そのころ私は青年教師として、学校のすぐそばに下宿していた。当時の茂原は田舎そのもので、夜の7時になると家々の雨戸は閉められ、町から明かりが消えて闇夜になる。
だから、町から人影もなくなり、夜一人で外へ出る者などいない。そんな時代に、私の授業を受けている一人のチョウコウ生が週に2回くらい、生い茂った庭の草を掻き分けて私の下宿に訪ねてきた。
あるとき、街中か何処かで、母親と会ったことがある。何しろ変わった子供なので、これまで、母親としては心配が絶えなかったのだろう。散々、礼を言われた。
急に「先生の所に行ってくる」と言って、夜一人で出て行って、いつまでも帰ってこなくても心配はしなかったようだ。家庭に電話など無かった時代だ。だが、都会と異なり、田舎では教師に対する親の信頼は絶大なのだ。
彼は、四畳半の私の下宿で、自分の進学のことやら、その日学校であった出来事など、何でも私によく話した。私は聞き役で、意見や感想など努めて言わないようにした。
彼は、いわゆる優等生とは程遠い。秀才型ではなく、もしかしたら天才型かも知れない。とても風変わりで、考えや言動が普通の生徒とはまるで違うのだ。
クラスに親友がおり、その親友と固い約束をしている。二人で東大を受け、どちらかが受かったとしても、辞退する----そういう約束を交わしているのだと。彼らなら多分そうするだろう。そこが、他の生徒と違うところだ。
体育の時間での話を語ったことがある。
「先生、おれ今日、××に殴られちゃったよ」---「どうして?」
「体育の時間、(親友の)○○と喋っていたらね」---注意されて、素直に謝らなかったらしい。
妙なリアクションでもしたのだろう。殴られそうになったので、彼はグラウンドを走って逃げた。
(例の小出義雄監督も知ってるように)、長生高校のグラウンドは広々としていて、立派な200m トラックもすっぽり納まるくらい。よせばいいのに、そのトラックに忠実に、ぐるぐると走って逃げた。中年の体育教師は、いくら野球部監督で鍛えているとはいえ、ゼイゼイ言って、高3の彼には追いつけるはずがない。
S君曰く。「こちらは適当に走ってはいるが、相手はああしてゼイゼイ言いながらも一生懸命に走っているのだから--」。教師の立場も考えて、「この辺でつかまってやろうか」と途中で走るのを止め、散々殴られて(あげた)、ということだ。
いかにもS君らしい。----私は途中でチョウコウを去ったので、その後、彼がどういう進路を選んだか知らなかった。
ところが、本日、ネットで偶然出遭ったのだ。ペンネームを幾つも持っていて、あまり本名を名乗らなかったせいだ。彼は小樽商大を出て、劇画の原作者として活躍したようだ。一冊の本が出来るのには、ストーリーを書く者と、それを画にする者、さらに、それらを編集する者、計3名の共同作業ということだ。
インターネットの検索欄に「菅伸吉」と入力すれば、その後の彼が出てくる。
もしかしたら、『ゴルゴ13』の或る話は彼が書いた部分で、それを私が読んでいるかもしれない。また、我家にある『美味しんぼ』のストーリーは、「彼の盟友」雁屋哲が書いたということで、これも何かの縁だろう。
残念ながら、菅伸吉は2004年の暮れにガンで他界したとのことだ。
なお、小学館で、あんなに本を出しているのに、出版に関するトラブルで、(ネット情報では)彼の葬儀に小学館からは一人も参列者が無かった、というのも、いかにも彼の葬儀らしい。