塩原は桜と共にヤシオツツジが見ごろであった(→4/26のブログ)が、このヤシオの由来を教えてくれた。「塩原は昔、塩の産地だった」ということと、ヤシオツツジの関係だ。最初聞いたとき、「塩の産地」という言葉がさっぱり分からず心に引っかかっていた。家に帰ってネットで調べて、だんだん分かってきた。だから、以下は今話題のコピペである。 「塩原には八ケ所の温泉が湧き出ていて、そこから塩が採れた」のだという。
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(3)塩原温泉の地名と温泉の起源 (←塩原の歴史発表会資料)
5世紀頃より渡良瀬川(わたらせがわ)の流域を境に、上毛野(かみけの)・下毛野(しもげの)の二つの国に分かれ、塩原温泉は、下毛野(下野(しもつけ))国に属していました。
朱鳥(しゅちょう)年代(686~697)持統天皇(じとうてんのう)は
「下毛野ノ八塩ノ里(やしおのさと)ノ貢物(みつぎもの)思エバ遠ク来ルモノ也(なり)」
の古歌(こか)を読まれています。
『和名抄(わみょうしょう)』の八塩の里(塩原(しおばら)・北湯(きたゆ)・塩湯(しおのゆ)・寺山(てらやま)・塩田(しおだ)・高塩(たかしお)・幸岡(こうか)・玉塩(たましお))は、現在の高原山系(たかはらやまけい)(旧塩谷郡)一帯をいえ、その中の地名に、現在の塩原温泉である「塩原、北湯、塩湯」の地名が見られます。
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持統天皇の時代には、八塩の里の塩が貢物として送られていたとのことだが、温泉=塩ということだろうか。山の中の塩と言えば岩塩が予想されるが、どうもすっきりしない。そこで、次の資料を読む。→会津山塩企業組合、山 塩 と は
※温泉の成分に濃い塩分が含まれていて、海塩とは違うのだという。岩塩になる前の液体なのであろう。これを煮詰めて凝縮させ、結晶にしたものか。海塩とは風味が全然違うらしい。そうすると、塩原の物も同類で、これを天皇に差し出したものと考えられる。
さて、塩原温泉の「おおるりグループ」のホテルに『ホテル ニュー八汐』というのがあり、奥塩原温泉の新湯にも(最近グループから離脱した)『ホテル八汐*』がある。ホテルのネーミングに、わざわざ区別を意識して、塩ではなく汐を用いたのであろうか。塩原温泉郷の渓谷や山中に咲くヤシオ ツツジは、塩原の歴史が絡んでいるのだという。
*このホテル前の石碑で山岡鉄舟の書に出会い感激した思いがある。