廃墟のような古い屋敷(poem)
奇妙で美しい街角に廃墟のような古い屋敷
そこに垣根に咲く花は秋になると、緑にまじってコスモスの花が横に並んで咲いている
そこに、背の高いほっそりした丸顔の若い若い女が
夕暮れの沈む頃になるまで、黄色い服を着て三十分ほど立っている
誰かを待っているのだろうか
それとも、夕日を見るためだろうか
通りは細い通りで、前には歯医者と床屋が小さな公園のような家を挟んで建っている。
ある日のこと、その古い屋敷の二階の窓から、
ヴァイオリンの響きが四方八方に聞こえるのだった
音色は悲しみに満ちていて
詩人なら、胸をうたれる音色だった
遠くから、森の緑の風が強く吹いて
ざわざわと音をたてたかと思うと、
今度は雨がざーと降るかと思うと、
稲光がさーと射して
古い屋敷の横の大木に落ちた。
それでも、花は宝石のような露をたくさん輝かせて、逞しく雨にたえていた。
ある日のこと、曇って、雨の降りそうで、稲光が遠くに響くその日
テレビでは、ウクライナ戦争の報道が響き
台所では、猫が魚を見つけて喜び、
黄色い服の女はコーヒーを飲んでいた。
テーブルの上には日記帳があり、
「道元はすべての人に仏性があると言う。話し合いが大切。対立は静めないと、雷が落ちて、人はいなくなってしまうわ」
テーブルの上には、彼女に似た若い男の写真が飾られていた。
写真は一年前に、車の事故で亡くなった弟だった。
なぜか弟の写真には黄色いオンシジュームの一輪挿しの花が映っていた。
オンシジュームには弟の誕生日の思い出があり、彼女は黄色い服を好むのだった。
それで、黄色い服を着た女は、写真の横に写真と同じ花をいけたのだった。
この百年をとっても、
こうした沢山の弟と姉の悲劇がこの地上に繰り返されてきた。
思い出すのは、晶子の「ああ、弟よ。君を泣く」の歌ではないか。
この繰り返す悲劇をなくす知恵がヒトにはないのか
オンシジューム、オンシジュームと女は口で唱えていた。
すると、寺の鐘が鳴り始めた。
世界は何かの新しい時代の夜明けのように、明るくほのぼのとし始めた。
真昼の秋の太陽が町を守るように、守るように燦然と輝き、幻の弟は公園の緑の上に座禅しているようだった。
女は相変わらず、オンシジューム、オンシジュームと、
黄色い花に呼び掛けていた。
(参考 )
与謝野晶子の詩
ああ おとうとよ、 君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり
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