◆専門家が用途調査
土佐勤王党の盟約文を起草した幕末の志士・大石弥太郎(1829~1916)が所有していた槍(やり)が8日、高知市吸江の護国神社(宮元千郷宮司)で初めて公開された。大石が明治時代後期に奉納した長さ約2・2メートルの大身の槍。使用時期や用途などは不明だが、専門家は「大石は土佐勤王党のナンバー2で、この槍をどう使用していたのか、調査を続けたい」としている。
大石は香南市野市町出身で、武市半平太らと土佐勤王党を結成し、幹部として活躍。尊王攘夷(じょうい)運動に力を入れた。国学も学んでおり、土佐勤王党の盟約文の草案を手がけ、血判書には半平太に次いで名前を記している。
槍は、1908年(明治41年)12月27日に同神社の前身・招魂社に奉納された。江戸時代前期のものとみられ、肥前の国(現在の佐賀県と長崎県の一部)の刀鍛冶(かじ)が製作したと記録される。
刃渡りは71センチあり、刃が傷まないように全体に漆が塗られ、アメ色に輝いている。柄には明治維新の功労者に明治天皇から与えられた位「従五位」と、本名の「大石圓(まどか)」とあり、奉納の際に記されたとみられる。
志士の資料などを調査する佐川町立青山文庫元館長の松岡司さん(67)によると、大石家伝来の品か、戊辰(ぼしん)戦争に従軍した大石が持ち帰った戦利品などの可能性もあるという。
同神社には幕末の殉難者が多くまつられており、松岡さんは「殉難者を弔う祭りの際か、維新の功績をたたえて位を与えられたことへの感謝を込めて奉納したのではないか」と話している。
12/9 読売新聞
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土佐勤王党の盟約文を起草した幕末の志士・大石弥太郎(1829~1916)が所有していた槍(やり)が8日、高知市吸江の護国神社(宮元千郷宮司)で初めて公開された。大石が明治時代後期に奉納した長さ約2・2メートルの大身の槍。使用時期や用途などは不明だが、専門家は「大石は土佐勤王党のナンバー2で、この槍をどう使用していたのか、調査を続けたい」としている。
大石は香南市野市町出身で、武市半平太らと土佐勤王党を結成し、幹部として活躍。尊王攘夷(じょうい)運動に力を入れた。国学も学んでおり、土佐勤王党の盟約文の草案を手がけ、血判書には半平太に次いで名前を記している。
槍は、1908年(明治41年)12月27日に同神社の前身・招魂社に奉納された。江戸時代前期のものとみられ、肥前の国(現在の佐賀県と長崎県の一部)の刀鍛冶(かじ)が製作したと記録される。
刃渡りは71センチあり、刃が傷まないように全体に漆が塗られ、アメ色に輝いている。柄には明治維新の功労者に明治天皇から与えられた位「従五位」と、本名の「大石圓(まどか)」とあり、奉納の際に記されたとみられる。
志士の資料などを調査する佐川町立青山文庫元館長の松岡司さん(67)によると、大石家伝来の品か、戊辰(ぼしん)戦争に従軍した大石が持ち帰った戦利品などの可能性もあるという。
同神社には幕末の殉難者が多くまつられており、松岡さんは「殉難者を弔う祭りの際か、維新の功績をたたえて位を与えられたことへの感謝を込めて奉納したのではないか」と話している。
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