すでに物故した者5%、遠方に住んでいる者、住所不明者、仕事や介護など、諸般の事情で、当日集まれなかった者は多くいただろう。
だが、卒業以来40年以上も経って、参加者が百名を超えたということは、大成功と言っていい。
参加者の名前、談笑場面など数百枚の写真(撮影者Mさん)。幹事の努力で、これらの資料は、すでに私の手元にある。それらを元にブログで発表しようと思った。だが待てよ、そのような個人情報を勝手に公表してよいものかどうか。写真公表も、撮影者の許可は勿論のこと、私個人は、自分の老醜を晒け出すので反対という気持ちもある。一方、当日参加できなかった者には良きプレゼントになるのではないか。
なお、メールアドレスが分かれば、希望者には添付して送付します。
参加者一人一人に了解をとるのが一番いいのだが、実務上困難だ。幸い、今月29日に「幹事解散会」が予定されている。そこで意見を求めようと思っている。
許可が得られれば、「その2・詳細版」を出したい。
さて本日は個人名を出して、「開催に至る経緯」を述べたい。ここでキーワードになるのは、「人と人との縁」である。少し前に「お友達内閣」と言ったものがあった。一概に否定はできない。この世は全て不思議な縁で結ばれるのだ。
さて、本論に入る。今回の同期会は、下のような図式で開催につながったと思う。いずれも人間同士の繋がりだ。
今津君→私→山本君→宇田川君(二期生・小岩高校図書委員OB会代表)→各クラス幹事選出→準備・連絡→同期会開催
[解説]
ウォーキング仲間と北習志野の今津君の店「グリル・ソシエ」へ行ったときのことだ。「先生、俺、還暦だよ、いやになっちゃうよ」と言われた。「何!それはお目出度い。よし、『還暦同期会』をやろう。店休めるか?」---「休めない」---「でも、やるぞ!」 こんなやりとりがあった。
それが、きっかけだった。山本君とは不思議な縁だ。彼は表面に出ないが、陰で大きな力を発揮している。
二期生による「小岩高校図書委員OB会」というのがある。かなり以前から、この会合に出るよう、山本君から誘われていたが私は応じなかった。だって、私は、図書委員会とは無縁で、何の貢献もしていない。そう伝えてきたのだが、「それでもいいから、兎に角江戸川を渡って来てくれ」との熱心さに負けた---なんだか説明つかないが、これが、私と山本君との縁というものか。まっこと、縁とは不思議なもんよ。
図書委員OB会で宇田川君に訴えた。、「『還暦同期会』をやろうよ」---「任せてください!そういうのはプロですから」--「よし、決まった。任せたぞ」
そのOB会は、幸いにも各クラスの代表から成り立っていた。だから、彼らが柱になって、それぞれ旧クラスの同期会幹事を選出すればよいのだった。
旧サイクリング同好会+αのメンバーだ。「その2」では、こういう顔出し写真が30枚以上ある---「反対」意見の人は、4/28までに各クラス幹事に申し出てもらいたい。 或いは、私に連絡してもらってもいい。リンク先→個人的連絡方法
【提案→趣味の集い】
こういう会は終わったら、「はい、それまでよ」では意味が無い。このことを壇上から訴えようとしたが、すでに談笑が始まっていて、そのような雰囲気ではなかったし、時間もなかった。
ほんの数人でもいいではないか、共通の趣味の者同士がここからスタートすればいい。何も大げさな所でなくていい。集まるのは数人、新小岩か錦糸町あたりの喫茶店でいいではないか。
私の趣味で言えば、ウォーキングやハイキングを前から募集している。どんな内容かはブログを読んでもらえば分かる。
旅行でもいい。たとえば、最近は、若狭方面を考えている。すでに私の地元仲間5名の同行者は決まっている。2~3名、希望者がいたら連絡ください。合同で行きましょう。
1期~3期あたりの演劇部で、OB会を開こうと戸部先生が計画してくれている。
サイクリング同好会OB会は海老原君がやってくれるかも---。11期あたりを中心に山岳部OB会をやりたいのだが--。ついでに、私が関係した旧クラスで、数人でもいいから、集まるようだったら声をかけてください。
さらに飛躍して--。(茂原農高の土木科は呼んでくれているので)、農村家庭科も(数人でもいいから集まりがあれば)、呼んでください。それから、長高も江戸高も--
「死に急ぎ」という言葉があるが、もう、いつ死んでもおかしくない年齢だ。だから、その前にお別れを言っておきたい者たちがいる。私のブログも遺書代わりと思って書いている。