参考リンク→我が茂原農高へのオマージュ - 元高校教師のブログ
右端・阿久川の右手には(かなたの東洋高圧まで)『輝-く-緑わぁ- 我ぇ-らが農場ぉ-』が広がっている。
左下に阿久川、右手に広大な農場。農業土木科生徒の背後には東洋高圧の引込み線。
前の集合写真の右側の斜面。学校のホルスタインが草を食んでいる。この右に農場。
向こうに見えるのは東洋高圧の施設。実習は午後が多いが、時間の境はチャイムではなくサイレンを鳴らす。
茂原市郊外にある学校の水田
お茶も栽培している。
農村工業科による食品加工品。味噌・醤油・缶詰などは市販している。
農業科では、絞りたての牛乳や栽培した花なども市販している。私など、暮れには、農場で採れた落花生や畜産の豚肉などを土産に実家に帰ったものだ。
三門(みかど)には学校の演習林もあり、ときどき下草刈や植林に出かける。
「青雲寮」の前で演劇部(人形劇や影絵などの制作・公演)の生徒たちと。
市民体育館周りのプランターの花の栽培・育成・配置や水やりなどの作業も茂農の生徒でした。インターハイの花は、開催地から次の開催地へと種がリレーされると聞いています。茂農の畑で育ったんでしょうね。体育館内での競技ボラ以外にも、駐車場での誘導・整理、会場周辺のゴミ拾い、花の水やりなどなど色々あるものだと知りました。我が定通制の全国大会とはボラの生徒の数が圧倒的に違うのを感じたのでありました。
農業科や農村工業科、農村家庭科たちの生徒も、地域社会に大いに貢献していましたよ。
このような茂原農業も、残念ながら今はありません。
2006年に茂原工業と合併して、茂原樟陽高校になってしまいました。
でも、「茂農」は不滅です。古希を迎えた土木科の生徒たちが、いまだにクラス会に招いてくれます。