元高校教師のブログ[since2007/06/27]

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吉田松陰脱藩の道から「21世紀の森と広場」へ

2007-11-09 04:07:47 | ウォーキング

 一昨日の天気予報では昨日も好天と報じた。そんなに天気が良いのなら、家に篭っていることはないと思い、急遽その気になった。

実施日:2007年11月8日
歩行タイム[*印はトイレあり]
 (説明板を読んだり、写真を撮るのを休憩と見なさなければ)休憩無し
 新京成・上本郷駅(8:10)---(8:15)風早神社(8:20)---(8:25)宮の下湧水地(8:30)---
  (8:40)カンスケの池(8:44)---(8:45)本福寺(8:58)---(9:00)明治神社(9:05)---(9:20)
  *松戸運動公園(9:35)---(9:43)土屋家・長屋門(9:45)---(9:50)香取神社(9:55)---
 (9:57)円能寺(10:00)---(10:05)安蒜家・長屋門---(10:10)「*21世紀の森と広場」南
 門--[散策]--森のホール(10:50)---(11:10)新京成・常磐平駅 

コースの要点
 風早神社の、道路に面した所に説明の石碑がある。1つは、昔ここに学校があったこと。他の1つは風早神社の由緒書きである。松戸地区では最古の神社らしい。
 参道の奥に本殿?があり、その前が広い空き地になっている。鬱蒼とした巨木が幾つも聳えている。脇の看板には10月に奉納される三匹の獅子舞のことが書かれている。↓

 この神社の後方の各丘陵の下部には、湧き水池が現在も残っている。初めのが下の写真の「宮の下湧水」である。昔は推量も豊であったろう。

 

 次が本福寺の下に湧き出る「カンスケの井戸」だ。鯉が放たれているが、立ち入り禁止の柵が廻らされている。

 此処から本福寺への坂道は、現在は下の写真のようだが、松蔭の頃はどのような道だったろうか。

 

 本福寺の狭い門前には、松蔭が追っ手の目を盗んで、ひっそりとこの寺に一泊したことを示す石碑や資料を貼ったガラスの掲示板がある。司馬遼太郎の文章のコピーも中にある。それを見ると、当時の松蔭の「脱藩の道」の苦労を垣間見ることが分かる。
 私のドライブマップにも載っているくらいだから、この寺は「切られ地蔵」でも有名なのであろう。良く見ると、顔から胸にかけて地蔵さんに傷みたいなものがある。

 明治神社に着くと、年配の女性が2人、境内の落ち葉の清掃をしていた。名前が変わっているので質問した。どうやら、明治になってから名前を変えたらしい。以前は地元の氏神様だったらしい。キンキラキンの、派手というか立派というか、古さが全く感じられない神社だ。裏に回ってびっくり。そうとうお金がかかった建物だ。こんな所に似つかわしくない。明治政府の影の意向が働いて、名称変更でもしたのだろうか。それ以来現在まで、宮内庁かどこかの、表に出ないお金で維持されているのかな、フトそんなことを考えた。隣の写真は、ここへ来る道端で撮ったものです。

  

  ここから専大松戸中高の前を通り、松戸運動公園に行く。その広い公園の東南の角から円能寺に向かう。土屋家長屋門、香取神社から、武蔵野線の上を通って円能寺に着く。

 

 円能寺からの坂道を下れば「21世紀の森と広場」に出る。その前に立派な安蒜家がある。

 広大な公園に南口から入ったのだが、この中からでも安蒜家の建物は目立つ。

 しばらく広大な公園の中を歩く。

 

  そのうち、小学生か幼稚園の集団がぞくぞく入ってきた。引率者としても、ここなら安全だから利用するのだろう。無料で身近な自然がいっぱいあるし。

 ここの里山も開放されていて、山道も歩けるのだが、今日は家で昼食としよう。常磐平駅まで歩いたが、駅の手前で色鮮やかなバラ群が迎えてくれた。鉄道線路と道路を、コンクリートの石柱の柵が隔てている。そう50m以上はあるだろうか、品種も形も色も様々なバラの花が、その柵と線路のわずかな空間の線路沿いにずらっと並んでいて、ジャスト見頃。お見事、世話をしているボランティアは、どなた達ですか?


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