実施日:2021-02-18
天気:晴れ
同行者:鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー5人
[往電車]新鎌ヶ谷(8:06)--[北総線]--(8:11)白井
白井駅→(徒歩約15分)→白井市役所[wc]
バス(ナッシー号):白井市役所(8:40)----(8:47)神々廻(ししば)坂下
[復バス(レインボーバス)] 白井市役所(13:47)----鎌ヶ谷大仏駅
参考地図--白井市図書館の3Fにある郷土資料館で入手できます。(300円)
no.11 宿場コース--⑥白井宿場跡の建物や看板などはありません。
徒歩コース *wc/ 現場の訪問ポイントは、枝道への案内標識はゼロ。
従って、同じ道を何度も往復したりして、進行順序も逆になったりした。
白井局の窓口で旧宿場の建物遺跡を尋ねても答えは得られなかった。
ただ、ガソリンスタンド油藤屋の主人には鳥見神社への入口を教えて
もらったり、昔の街道の様子などを聞かせてもらって世話になった。
バス停→[神崎川]伊勢宇橋の碑(9:10)→(9:15)みたらし池(9:25)→道祖神→榛名神社(9:40)→道標→白井郵便局→GS油藤屋→白井斎場→10:10)鳥見神社(10:20)→GS油藤屋→秋本寺(10:45)→(10:55)そろばん博物館(11:10)→(11:15)中華・満漢福*(まんはんふう)[昼食] (12:00)→16号→(12:10)天満宮(12:15)→第1小校庭・上人塚(しし穴)(12:35)→(12:40)らーめん一芯→白井病院東端の道→(12:50)白井市役所*(13:00)→(13:10)白井図書館(13:25)→(13:35)バス停・白井市役所
Mapion 地図にソフトの「ペイント」で上書きして作成しました。
神崎川に架かる橋は白井橋だが、江戸時代は伊勢宇橋だった。
バス停・神々廻坂下で降りると、目の前が神崎川だ。橋の手前に土地改良記念碑が聳え、その下に伊勢屋宇兵衛碑がある。
『現在の茨城県稲敷市で生まれた伊勢屋宇兵衛は江戸で財を成し、社会奉仕事業として各地の道に橋を架けました。この橋もその一つで86番目に架けられた橋であることが石碑に刻まれています。』--しろい散策マップより
みたらし池--市指定史跡
現在の「みたらし池」
奥に見えるのが祠
榛名神社--『群馬県の榛名山を中心とする信仰にもとづく農業神で、市内では此処にしかありません。地元では「ハンナンさま」と呼ばれています。』
屋根や横板などが完全に朽ち果てていて、鈴も錆びて床板に落ちていた。
帰りに巨木をバックに写真を撮った。周囲に人の姿は無く物音一つも無かった。
此処から地図上の道標地点に戻り、そこから南下し街道の郵便局に出た。
no.11 宿場コースにある⑥白井宿場跡の看板?を探したが無い。〒に戻り、
中に入って局員に訊ねた。だが、そんなものは無いことが分かった。
止むを得ず、局から古建造物を探しながら街道を歩いた。そのうち、鳥見神社への入口も分からず通り過ぎ、気づいたらGS前に来ていた。
そこで、スタンドの職員に古い建物のことなどを訊いた。彼は店内からオーナーを連れてきた。我々がこのウオークの趣旨などを説明したら、親切に
昔の街道の様子などを語ってくれた。最後に鳥見神社への入口を教えてもらい、そちらに戻った。
鳥見神社--『市内に七ケ所ある鳥見神社の一つで、饒速日命(ニギハヤヒノミコト) を祭神とします。正徳3年(1713年)に建てられた鳥居は市内の石造鳥居では最も古いものです。(市指定文化財) 神社に伝わる懸仏も指定文化財です。』
鳥居の左柱に刻まれている文字に注目
上下二体ともそろばん美術館関係の石造であろう。
旧白井宿の痕跡--現在の本白井郵便局から児童館辺りまでの街道筋か。
昔の建物はほとんど立て替えられ、その痕跡を見つけるのは困難だった。
GS油藤屋主人が子供の頃までは、かなりの古い建物が残っていたらしい。
銅鉄の板金屋建物
秋本(しゅうほん)寺--保育園児が校内に入っている時に、特別に境内に入れてもらった。
そろばん博物館--
この「そろばん博物館」館長は、そろばん文化普及のため市内の各地にそろ盤道祖神?を建てているようだ。今回はその幾つかを行先で撮影するのも楽しみだった。
そろばんを弾く二宮尊徳像
或る墓地で見つけた異形の面
そろばん博物館の受付館員と話をしたり、周囲の石造の写真を撮ったりしてかなり時間を使った。時計を見ると11時を回っていた。すぐ隣に中華店があったので休憩所を兼ねてそこへ入店。中国飯店・満漢福(まんはんふう)と
いう店だ。今日は朝が早かったので丁度良かった。休憩・トイレ・昼食がいっぺんに済ませた。
天満宮--16号線のすぐ下にあった。昔は騒音とは無関係の環境であっただろう。
スノードロップ
(白井第一小学校の敷地内にある)上人塚--『上人塚は鹿嶋道(木下街道)沿いに分布する里程を示す塚の一つで、江戸時代初期に鹿嶋道整備の際に築造されたものと考えられます
(白井市HP)。』 古くは鹿などを捉える「しし穴」があったという話もある。
此処から木下街道に戻り、「らーめん一芯」の近くで白井病院の東側へ廻る道に入った。市役所への近道になるからだ。
市役所に着いてみるとバスの便が悪い。鎌ヶ谷大仏駅方面のバスには時間があったので、図書館3Fにある郷土資料館に寄ることにした。