています。

「それ故、彼の遺産の全てが調査されるべきだ。」と声明で述べました。

絵画がグリリット氏のザルツバーグの家で見つかったことが月曜日に発表されました。

「それらは非常に卓越した作品だ。」とハルツング氏。

 (写真) 侵入や盗難から保護されているコーネリアス・グリリット氏のザルツブルグの家

 

(写真) グリリット氏の広報担当者は、作品は盗まれていなかったことが初めから示唆されていたと言いました

 

 (写真) ドイツの芸術家オットー・ディックス氏による今まで知られていなかったこれらの作品はミュンヘンのアパートで見つかりました

「ピサロの素晴らしいセーヌ川の光景やモネの素晴らしい橋の絵やマネの海に浮かぶヨットの光景など。」

「他にもルノワールやリーベルマンの多くの作品があります。それらは芸術的に著しくすばらしい作品でミュンヘンのシュヴァービングのコレクションよりずっと価値がある。」

13億5千万ドルの価値があると見積もられている1,400以上の長い間失われていて未知だった作品が、2012年3月に、ミュンヘンのグルリット氏のアパートで見つかりました。

その中には、マルク・シャガールやパブロ・ピカソやアンリ・マティスやオットー・ディクスの作品が含まれています。

 

 (写真) ナチス政府で美術品を略奪する仕事をしていたとして告訴されているヒルデブラント・グルリット氏

コロネリアス・グルリット氏の父親ヴォルフガング・グルリット氏も美術品収集家で、ナチス時代に「退廃芸術」品略奪に関わっていました。

ヴォルフガング氏は、戦争中オーストリアに住み、彼の重要な美術収集品をリンツ美術館に寄贈しました。

リンツ・レントス美術館は、作品がナチ時代に盗まれたことが確定されたので、ここ数年で彼の収集品の多くの絵画を返還しなければならなくなりました。

11月に、リンツ美術館の館長が二人の従兄弟の間に接触の兆候はないと言いましたが、美術史家は懐疑的だと記者がウイーンから伝えています。

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ナチスやヒトラーが「退廃芸術」として略奪し長期間秘匿されていた美術品が見つかったようです。 戦後、ヒトラーが奪略した美術品の収集も調査も十分行われていないことが発覚しました。 奪略された作品の中に高価なものもあるとユダヤ人の指摘を受けて、ドイツ政府は調査機関を設けて近く作業を開始するそうです。随分遅い戦後処理ですね。