山之辺の道[前]---「海柘榴市跡」から桧原神社へ
【徒歩コースとタイム】*トイレ
桜井駅(8:50)→大和川(初瀬川)→(9:15)海柘榴市跡→海柘榴市観音*→磯城瑞籬の宮跡→金屋の石仏*→(10:00)平等寺(10:05)→大神神社*(三輪明神)→(10:45)狭井神社*(10:50)→(11:10)竜神神社(11:20)→玄賓庵*→(11:45)桧原神社*→井寺池周遊→桧原茶店[昼食](12:10-12:45)→[後編へ]
「山之辺の道」とはJR桜井線と平行に、桜井から天理まで続く山並みの裾野に沿う古代の道である。卑弥呼の墓との説もある「箸墓」などの巨大古墳や、額田王などの万葉歌人に縁の地で、わが国最初の国道とも言われている。山裾をたどるので「山之辺の道」と云われている。
桜井から石上神宮のある天理まで1日で歩くには無理なので、半分の長岳寺までにした。その行程を、更に2分して発表することにしたのだ。
夜行バスで早朝に京都駅に着いたので、店はどこも閉まっていた。それで、洗面後、ザックをコインロッカーに入れ、手荷物程度を持って近鉄に乗り桜井に向った。電車が桜井に近づく頃には、通学の高校生たちで賑わってきた。
桜井駅の南口に喫茶店があり、そこでトーストとコーヒーの朝食を済ませた。北口を出発したのが8:50分。
山の辺の道美化促進協議会発行「山の辺の道ハイキングコース」より
初瀬川(大和川)のこの辺は船運の中心地で、遣隋使たちによる大陸からの文化はここから上陸したようだ。当然、仏教もこの地から上がった。この港は商業的に「つば市」として賑わったのであろう。
「つば市観音」に向う道。古い家並みが残っている。
金屋の村はずれの建物の中に2体の石仏が納められていて「金屋の石仏」として知られている。泥板岩に釈迦如来と弥勒如来が彫られているが風化が心配だ。平安時代後期の作だという。
人一人遇わない静かな里道だ。清らかな水も流れている。この先に崇神天皇ゆかりの神社があった。
聖徳太子ゆかりの平等寺が山道の先にあった。この寺は明治時代の廃仏毀釈で廃絶したものが、その後復興したものだという。
古代から万葉集に歌われてきた三輪山は神の山である。この頂から太陽が昇ると大和平野に陽が射し、その光は大和三山に向う。その朱塗りの矢は畝傍山を通って忌部山を貫く。なお、大和三山が二等辺三角形になっていることは知られているが、何かピラミッド的朝の儀式の感がするではないか。三輪山の神と箸墓の神話を含めて、不思議な山々ではある。
大神神社(三輪明神)は三輪山が御神体なので、拝殿はあるが本殿は無い。
三輪明神の後ろ、狭井神社に向う。
三輪山は聖なる山で、山中には巨大な岩が数多くあり、磐座(いわくら)と云われてきた。また蛇が多く、古代より立ち入り禁止とされてきた。だが、最近は、厳しい条件と制約はあるが入山が許可されている。なお、狭井神社の奥に湧き水「薬井戸」の御神水があり、みんなで頂いてきた。
三島由紀夫がドナルト・キーンと共に此処を訪れたようだ。
狭井川に向う山道で
右上端の塀の先下が狭井川。山之辺の道には、各所に万葉の歌碑が建てられている。それを訊ねて歩くのも楽しみだ。
「狭井川よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす」の歌碑があった。
額田王の長歌と反歌(狭井川を越えた休憩所前にある)
うま酒 三輪の山 ---」 「三輪山を しかも隠すか 雲だにも
こころあらなむ 隠さふべしや」
同休憩所で神武天皇の歌(古事記)
「あし原の しけしき小屋に すがだたみ いやさや敷きて わが二人寝し」
池のほとりに日本最古の神社・竜神神社があった。
竜神神社を後にすると、下の写真のような道が続いていた。今日はいまだに誰とも遇っていない。人間は我々だけで、天気もいいし、実に静かな山の辺の道だ。
玄賓庵に着いた。元は玄賓僧都の庵で、山岳仏教の寺として栄えたようだが、明治の神仏分離によって現在地に移ったそうだ。
近づくと、時代劇に出てくるような雰囲気の周辺だ。
桧原神社は、人気無く、ひっそりと建っていた。大神神社の摂社の一つで、三輪山山中にある磐座を御神体としている。
この下に茶店があり、その裏手に井寺池という灌漑用の池があるので、そちらを周ってきてから、その茶店で昼食をとることにした。
※→「山之辺の道」[後]に続く