実施日;2018-1-25
天気;晴れ、だが近年にない低気温。
同行者;鎌ケ谷ハイク&ウォークの会、メンバー5人
カメラ;pentax X90
コースとタイム--*トイレ
清澄庭園入口(11:00)→清澄通り→紀伊国屋文左衛門墓→(11:30)*深川・江戸資料館(13:20)→(13:25)中華店[昼食](14:20))→臨川寺・芭蕉墨直しの碑[説明を聞く]→満年橋→(15:05)芭蕉庵史跡公園(15:20)→(15:25)芭蕉稲荷(15:30)→(15:35)*芭蕉記念館(16:25)→(16:50)地下鉄・森下駅
[地図2]清澄庭園から芭蕉記念館へ
深川江戸資料館--参考;深川江戸資料館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 | kcf.or.jp →常設展示
入館する際に、ちょうど出てくる団体とすれ違い、ラッキー。玄関の前で長谷川平蔵(右)の案山子が出迎えてくれた。
●以下の建物群の写真は「常設展示」のページを見てください。
①大店肥料問屋「多田屋」
「深川の大店といえば、木場材木問屋、米問屋、そして干鰯・魚〆粕・魚油を扱う問屋でした。佐賀町は隅田川河口にあって大船の出入りに便が良く、小名木川の水運もありこうした大店と倉庫が並ぶ町でした。」→長屋の建て主は大店。
②長屋の井戸ほか
「井戸と共同便所、ゴミ溜め、お稲荷さんがある長屋住民の共有スペースです。」→下水溝はなく、地面に沁み込ませる。飲み水は売り手から購入する。
③水茶屋・床店
「火の見櫓の下は広場です。よしず張りの「水茶屋」は今の喫茶店。そばには、江戸時代のファーストフード、天麩羅の床店と二八そばの屋台があります。」
④木場の木挽職人
「木場で働く職人らしく、大鋸や鳶口、大工道具が置かれています。箱膳は夫婦二人分、女房の化粧道具もあります。」→押し入れは無し。布団などは衝立の中に畳んでおき、火事になったら直ぐ担いで逃げられるようにしてある。
⑤長屋の路地
「八百屋と舂米屋の間の長屋木戸をくぐると、裏長屋の生活空間です。路地をはさんで両側に長屋が並びます。」
⑥船宿
「船宿とは、もともとは船で遊びに行く客を送り迎えするところでした。展示室では、堅実な「升田屋」と派手な「相模屋」という設定です。」→お茶や休憩所のようなもの。宿泊はしない。店に看板娘などを置いている。
※男性スタッフの話で一番驚いたのは、平均して年に1回は大火事があったという。長屋の周辺にはホームレスなども集まって来て、腹が減ると火をつけた そうだ。
炊き出しのむすびが出るのと、火事後始末などの仕事に有りつけるからだそうだ。
●更に詳しくは→江戸深川の庶民の暮らしを忠実に再現!~江東区深川江戸資料館 ... | homes.co.jp→江戸時代末期の深川にタイムスリップ!
「大家は親も同然、店子は子も同然」「大家は、今で言う管理人の役割を担っていたのだが、江戸時代の大家(管理人)と長屋に住むタナゴの関係性は今よりもっと密接であった。大家は家賃の徴収・家の修理のほかに、出生や婚姻の届け出・喧嘩の仲裁など日常的な世話も担った。」つまり、役所関係や祭りの出費などは大家が受け持った。トイレの糞尿は商品として売り、収入は大家のもの。
臨川寺と芭蕉翁--臨川寺は、最初は草庵。以下、臨川寺住職の話。
そこの庵主と芭蕉が知り合いになり、近くなので、芭蕉はよく此処を訪れ、座禅を組んでいたそうだ。
墨直しとは、芭蕉の門人・各務支考が師の17回忌に京の雙林寺にある石碑の拓本からここに碑を刻み、毎年3月に*墨直会を催し法会を営む句会を行われていたこと。
*碑を洗い浄めて彫字通りに墨を入れ直すこと。
芭蕉庵史跡公園--
前方中央の橋は清洲橋。「清州橋はドイツのケルン橋をモデルに作られた
ため」此処からの眺めは「ケルンの眺め」だそうだ。
小名木川は名所だった→小名木川五本松~名所江戸百景 |
芭蕉稲荷--
芭蕉記念館--/参考→芭蕉記念館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団→常設展示、企画展示→明治維新と『俳句』~正岡子規とその周辺~
●夕方になってきたので、あまり時間をかけずに一通り見たという感じ。