[参考]→平 将門と北斗七星の謎!山手線の秘密とは?呪いは実在するのか? |
◎平将門ゆかりの都内 7つの神社--天海による江戸防衛魔方陣
(1)鎧神社--将門使用の鎧が境内に埋められているという。
(2)水稲荷(冨塚稲荷)神社--将門調伏のための神社
(3)筑土八幡神社--天海が将門の遺体(足)を祀ったという。
(4)神田明神--将門が主祭神
(5)将門の首塚--三井物産ビルの東側に祀られている。
(6)兜神社--兜町に有り、将門使用の兜が埋められているという。
(7)鳥越神社--将門の首が飛んできて、この地を飛び越して行っ
たから「飛び越え→鳥越」という。
◎京都に対して、江戸こそ中心という思想で、家康は新都建設を天海に託した。
上野の山を見れば一目瞭然だ。
東の比叡山→東叡山、延暦寺→寛永寺(これも天台宗)、年号→延暦と寛永、
琵琶湖→不忍池、竹生島神社→中ノ島弁財天、京都清水寺→清水堂、
(吉野の桜→上野山へ移植)---。
更に天海は江戸城を中心に江戸防衛魔方陣のカラクリを編み出した。
中国の陰陽五行思想からくる「方位」は、江戸時代でも基本だから、上記7つの神
社の所在地にも生かされている。これらを結ぶと北斗七星の形をなすのだ。そのた
めに、神田明神や首塚など、幾つかは元の場所から現在地に移動させたというでは
ないか、益々怪しい。
上野の森に如実に表れているように、江戸幕府は、もはや、日本の中心は京都朝
廷ではなく、江戸だと宣言したのだ。思えば、良き前例があるではないか、自ら
新皇と名乗り、関東に覇を唱えた平将門である。江戸城鬼門に神田明神を配置し、
将門をそこの神とした。
将門は妙見信仰で、 千葉市にある千葉神社も妙見様。祭神は北極星・北斗七星
の神霊「北辰妙見尊星王」で、人間の運命・方位を司る神様だ。
江戸時代、大岡忠則→越前守、松平定信→越中守のように、彼らはその土地と無
関係の役職名がついている。平安時代までの国司(○○守)は、実際その国の支配権
を持っていたが、江戸時代は幕府が武士の官位・官職を決め、朝廷に任命させた
のだから武家官位は単なる称号に過ぎなくなる。
国は幕府が動かしていて、京都の朝廷には実権が無くなっている証拠だ。また、
使いが京都の朝廷から江戸に出向いても、江戸城内ではその官位は無くなり、
「伝奏」が幕府との間に入る。これでは朝廷の意向は通らない。
実質、京都朝廷ではなく、江戸幕府の意のままに日本が 動いていたのだ。天海
の魔法がうまくいったことになる。