父の書斎から出てきた原稿。
日付が無いのでいつ頃書かれたものなのかわかりません。
「紹介しておく」という書き方がされているので、何かに投稿するためのものだとは思うけれど、それもわかりません。
へぇ~・・・各家庭でお酒を造ってたんだ。それより、蘇鉄からお酒が作れるんだ・・・が、素直な感想。
明治時代の酒のつくり方
松山メッタガネ(明治二十二年生、徳之島町徳和瀬)から明治時代の酒の造り方を聞いたのでここに紹介しておく。
用意する原材料
(ア)蘇鉄の幹の粉を約五升ぐらい。
蘇鉄の幹を伐り倒して表面の黒い部分を剥ぎとると中の間白い繊維質の部分が残る。それを一~二日乾燥させてからカンナで削るとかんぴょうのような薄くて細長いものが得られる。これをカナクリと呼ぶ。このカナクリを筵などに広げて天日に干すと二~三日でこちこちに乾燥する。これを臼に入れて杵で搗くと容易に粉が出来上がる。
因みに、蘇鉄の幹から澱粉をとって粥をつくるときは製法が異なる。この場合は幹の白い部分を手のこぶし程の太さに切ってからカマスなどに入れて発酵させる。発酵すると表面に黒い黴が発生するので、そのとき取り出して水に浸す。二~三日も浸せば軟らかくなるので水を切って臼に入れて杵で砕く。この砕いたものを容器に入れて、その上に水を注ぐと不純物は上に浮いて澱粉だけが下の方に沈殿する。このとき上部の不純物を捨てて澱粉だけを取り上げ、それを米や麦などと混ぜてお粥にして食べるのである。
普通の場合、蘇鉄の実や幹を製造して食べる際には水に浸すか、または発酵させるなどして中に含まれた毒素を発散させるのであるが、酒の製造に使うこうじ用の粉の場合はそのような毒抜きをしていない。
(イ)イナシケを一升五合ぐらい。
イナシケというのは籾がらの中から得られる粉状のものである。すり臼に籾をするときにできる籾がらをフイという細い穴のあいた竹製の容器に入れてゆするとこのイナシケが得られる。また、シイビジャ(中に実の入っていない空の籾)を臼に入れて砕いてイナシケを得る場合もあった。昔の人たちは現在放棄している籾がらや使い物にならないシイラからも食用になる部分を抽出して利用していたのである。
(ウ)甘藷を大ザルの一杯ぐらい。
甘藷を掘ってきて水洗いにし、それを一センチメートル角ぐらいの太さにきざむ。
材料は以上の三種で出揃った。次はこれら材料に少量の水を加えながら均分に混ぜ合わせる。そして、それで握り飯のような丸いかたまりをつくり、そのかたまりをハジという竹製の蒸し器に並べて蒸す。約二時間ぐらいはかかる。
蒸されたかたまりは取り出してから丁寧に手でほぐし、それを倉などのような風通しの悪い所に筵を敷いてその上に拡げる。つまり、これがサケコウジのもとになるわけである。こうじの黴が生え易いようにするために、その上にさらに筵を被せたりもする。このようにすると夏は二~三日で、また冬は七~八日ぐらいで黒い黴が発生し、こうじができ上がる。
フェイ(もろみ)つくり
酒こうじができると次はもろみ作りにかかる。これには黒糖が必要である。先ず六斤(三、六キロ)ほどの黒糖を約五斤ほどの水に入れて炊いて溶かす。砂糖水ができるわけだ。これをしばらく放置して冷やす。冷えたところでこうじを混入する。よく棒などで混ぜ合わせる。また、適当に水を加えながら濃度を調整する。こうして出来上がったもろみを大きなカメに仕込むのである。
およそ七日ほどでもろみに水泡ができる。そして、その水泡には酒の嗅いがただようようになる。しばらく経ってこの水泡が消えたときを見はからって、いよいよ酒マアラシ(蒸留)が始められるのである。
酒マアラシ
酒マアラシとは酒を「生まれさせる」という意である。子どもが生まれ出てくるように酒も生まれ出てくるのだと昔の人たちは考えていたのであろう。そして、その生まれ出てきた新しい物質に新しい生命力を感じとっていたのであろう。酒の蒸留にはこのような生命力の誕生と同義の言葉が用いられている。つまり、目に見えない無からの発生である。
さて、酒マアラシは次のような要領でなされる。
先ず、もろみの中の浮遊物を総べて取り去る。こうすると後に茶褐色のどろどろの液体が残される。これをアンマルとかジナシと呼ばれる鉄製の丸鍋に入れる。そして、その上にクシキという木製の器(図1)を乗せ、さらにその上に冷水の入った丸鍋を置いて覆う。図2のようになる。
図1
図2
仕掛けが終わると徐々に火を炊く。強火はこげつくのでいけない。しばらくすると酒が流れ出してくるのでこれを容器に受け取る。最初の一升を特にオームイ(泡盛り)と呼ぶ。このように呼ぶのは落下してきた酒の表面に泡ができるからである。これは濃度が高いからだという。約40度ぐらい。
次の一升をジダケ(地酒)という。これはそのままで飲めるくらいの濃度だという。
最後の一升をシイダリと呼ぶ。これは酸っぱくて味がまずいので自家用にする。
オームイとジダケを壺に入れて貯蔵し、儀礼ごとや来客用などに残しておくのが一家の主婦のやりくりのならわしであった。 (松山光秀)
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