「裏切られた三人の天皇」
2006年 11月4日、読売新聞朝刊 p17 ドナルド・キーンの「私と20世紀のクロニクル」に、明治天皇のことが書かれている。
----私は明治天皇の父親である孝明天皇から伝記を書き始めることにした。孝明天皇のことはほとんど知らなかったが、恩師の角田柳作が私に語った話が頭に残っていた。1915年ごろ、角田先生はホノルルのバーで一人の日本人に会った。彼は、孝明天皇の暗殺に関わったために亡命してきたと言うのであった。
-----孝明天皇と違って明治天皇は記憶すべき手紙そのものを一通も残さなかったし、また明治天皇を一番よく知る人々は私が知りたいことを滅多に明らかにしてくれなかった。
ここでぜひ読んでもらいたい本がある。明治維新の謎「裏切られた三人の天皇」
鹿島わたる[新国民社]である。西垣内堅介の推薦の辞にはこう書いてある。
維新以降の官学合同の偽史シンジケートによってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壊され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
本書のなかで著者が展開する史観---孝明天皇及びその子・陸仁(夭折後、大室寅之祐の明治天皇に摩り替る)は、明治維新を推進した岩倉具視や木戸、伊藤、山縣たちに暗殺され、或いは裏切られた悲しい存在であったという事実である。
まず孝明天皇は長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、陸仁の身代わりになった明治天皇は、実は南朝の末孫という長州力士隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。
こういう本であるから新聞広告は拒否され、一部の者しかこの本のことを知らない。皇室に残された日記「明治天皇紀」・「中山忠能日記」の、病弱でひ弱な陸仁
像--「禁門の変」の際、砲声と女官達の悲鳴に驚いて「失神」してしまったという----と(乗馬が得意で相撲が強く、立派な体格の)若き日の明治天皇像があまりにも異
なることから、著者は疑問を追及し始めた。
長州の古老の間では、「防長回天史」などで普通に言われていた、つまり天皇は長州から送り出したのだと言う。
「明治維新の生贄」--誰が孝明天皇を殺したかという続編もある。