だが、NHKで公開したからには、(生前の)父親との会話などをブログに書いてもよいのではと判断した。
【前置き】1月26日に番組を見たと述べたが、ざっと見ただけだ。その日は、小さなサークル(鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会)で、旧日光街道を歩いてきた。→
日光街道--竹ノ塚駅から松原団地駅まで歩く
帰りが遅くなり、入浴後の夕食の時間は、いつもより遅くなった。テレビを何気なく点けると、「ファミリーヒストリー」が始まっていて、何と大竹君がそこにいた。なんだ、知っていれば録画したのに、と思ったが間に合わなかった。
いずれ、再放送があるだろうから、その時録画すればいい、との思いがあったが、
再放送日が分からなかった。そしたら、我がサークルの臨時会員(小岩高校8期生)S君から再放送の日時の連絡をもらった。
よって、本日早朝の深夜放送が録画でき、それをじっくり観ることができた。
大竹君の父親も母親も、すごい歴史を背負った人だった。父親の名は章雄と書いてフミオと読む。「章」の漢字は譲れなかったのですね。本日ようやく、以下のような記事を書くことができた。
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私も高齢なので記憶は定かではない。誤りがあると思う。大竹君が小岩高校1年生2学期のとき(1973年)だと記憶している。あるとき、職員室の私のデスクに彼女が来た。テレビに出る話だ。『ぼくは女学生』という番組で、フォーリーブスの北公次の相手役になると言う。フォーリーブスとはジャニーズ事務所所属で、当時人気のアイドルグループだそうだ。私は、そのような世界に関しては全くの門外漢だった。訊くと、「妹が勝手に応募した」とのこと。だが、11名(?)が選考を通って、「私も、その一人」だという。連続番組で、また今度そこへ行くのだそうだ。
私は、「そんな世界に入ったって---」と、否定的な話を延々と述べたと思う。しばらくして、彼女が言うTV局側のことば--「ほかの10名とは何かが違う---。こんど君を柱にしたものを考えている」というような内容のことを。つまり、審査員かproducerが、彼女には何か光るものがある、と言ってくれたのだろう。
その後、彼女に関して、私は何もしなかった。ここは都立小岩高校だ、普通の一人の生徒と見なし、特別扱いをしないように、と自分に言い聞かせた。だから、彼女のオーディションの話はクラスの生徒にも話さなかった。特別扱いどころか、むしろ冷たかったと言ってもいい。
いつだったか(彼女の3年次)、英語の授業中に彼女が激しく咳き込んで止まらない。だが、私は、いよいよ危険な段階まで無視して、授業を続けたことがある。
(1年次)三学期の終わり頃だったと思う。彼女の父親がスポーツ・芸能新聞をいっぱい抱えて職員室の私を訪ねてきた。ちらっと見ると、彼女の写真と名前が大きな字で紙面に踊っている。それが5~6紙あった。
「娘が学校に大変ご迷惑をかけていることと思います。先生がやめろと言えば、すぐにでもヤメさせます」が章雄氏の第一声。
「お父さん、何もそんなに急ぐことはありません。ここは、しばらく様子を見て
----」とか何とか、答えたと記憶している。
そのときは、各新聞の中身を読まなかったので、『ぼくは女学生』関連で、大きな役でも貰ったのだろう、と思っていた。だが、今思うと、大手のスポーツ・芸能新聞
が、そこまで揃って記事にするには妙だ。もしかしたら、映画『青春の門』かな?
まてよ、調べると、あれは1975年2月公開だ。でも、撮影は、その前年だろう。
さらに、1974年の2月か3月に構想発表だったら---。つまり、彼女にとって高校1年生3学期に配役決定でも、辻褄が合うかも知れない。
父親が持参したスポーツ・芸能新聞の中身が『青春の門』配役に関するものだった
かも知れない。そうすると、私はとんでもない立場にいたかも。私は、父親との会話内容を、校長にも学年会*にも報告していない。
アイドル関連番組ではなく、映画『青春の門』レベルの出演を辞めさせる権限など、私にあるはずがない。
*【学年会】ある新学年を学年が進んでも3年間持ち上がり、同一学年の生徒の
諸問題を学年全体で責任を負う制度。教師の時間割にも組み込み、週一回は
必ず学年会が開ける。
私の場合は教科が英語だ。教科書はリーダー(3)、作文(2)、文法(2)なので、可能
な限り分散して多くのクラスの授業に出る。これを3年間やると、大体、生徒の
動静が分かる。
クラスが9あれば担任は9名で、年度替りにクラス替えがあっても、学年付き
教師は必ずどこかのクラス担任になり、授業にも出るので、多くの普通高校では
この制度を取り入れている。
◎NHK『水色の時』は、(11期生の)彼女が3年生のとき。当時の我らの学年主任
(M教諭)(故人)が NHKのproducer に立ち合い、「授業時間帯は撮影に呼び出
さない」とNHKに確約させ、このことを学年会で報告している。もっとも、
3年生は、選択の関係で時間割が午後から空くことが多い。学校を出るときは
担任に断って行ったはず。なお、2・3年次の担任はS教諭で、私同様、大竹君
を特別扱いはしなかったはず。
※今日は長くなったので最後に。今や、大竹君は大女優だ。彼女の芸歴をネットで
みると凄い。私は、応援もしていないし、貢献もしていない。あるとすれば、
高校1年次・彼女の芸能界入りの門前で、邪魔をしなかったということぐらい
だろう。それにしても、彼女の妹さんは凄い。大竹君が今日あるのは、『僕は女
学生』に「勝手に応募した」ことからスタートしたのだから。
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【別件連絡】1月16日発表のブログ→築地は明治新政府が用意した外国人居留地だった。 に「八丁堀」関連の記事を追記しました。
吉田照美氏は岩高4期生ですね。
あの当時、それ以前の岩高は良かったですね。
こんなことを思うようでは、私もジジイになりましたね。(苦笑)
また、先生のウォーク&ハイクの会に参加させて頂きますのでよろしくお願いします。
何しろ住みやすかったので、私が20年以上あそこに居たのが証拠です。