緑の風

散文詩を書くのが好きなので、そこに物語性を入れて
おおげさに言えば叙事詩みたいなものを書く試み

観音(poem)

2022-10-06 16:33:46 | 

私が詩を書くようになったのは、青年期に読んだ文学の影響もあったでしょうが、それよりも、「真理とは何か」という学生時代によくかかる病気が原因と思う。七十過ぎても書いているのは、「この真理とは何か」という病気が恐ろしく長いものとなり、そこでつかんだものを表現するのが薬となるという経緯があるからかもしれない。
それでも、三十才で小説に表現を変えて、四十年のブランクがあるのに再び、詩を書き始めたのはあの「銀河アンドロメダの猫の夢」の主人公が吟遊詩人で、どうしても詩が必要になったからだろうと思う。玉石混交の詩をいくつも書いている内に、詩の創作の喜びが復活したのかもしれない。
読者の側からすれば、分かりにくい、宗教くさい文字の羅列に辟易された方もおられるかもしれない。カメラで,良い風景でも撮ったほうがよいのにと思われる方もおられるかもしれない。なにしろ、今のカメラは物凄く優秀だ。へたな絵よりも、写真の方が凄いと思われる時代になっている。
それでも、私は小説を書き、詩を書く。もともと、最近の詩は小説(森に風鈴は鳴る)の応援で書いていたのが、かなり、一生懸命に書くようになるとは不思議なことだと思うことがあります。
死んだ叔父の話によると、数代前の私の遺伝子をたどると、大百科大事典に名前が乗っている江戸時代の漢詩人がいたんだそうです。
江戸と言えば、良寛を思い出しますから、この話は、がんの話になると、家系にがん患者がいることを聞かれるようなもので、ただ、思うのは、みんながカメラに夢中になっている時に、詩を書く羽目になったのはこの遺伝子にあるのかなと、思うこともあります。(時間があれば、カメラにも手を伸ばしたいのですがね。でも、もう年ですからね、心は驚くほど若々しい【おかげで十年以上若く見えるようです 】  つもりでも、昔、柔道二段の肉体の衰えはどうすることもできませんね)

 

観音 (poem)【観音はご自分の好きな名前に変えて、読んでみるのも良いかと思います。私でしたら、仏性、仏、大自然、神、真理、菩薩、好きな花の名前などに変えてみるかもしれません。】

        1

 

私の見た観音は自由自在に姿を変える美しい花。

私が傷つき真っ青になっても、私に微笑をもたらすのは観音の愛。

観音はそよ風のように、突然 私の前に現れ、そして忽然と消える。

観音の住居はどこなのか、私は地図を調べる。

あの街角で観音を見失った、しかし観音の家はない。

今度は本屋の見える喫茶店でぼんやり窓ガラスを見ていた時、

カラスが舞い、しとしとと霧雨が降り出したその街路樹に、

観音はひまわりのような容姿を星のごとく現わした。

 

ああ、道は雨に黒く濡れ、行き交う人は忙しそう。

それでも観音は悠然と瞳を輝かし希望のサインを送る。

その神秘な瞳に宿る解きがたい不滅の法。

牢獄に一条の光が差し込む、その希望の窓のような観音の瞳。

瞳の奥から小鳥のごとく飛翔してきた光はわが胸をさす。

 

 

 

      2

 いつの頃からか、私は観音の存在に気がついた。

それまでは私がどんなに恋焦がれても姿を現わすことはなかった。

私は自分が歩いている坂道でいつかきっと観音に会えると確信していた。

坂道は時にぬかるんだり、車が勢いよく走り去ったり歩きにくかった。

周囲は美しい田園ではなく、都会の混沌がおおっていた。

 

私が観音に出会ったのは坂道に疲れ横道に入った時のことだった。

 

そこは公園になっていて、暖かい光が全てをおおっていた。

私はそこに幻の様に浮かぶ観音を見た。

ざわざわと緑の梢が風に揺れ神秘な音楽を流していた。

ああ、何という胸のときめき、観音は緑の衣服を着ていた。

 

坂道はどこまで続くのか、どこかで祭りの太鼓が響いている。

私は観音を見うしない、心は暗たんとしていた。

 

先程の観音の声のささやき、燃えるような命の美は消え去っていた。

耳に残る、目に残る、慈悲の姿が太鼓の音と共に私の胸を打った。

 

私の胸は張り裂け、涙は泉のごとく噴き出そうとしていた。

夕日が遠い森にかかり、そこの神社で祭りが行われるらしかった。

夕空に浮かぶ雲の美は、観音の優しさを思い出させる。

 

ああ、歌と踊りこそ私の心にやさしい慰めを与える果物のようなもの。

それ、踊れや歌え。何時の間にか月夜になっていた。

絶望のはてに祭りの太鼓と共に歌い踊るのだ。

 

 

私は森で踊り、歌いそして眠った、やがて目覚め朝日と共に坂道に立った。

 

私は坂道で図書館により、沢山の本を読んだ。

私は美術館や音楽堂に寄り、素晴らしい芸術に触れた。

そんな時、ふと 観音の存在を感じ、私は緑や花を見た。

そよ風が吹き、私の心にさわやかな命が流れ込んだ。

おお、その時 私は見た、滅びることのない観音の白い手を。

 

坂道は喜びの道となり、私は光に包まれたような観音と、歩いた。

不思議なことだ、観音はいつも私と共にいたではないか、永遠の昔から。

不死の愛のいのちの衣服を着て、私と共にいたのだ。

今はただ 歓喜にあふれ 周囲の景色を見渡す。

学問と知恵は 観音なしでは空しい。

観音がいればすべては美しい光で埋まる。

悪魔よ立ち去れ、美しい笛の鳴るこの坂道に観音と共にあるこの喜び。

ああ、緑の街路樹 星のまたたき 月夜そして又昼の陽光、全ては友達だった。

空気や水を汚し、命を傷つける悲しき者よ、共に目覚めようではないか。

君の中にも、かの観音が住み共に歩いていることを。

おお、不滅のいのちの光と慈悲にあふれた観音の神秘に感謝しよう

 

 

{了}

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿