鎌ヶ谷の散歩道(その1)---市制公園から佐津間城跡へ(8キロ )
【コースとキロ数】--*トイレ、( )内の数字はキロ数
新鎌ヶ谷駅(1)*市制公園(1.7)*北部公民館(0.6)さつま幼稚園(0.3)佐津間城跡(0.6)宝泉院(0.3)信号・佐津間(0.8)航空基地西側の道(0.7)安田学園グランド(0.6)市営グランド(0.4)*市制公園(1)新鎌ヶ谷駅
※宝泉院から六実駅乗車にした場合は、約5キロのコースとなる。
最下段のスクロールバーを右にスライドすると、隠れている右画面が出てきます。
ヤフーの地図に「ペイント」で上書きして作成。
新鎌ヶ谷駅から市制公園への道は分かりやすいので、駅員などに訊ねてください。
市制公園内にある(実際に活躍した)D51
これも市制公園内にある。近くの航空基地からのもの。
粟野の森
右手が粟野の森だ。
北部公民館手前にある。この道を入る。ここからは、迷ったら左に行けばよい。
このあと、少し進んだら真っ直ぐ山道に入らず、左に入り、民家の前を行く。
すると、下記の場所に出る。ここでも、左手の道を選ぶ。
やがて、視界が広がると、左手に広がる湿地帯のかなたに佐津間城があった小高い森が望まれる。
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中佐津間1-9 東方に谷をのぞむ台地上に築かれている。土塁と空堀をめぐらした平山城で、守備を主体とし、腰曲輪や櫓のあとも残っている。築城者は佐津間村を領有していた相馬氏と関係ある者と考えられ、築造されたのは戦国時代と推定されている。[鎌ケ谷の文化財より]
佐津間城跡↓ | |
宝泉院境内↓
3.渋谷総司贈位顕彰碑(しぶやそうじぞういけんしょうひ) | |
南佐津間9-37 (宝泉院境内) 総司は佐津間出身の討幕勤王の志士である。赤報隊(新政府軍先鋒隊)に参加し、年貢半減をかかげて東山道を進軍し活躍した。しかし「偽官軍」の汚名を着せられ、慶応4年(1868)、下諏訪で斬首された。昭和3年(1928)復権し、この碑が建てられた。[鎌ケ谷の文化財より]
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4.北方前板碑(ぼっけまえいたび) ≪市指文≫ | |
佐津間801 板碑は石製の供養塔である。市内の板碑は武蔵板碑で、緑泥片岩が多い。ここには元徳3年(1331)を最古に35基ある。すべて阿弥陀如来を表わす梵字()を刻んだ種子板碑である。当時浄土教系信仰が盛んであったことがわかる。[鎌ケ谷の文化財より]
このコースは宝泉院で終わりにして、むつみ駅へ行けば5キロ未満の行程になる。それでは物足りないという人はマンションの裏側の畑道に降り、小さな橋を渡って、飛行場の方の田舎道から南下し、安田学園グランドを通り、梨畑などの中を時計回りに回って市制公園に帰ってくるとよい。駅へ戻ると合計8キロになる。休憩を入れると半日コースになるだろう。 | |