◇明海大・岩下教授「一目置かれる存在」と評価
足利市昌平町の国史跡・足利学校で所蔵する幕末の幕臣、高橋泥舟(でいしゅう)(1835~1903年)の史料の中に、坂本龍馬の名前が記述されていることが分かった。泥舟が京都で諸藩の藩士と交流した時に書き留めたとみられ、発見した明海大ホスピタリティ・ツーリズム学部の岩下哲典教授(幕末史専攻)は「龍馬が一目置かれる存在だったことが分かる史料」と評価している。
「龍馬」の記述は、泥舟の遺書16冊のうちの手控え帳の一つ、「公雑筆記」(縦12センチ、横19センチ)にあった。岩下教授が12日に、泥舟の伝記執筆のため足利学校に関係資料の調査に訪れ見つけた。
「龍馬」ではなく「良馬」と表記されているのは聞き書きのためらしい。土佐藩士の間崎哲馬と並んでおり、横には「土佐の3人のうちの1人」と書かれ、岩下教授は「龍馬に間違いない」と説明している。
公雑筆記は泥舟が十五代将軍、徳川慶喜に従い上洛した1862、63年ごろに書いたとみられ、水戸藩の武田耕雲斎や、龍馬の盟友である土佐藩の中岡慎太郎らの名前もある。
泥舟は幕末から明治にかけてのやりの名人。幕府軍の遊撃隊頭取などを務め、勝海舟や山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれる。公雑筆記は21日~9月5日に足利学校遺蹟図書館で公開される。問い合わせは同学校(電話0284・41・2655)。
8/19 毎日新聞
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「龍馬」ではなく「良馬」と表記されているのは聞き書きのためらしい。土佐藩士の間崎哲馬と並んでおり、横には「土佐の3人のうちの1人」と書かれ、岩下教授は「龍馬に間違いない」と説明している。
公雑筆記は泥舟が十五代将軍、徳川慶喜に従い上洛した1862、63年ごろに書いたとみられ、水戸藩の武田耕雲斎や、龍馬の盟友である土佐藩の中岡慎太郎らの名前もある。
泥舟は幕末から明治にかけてのやりの名人。幕府軍の遊撃隊頭取などを務め、勝海舟や山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれる。公雑筆記は21日~9月5日に足利学校遺蹟図書館で公開される。問い合わせは同学校(電話0284・41・2655)。
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