実施日;2016-9-27
天気;曇りのち晴れ
気温;28℃~30℃
同行者5人;鎌ヶ谷ハイク&ウオークの会、メンバー+1
カメラ;ニコンD3000+coolpix
往きの電車;①鎌ヶ谷大仏→松戸→日暮里→②池袋→川越③→高麗川
①乗車3名、②合流(船橋乗車1)、③合流(川越乗車1)
徒歩コース;高麗川駅~巾着田[4.5k]/巾着田~高麗駅(1.5k)//*トイレ
高麗川駅*(8:40)→小林牧場→出世橋→(9:20)高麗神社*(9:50)→聖天院→
高岡橋→高麗郷民俗資料館→(11:00)あいあい橋[巾着田*](12:00)→鹿台橋→
水天の碑→(12:45)*高麗駅(12:51)--[電車]--(12:58)飯能→(13:20)ガスト*
[昼食・打合せ](15:20)→飯能駅
牧歌的な小林牧場に出会いましたが、牛たちは舎内でしょうか。
出世橋へ向かう道で。高麗の里は、道の何処でも曼珠沙華が咲いている。
高麗川に架かる出世橋を渡ると、やがて左手に高麗神社が現れる。↓
出世橋→若槻礼次郎や鳩山一郎をはじめ、そうそうたるメンバーが当神社に参拝し、その後に総理などになっている。皇族をはじめ、その他、どういうメンバーかは、行ってみれば
分かる。
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唐・新羅連合軍対百済・倭国救援軍による白村江の戦いでの敗戦あたりがきっかけと
なったか、朝鮮半島から我が国への渡来が盛んになったようだ。
『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されており、北朝鮮あたりの高句麗から9千人近くの民が、リーダー若光によって奈良時代に
当地に渡って来たのであろう。若光を長とする彼らが、この地に住むことを時の政府も認めたのである。よって、この地は渡来人の里で、その子孫が連綿と当地に住んでいるようだ。
在日一世の作家・金達寿(キムタルス)は、この地をこよなく愛し、「日本の中の朝鮮文化」で
高麗の里を紹介している。
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S 説明版を読んでいるところ。
朝鮮半島の古民家・高麗家。
S 高麗神社から裏道を歩くと、高麗山聖天院に着く。こちらは若光を祭る寺だ。
巾着田の曼珠沙華--
S 「あいあい橋」から撮影
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向こう側は高麗川の清流です。
休憩中です。S君は水分補給。
本日のメンバーです。S君・私・----。近くの人に依頼してシャッターを押してもらった。
見るところは、まだまだあったが蒸し暑いので、集合写真を最後に巾着田を離れ、高麗駅
へと向かう。↓
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S 車道を避けて裏道を選ぶと、このような土産物店が並ぶ。彼岸花の球根も売っていたが、
意外と高価だ。赤1個100円、白・黄1個400円。持ち帰って植えても来年花が咲くかどうか
は分からないそうだ。
※S君について---文中の写真下にSとあるのは、S君撮影の写真です。
彼とは偶然に知り合った。最近、私のブログを読んでくれて、連絡をもらったので、本日が初対面だ。小岩高校8期生ということだ。同じ校舎内に或る期間いたことは確からしいが、彼との接点は皆無に等しい。
私の記憶には全くない。あるとき、授業担当の教師が休んだらしい。 そこで、私が穴埋めのピンチヒッターで教室に行った。私は2期生と6期生の学年担当だったので、8期生の授業にも出ていない。その時の教室にS君がいたということだ。彼と私の接点はそれだけだ。
もちろん、私が彼を覚えているはずは無い。S君とて私の声を聞いたのは、その時だけ。
なのに私を覚えていてくれた。だからブログを見て連絡をくれたのだ。
S君は、小岩高校では超珍しく、理1の機械工学出身だという。私の在任中なら、校内のニュースになったはずだが、私は全く知らなかった。おっとりした性格のようで、ずっと
川越で一人暮らしだそうだ。定年退職しているので、奥武蔵・奥多摩・都内などのコース
なら我がサークルに参加できるという。楽しみだ。