廃墟のような白い城 (poem)
細面の目の大きな男がその城に生きていた。すらりとした身長の男だった。
白い色の城はいくつもの塔が空に伸びていた。
白い色の城は、昔は美しかった。
壮麗さを感じさせ、畏敬の念を感じさせるものがあったに違いない。
しかし、今は古びていて、昼間は薄光が窓から差し込む。
だが、あちこちに沢山の本棚があり、世界中から集めた本に数年のホコリがたまっていた。
足音でもたてようなら、ホコリが舞い上がる。
ホコリといっしょに、アレルギーが襲いかかる。
そのことを城の人々は知っており、風邪と並んで、用心する病気と思っていた。
それでも、ホコリを、恐れてはいなかった。静かに、暮らしていれば何事も起こらないからだ。
それに、普通の人は本を読もうとも思わなかったからだ。
それ故に、城の中は物音せず静かであるが、食事をする所だけは賑やかだった。
他の部屋にも本は満載で、城の中で、ホコリのない所はここだけだった。
美しい宝石のような赤色の夕日を男は待っていた。
細い窓に光が斜めざしにする時は特別の時なのだ。
男はそこに美しい服を着て、母のむくろのおさまった棺の前で祈り、
夕方になると、父の見えるような見えないような亡霊が現われれるのを知って、そこで祈るのだ。
ある日のこと、いつになく綺麗な花が豊富に城の中が飾られていた。
男は花の美しさにうっとりして、不思議に思い聞くと、紫の娘が来たという。
彼女は散歩の途中で見かけた農家の娘で、いつも野菜を運んでくれているのだ。
健康そうなふくよかな顔とシンプルな服は内面の清楚さを思わせ、時々キーツの詩を口ずさむのだった。
「何で、お掃除なさらないのですか」と紫は男に挨拶すると、そう言った。
「民が豊かで、城の者は貧乏で、国は栄える。死んだ父が本を読んだ結論がそうだと聞いた」
「それにしても、本はすごいですわね」と紫は不思議そうな目で男を見た。
「世界中から、集めたものじゃ、いくら勉強しても、真理は分からない。これも父君ファウストがおっしゃって言った。私もそう思う。
森の中で、修行した方がいいと、わしは思うがね、あなたは森の道案内はできるか」
「昔、祖父に連れられて、五度ほど、森にはいりましたけど、滅茶苦茶、広いですよ」
「面白かったか」
「小鳥ときのこが面白かったですが、なにしろ、広大な森ですから、夜は怖いですよ」
「座る平たい石はあるかな」
「えーと、何をなさるのですか」
「座禅するのじゃ。真理に到達するには、本だけでは、駄目だと分かったからな」
「ああ、小屋のそばにいくつもの平たい石があります。でも、あのあたりは隣国のシャベリンが撃ち込まれることがあるのですよ。危険という人もいますよ」
「ああ、それは演習だと聞いている、わしが向こうの城にメールを渡しているから、その日付以来は来ない筈だ。わが軍は父の死と同時に解散した、あの日のことをあなたも知っているだろう。わしは争いは嫌いだし、このことは長い間の隣国の交流によって、相手も知っていると思う」
「攻めて来ないかしら」
「わしと、彼とのメールは百回以上に上る。内容はその座る平たい石で、二人で座ろうということになった。向こうも石を探している筈だ。あの森は昔から、どちらのものでもなかった。二人で座れば、争いは意味がなくなる。森は両方の共同管理になろう」
森は小高い丘陵のようになっているが、森は昔から虎と龍が住んでいるという信仰があった。それを統治しているのが、森のカミだった。
カミが怒れば、龍虎の争いが起き、森は大地が響きをたてて、嵐となり、入ってくる人は殺されるという話だった。
そこで、森そのものがカミであるという信仰は森を挟んでこの二つの国で起き、大昔からこの森を通して両国の文化交流は行われ、宗教も文化も酷似していた。
飛行機の時代になっても、両方の側の旅行熱も深かったが、文化と宗教が似ているので、争いは起きなかった。争いが全くなかったわけではなく、シャベリンが森に撃ち込まれる時には森のカミを殺す気かという民衆の声が大きく、カミを殺せばニヒリズムという妖怪に襲われ、人の命を軽く思う人間が増加し、ちょっとしたつまらぬ争いが戦争の元になるというようなことが、城の男と隣国とのメールの内容だった。
ある日、満月がこうこうと照る森の中で、
小鳥の鳴き声が聞こえ、
二人の男が石の上で座禅している。
満月は森をこうこうと照らし
広大な樹木の中に、一点のような小屋を浮かび上がらせ
そばに座る二人が宇宙の中心であるかのように、
今の今の不死のいのちの光の中で
満月はすべてが溶け合うように
一服の風景画となって、輝いている。
【完】
【久里山不識】
詩を書いても、長いこと小説を書いていた癖が出てしまいますね。今の日本の大都会は少なくとも、詩的雰囲気にあふれているとはとても言えません。科学文明が発達し、物は豊富で、物凄く便利になりましたけれども、一方、歌川広重の浮世絵にあるような情緒を失いました。
しかし、詩の母体である神秘はいたる所にあります。どんなに、科学が発達しても、目の前にあることで、科学では説明できないことは沢山あるようです。一番の例は、我々の意識です。
常識的には、脳神経細胞の電気信号のからみあいによって生まれるというような話が流布しているようですけど、これは全く証明されていないようです。二十年以上前でしょうか、量子力学で意識を説明した「皇帝の新しい心」という難しい本も出たように聞いていますが、あれも仮説です。今も新説が出ているのかもしれませんが、同じです。意識について今の所、科学的な説明はすべて仮説で、神秘なヴェールに包まれているのだと思います。
つまり、大都会にいても、神秘はいたる所にあるというわけです。
ですから、詩を書くわけですけど、昔のような叙情歌でない現代詩の創作の試みがあっても、いいかと作者は思っているわけです。皆様はいかがお考えでしょうか。
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