自己紹介 2024年10月13日追記 5861文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身
伊賀市(旧名:上野市)に
1976年(3歳)から
1996年(23歳)6月まで住んでいた
1976年以前の記憶と出生は不明
津市にある施設にいたと聞いた覚えがある
三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが
あった事は一度もない
30代の頃に一度だけ電話で話をした
父方に引き取られたお兄さんに
母親の事を聞いた
母親は別の人と再婚し離婚して
娘さんと一緒に暮らしているらしい
父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい
お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて
中国語を勉強してるらしい
あとは色々と聞いたけど
覚えているのはそれぐらいの内容で
もう二度と話す事はないだろうと
その時に思ったけど
お兄さんの顔がどんな顔なのかは
見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが
伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で
営業している
それは去年に末っ子を連れていったから確認済
外観はただの古い家だけど
中に入ると意外と見応えはある
観光施設って感じ
伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で
森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた
個人的には伊藤の牛丼が好きだ
油が多い感じのお肉だから
100gも食べれば満足感がある
上野天神祭の鬼行列も有名かな
ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった
銀座通りが歩行者天国になり
的屋がならぶ
高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで
何個も買って食べた
2024年は10月18・19・20(金土日)
19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ
20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る
誰か知り合いとばったり会える事を期待しているけど
たぶん顔を見てもお互いわからないだろう
松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で
小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる
俳句はいやいや作らされたので
俳句番組は見ない
俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな
普段はこれといって何もないけど
俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ
上野城のお堀の高さ日本2位?
一時期は日本1位説もあった
中学生の頃は上野城で体育の授業があったり
クロスカントリーレースで走らされたり
高校生のデートも上野城が定番だったのか
それらしき男女がイチャついていた
夜のライトアップは不気味なお城に見えた
一応、桜の名所なのかな
高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は
よく上野城をさんぽした
帰りはその子の家の近くまで送っていった
この子はとても純粋な子で
自分にはもったいない子だった
半年もつきあっていないが
今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある
もう向こうは忘れているだろうけど
伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか
東京で聞くような名称が多く使われている
地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして
街を作ったとの話がよく出てくるから
誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする
いまだに東京が伊賀のマネをした説を
親戚がまじめな顔でいいだす時があるから
本当に真実が知りたいけど
自分が調べるほどは興味がない
2004年(平成16年)11月1日に
伊賀市に変わってから
上野市駅が忍者市駅になり
近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり
電車がコスプレになった
駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり
産業会館がハイトピア伊賀になった
産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった
そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで
今はもう手に入らない
もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい
あと小さなパチンコ店「マルト」があった
「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある
あと「麻雀物語」もあったかな
「海物語」という機種が記憶の最終機かな
上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて
それからパチンコは完全に辞めた
じつはその後もたまにしたが
本当に気晴らし程度で
その内にきっぱりとやめた
スロットが主流になったら
なおさら興味すらなくなった
新天地もなんかおしゃれなサビれかたで
「新天地Otonari」となった
街は高校生の頃の面影は薄くなったけど
何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
新天地には映画館もあった気がする
当時は賑やかな商店街だった
当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある
大きな化粧品店は更地になっていた
高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という
バーを経営しているが、まだ入った事はない
いつか行ってみたい気持ちはある
ただダーツバーらしく
常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで
気楽入れなさそうな雰囲気はある
一度だけ朝方にお店の扉までいったけど
バーの扉って感じで雰囲気はあった
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に
よく帰省するようになったけど
若い頃は年一回も帰省しなかった
最近の伊賀でよく立ち寄るのが
「菓匠 桔梗屋織居」と
「HANAMORI COFFEE STAND」と
「岡森書店白鳳店」で
岡森書店は、Kマーホの名で出版した
「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で
25年以上も本棚に置いてくれている
これを見ると初心に戻れて
まだまた創作していこうとがんばれる
この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で
小学校の先輩の同級生でもあり
この店長の妹さんは自分と同年代で
それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う
近くに市部駅という無人駅がありその近くの
依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った
おかんは自分の送り向かいのために
自転車を乗る練習して
そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って
途中の田んぼに二人で落ちて
泥だらけになった
おかんは去年の年末まで
81歳でまだ自転車に乗って
小田町の坂を下っていたらしい
いまは親戚から危ないからと
召し上げられた
小学校6年卒業までは上野市依那具にある
市営の城ケ丘住宅で過ごした
この市営住宅はもう40年以上も
その雰囲気を変えずに今でも残っている
ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ
いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる
このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる
あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある
垂園森でよく遊んだ
現在も存在しているが
オバケが出そうな森
この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る
イメージ的には幽霊が出そうな森だけど
何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた
きつねも出そうだし
おばけも幽霊も心霊も
もしかするとタイムスリップして
小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる
近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の
城下町で過ごした
当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった
小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった
当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので
そっちのワクワク感で本当にうれしかった
そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て
自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で
あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に
中学校の3年間は
転校生という立場と
中一で足の骨折
バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて
二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った
その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った
中二で腕の骨折
どちらも遊んでいての骨折2回
中三の高校受験で
いい想い出は無い
高校2年生で
小学校の時にサッカーで出会った
旧友とバンドを組んだ
RCサクセションのコピーで
「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」
「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」
「サントワマミー」「いけないルージュマジック」
「いいことばかりはありゃしない」
「どかどかうるさいR&Rバンド」
旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」
一番のモテ期だった気がする
ただバンドをやっている自分を見て
好意を寄せられても違うなと思った
バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた
高校生だったから
バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから
冷たい感じだったかも
本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
高校生の頃はたくさん恋をしたが
自分が不器用だったので自分が好きだった人からは
つきあえてもすぐにフラれた
人を好きになることに迷走し始めて
最終的に好きになる事はやめて
なんとなくという感情で奥手に過ごしていった
そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった
なぜそうなるか不思議だったけど
当時は楽しければなんでもよかった
1993年
一人暮らしを始める
やっと自由になった気がした
2年間ぐらいは金が無くて
通帳の残高は毎月マイナス50万
カツカツ生活
家賃と車のローンがきつかった
1996年7月から
2003年7月の
7年間は茨城県と千葉県の県境
利根川の近くに住んでいた
この界隈を走るタクシー運転手の
態度は本当にムカつくから
こっちも態度悪く乗ると
気分の悪さはお互いさまになる
関東平野は景色が無く
ここでの生活は落ち着かなかった
食文化も人も気候も水も
肌に合わなかった
特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は
げんなりさせてもらった
ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った
とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
この「ふる川」は今もやっている
当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた
夫婦だけでやっていて
週3回ぐらい夕飯でお世話になった
「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から
パソコンをミドリ電化で38万で購入して
作詞やネットに興味を持つ
まどみちお詩集を読みだす
作詞に近い詩を書き始める
「Kマーホ」という名で
詩を書き始める
目標を300篇と決めて
詩を思いついたら
メモをつけるようになる
週末は家に引きこもり
一日中、音楽を聴きながら
パソコンがあるのに
まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで
「Kマーホ」の名で
詩に団体に参加したり
詩の賞に応募したり
詩集を自費出版したり
この当時参加していた詩の団体には
もうドロドロとした
詩を書く人や
あまりにも読み解けない詩や
暴力的な人や
いい人もいたけど
自分とは全然目指している方向が
違うので2年目ぐらいで辞めた
それからは詩の団体に興味は無くなった
それから
自費出版した詩集を
全国の小中学校や
全国の図書館へ寄贈して
活動を休止
理由は2000年に結婚してから
集中して詩を書く時間が無くなってきたから
2002年に2つの詩集を出版して
詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで
育児に重点を置いて生活をする
この時期は友達とも連絡を
切っていたので
のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から
現在は静岡県在住
もう20年以上住んでいる
2019年
るんぺんパリ【RunPenParis】の名で
詩を書き始める
SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは
フランスはパリの街を
ぺんを持って
走るという意味から
【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もう51歳)
しし座
O型
右利き
詩・詩集・ことばをデザイン
アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で
十代までを過ごし
俳句が幼少期から
身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて
「Kマーホ」名で活動(1999-2002)
詩集6冊を出版して活動休止
その後
松尾芭蕉の俳句のような
シンプルな言葉遊びを
詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に
「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で
活動を再開
SNSに140文字に
言葉をデザインした詩
「140文字詩」を
毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字詩が
1200作品に到達した事で
「140文字詩」を全国へ
さらに世界へと
俳句のように広く知られる
存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧
【2023年】Amazonで販売
2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」
2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」
2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」
2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」
2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」
2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」
2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売
2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」
2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」
2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」
2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」
2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」
2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」
2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売
2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」
2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」
2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」
2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売
2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」
2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売
2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002)
【2002年】
2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」
2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】
2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」
2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】
1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」
1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】
2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞
2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞
1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞
1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート