絵の描きかた。
と、あるタイプの絵の描きかた。
何処へたどり着くのかわからない描きかた。
そういう描きかた。
考えない、というわけでもない。
脳は使う。
何処かへたどり着こうとはする。
ただ最初にアイデアありきではない。
白い紙がある。
気持ちがある。
絵を描こうという意思がある。
深呼吸する。
紙を触る。
紙の大きさに触れる。
これからこれくらいの大きさの紙に絵を描くというのを確認する。
それは白い地図だ。
何か思い浮かぶ事もある。
でも何が描きあがるかはその時点ではわからない。
思い浮かべた何かに、何処かに近づこうとする作業ではない。
画材がある。
絵の具がある。
マーカーがある。色えんぴつがある。
紙に色をつけていく。
それは、脳内の反応。
経験値から導き出す気持ちのいい色。
その画面の場所。
しっくり来るところ。
正しいと感じる、もしくは間違っていないと思われるそういう色を置いていく。
跡をつけていく。
それは気持ちの表れ。
全て、絵は心の鏡。
目に入る画材の山から次に気持ちのいい色を拾って、あてる。
その気持ちよさを見つけるのが集中力。
そこがアーティストのスキル。
ものすごく適当にやってるように見える。
時には手元さえも見ずに画面にマークをつけていく。
ただぐちゃぐちゃやってるようにも見えるかも。
だが、そこがコントロール。
一つひとつバランスをとっていく。
右へ左へ。
上へ下へ。
細く、太く。
細かく、大胆に。
線を重ね、色を被せ、奥行きを作っていく。
深みを増していく。
勢いを出したり、リズムを作ったり、失敗したようなアクションを更なる強度に変換させたりする。
undo不可だからこその深みと強度を持ったりもする。
そうやって「絵」を作っていく。
「画」を構成していく。
自分を納得させながら進んでいく。
基本的に、二歩先は一歩進まないと見えない。
技術と理解のある行き当たりばったり。
進んでいくと、何かが見えてきたりする。
何かに見えてきたりする。
白かった地図に、色がつき、線が引かれることによってゴールが浮かび上がってくる。
届こうとしているのは、自分の信じる美しさの具体例だ。
誰が何と言おうと、そこが今の自分から染み出た「絵」の、これでよしと決めた着地点だということ。
嘘のない到達点であると。
と。
そういう気持ち。
ある。
少なくともそういう気持ちになるまでは絞った。
絞った作品を並べた。
だが。
それは、認められるとか、売れるとかとは、関係ナイチンゲール。
ある意味、そんな想いを持って描いた絵は、そんな気持ちを携えて見せた絵は、実はオイラのキチガイ証明書であるともとれる。
だってしょうがないじゃない。
オイラはそれを美としたのよ。
というより、それしか出ないのよ。
それが出たのよ。
そんな、あんな、今言ったような描きかたしたらさ。
でも、それしか出来なかったのよ。
そういう絵描きなのよ。よよよ。
そうしたら、どうしたってオイラの心象風景みたいになりまさぁ。そんな自動書記みたいな描きかたしたらさ。
やってることはホントの意味でシュールリアリストっぽい。
シュールリアリストのつもりはないけど。
願わくは、オイラの絵を面白いとか、美しいと思ってくれる人が現れんことを。
んで、あわよくばそんな奇特な人が、更に奇特な行動に出て、オイラの作品をお買い上げにならんことを。
アーメン。
新宿伊勢丹アートの畑2015
期間は8月12日(水)から17日(月)です。
15日の土曜日には、朝11時から夕方6時頃まで、ギャラリー前でライブペイントをします。それこそ、最高傑作を作るつもりで挑みます。どうぞよろしくお願いします!
と、あるタイプの絵の描きかた。
何処へたどり着くのかわからない描きかた。
そういう描きかた。
考えない、というわけでもない。
脳は使う。
何処かへたどり着こうとはする。
ただ最初にアイデアありきではない。
白い紙がある。
気持ちがある。
絵を描こうという意思がある。
深呼吸する。
紙を触る。
紙の大きさに触れる。
これからこれくらいの大きさの紙に絵を描くというのを確認する。
それは白い地図だ。
何か思い浮かぶ事もある。
でも何が描きあがるかはその時点ではわからない。
思い浮かべた何かに、何処かに近づこうとする作業ではない。
画材がある。
絵の具がある。
マーカーがある。色えんぴつがある。
紙に色をつけていく。
それは、脳内の反応。
経験値から導き出す気持ちのいい色。
その画面の場所。
しっくり来るところ。
正しいと感じる、もしくは間違っていないと思われるそういう色を置いていく。
跡をつけていく。
それは気持ちの表れ。
全て、絵は心の鏡。
目に入る画材の山から次に気持ちのいい色を拾って、あてる。
その気持ちよさを見つけるのが集中力。
そこがアーティストのスキル。
ものすごく適当にやってるように見える。
時には手元さえも見ずに画面にマークをつけていく。
ただぐちゃぐちゃやってるようにも見えるかも。
だが、そこがコントロール。
一つひとつバランスをとっていく。
右へ左へ。
上へ下へ。
細く、太く。
細かく、大胆に。
線を重ね、色を被せ、奥行きを作っていく。
深みを増していく。
勢いを出したり、リズムを作ったり、失敗したようなアクションを更なる強度に変換させたりする。
undo不可だからこその深みと強度を持ったりもする。
そうやって「絵」を作っていく。
「画」を構成していく。
自分を納得させながら進んでいく。
基本的に、二歩先は一歩進まないと見えない。
技術と理解のある行き当たりばったり。
進んでいくと、何かが見えてきたりする。
何かに見えてきたりする。
白かった地図に、色がつき、線が引かれることによってゴールが浮かび上がってくる。
届こうとしているのは、自分の信じる美しさの具体例だ。
誰が何と言おうと、そこが今の自分から染み出た「絵」の、これでよしと決めた着地点だということ。
嘘のない到達点であると。
と。
そういう気持ち。
ある。
少なくともそういう気持ちになるまでは絞った。
絞った作品を並べた。
だが。
それは、認められるとか、売れるとかとは、関係ナイチンゲール。
ある意味、そんな想いを持って描いた絵は、そんな気持ちを携えて見せた絵は、実はオイラのキチガイ証明書であるともとれる。
だってしょうがないじゃない。
オイラはそれを美としたのよ。
というより、それしか出ないのよ。
それが出たのよ。
そんな、あんな、今言ったような描きかたしたらさ。
でも、それしか出来なかったのよ。
そういう絵描きなのよ。よよよ。
そうしたら、どうしたってオイラの心象風景みたいになりまさぁ。そんな自動書記みたいな描きかたしたらさ。
やってることはホントの意味でシュールリアリストっぽい。
シュールリアリストのつもりはないけど。
願わくは、オイラの絵を面白いとか、美しいと思ってくれる人が現れんことを。
んで、あわよくばそんな奇特な人が、更に奇特な行動に出て、オイラの作品をお買い上げにならんことを。
アーメン。
新宿伊勢丹アートの畑2015
期間は8月12日(水)から17日(月)です。
15日の土曜日には、朝11時から夕方6時頃まで、ギャラリー前でライブペイントをします。それこそ、最高傑作を作るつもりで挑みます。どうぞよろしくお願いします!