日時;2008-5-25(日)
天気;午前中は霧雨、午後は曇り後薄日
※単独行
【電車】 往;(ホテル→駅--[地下鉄・御堂筋線]---(8:06)天王寺[徒歩2分]大阪阿部
野橋(8:24)--{準急橿原神宮行き}--(9:02)当麻寺
復;二上山(15:49)---(15:59)古市(16:06)---(16:27)大阪阿部野橋(徒歩2分)天
王寺--[地下鉄・御堂筋線]--→
【コースとタイム】当麻寺駅(9:15)→當麻蹴速塚→(9:35)當麻寺(9:55)→(10:15)傘堂(10:25)→初田川親水公園→大池(10:40)→大龍寺→(10:55)祐泉寺→(11:40)馬の背→(11:55)大津皇子墓{二上神社の前で昼食}(12:20)→(12:30)馬の背→(12:40)雌岳(12:50)→(12:55)馬の背→ダイヤモンドトレイル→緑の鉄塔→(13:35)銀色の鉄塔(13:45)→(14:20){ダイヤモンドトレイル北入口}(車道)香芝・太子線→(14:30)穴虫峠→どんづる峯入口(14:35)→どんづる峯→入口(15:10)→(国道歩き)→(15:40)二上山駅
※以下の地図は「カシミール3D」をもとに「ペイント」で上書きして作成しました。
元となる国土地理院の「2万5千分の1」を見ると、山道がどうも異なるようです。特に、祐泉寺から馬の背への渓流沿いの登り道と、馬の背からダイヤモンドトレイルを辿り穴虫峠のある竹内街道のバイパスへ下る道は、両者とも地図にはありません。よって、自分の歩いた感じで、辿った道を地図上に(渓流も含めて)書いてみました(2通とも2008-5-28作成)。誤りがあれば指摘してください。ただ、現地の山中の案内標識を忠実に "trail" したことは間違いありません。
※最下段のバーを右にスライドして見てください。
【このコースを選んだ理由】
大和の桜井辺りから「山之辺の道」は数回歩いている。三輪山に朝日が昇り、大和三山との光の関係は良く知られている。その大和盆地から西の方角を見ると、双耳峰の二上山があり、その二つの頂の間を太陽が沈んでいく。昔から写真家がよく狙うスポットだ。 奈良と大阪の境にある葛城山から金剛山への山並みは、役小角(えんのおづね)が修行した所としても知られている。
二上山には大津皇子の墓もあり、前から訪れたいと思っていた。二上山へ登るコースはいろいろある。そのなかで、当麻寺と「どんづる峯」はどうしても欠かせない。そうなると、当麻寺駅から登って、どんづる峯へ下るしかないと分かった。
昔、五木寛之の『風の王国』を読んだことがある。今回、二上山を訪れるにあたって、読み返してみた。ストーリーの殆どを忘れていたが、「二上山・仁徳天皇陵・サンカ」のキーワードは忘れていない。
改めて読み返して分かったのだが、私が計画したコースと『風の王国』の主人公・速見卓の辿るコースが全く同じだと分かった。「ホトケノミナヲヨブ コトリ アヤシヤ タレカ フタカミノヤマ」が刻んであるという石碑にも、ぜひお目にかかりたい。
【当日の模様】
当麻寺の駅で雨の身支度をしながら、もたもたしているうちに、雨が止んだ。これ幸いとばかり、当麻寺へむかう。参道のようで、道の両側には、品の良い落ち着いた家が並ぶ。---また、霧雨になってきた---
途中、葛城市相撲館に寄り、地図をもらう。この辺りは相撲発祥の地ということになる。
柿の葉ずしの店の前を通った。『風の王国』の始めのほうで、主人公・速見卓が近鉄特急の中で青年僧と出会う場面がある。その青年僧が柿の葉ずしを車内で食べるのを見て、速見も柿の葉ずしを購入してしまう場面である。
当麻寺は元は豪族・当麻氏の氏寺であったとか。鳴門市に大麻町というのがあるそうだが、当麻氏が領内で大麻を栽培していたという記事を見たことがある。もしかしたら、当麻寺=大麻寺ではなかったのか?薬師信仰というのがある。苦痛がひどく、どんな薬でも治らない病も癒してくれるという信仰だ。それが麻酔である大麻に繋がるのではないか?
東大寺や法隆寺などと異なり、当麻寺は官製ではなく、民がつくった寺だという。真言・浄土二宗が並立しているのも民衆の寺なのであろう。
本堂で「当麻曼荼羅」を見ようと思ったが、かなり時間をとったので、先へ急ぐことにした。 仁王門に戻り、そこから傘堂を目指した。だが、見晴らしの良い小高い丘の道の割には道が分かりずらい。山道ならいいのだが、車道が多すぎるのだ。ちょっとした公園のような所に大津皇子に関する碑があった。
皇室の祖先ということで遠慮してか、ここでは持統天皇の名を出してない。大津皇子をわなに嵌めたのは彼女なのだ。 それにしても、大伯皇女(おおくのひめみこ)の弟に寄せる思いは尋常ではない。古代では、父親が異なるとか、母親が異なるという兄弟は珍しくない。この二人は実の姉弟である。だから---という解釈なのであろう。だが、「いろせ」などという言葉使いも気になる。
キノコみたいな傘堂という建物のところに着いた。ここまで、ここから先も、立派な車道が続いていて、二上山方面と出ている。ひょっとして、車で頂上まで行けてしまうのかも。
道路の横隣には山口神社、前には大池。ぽっくり信仰のある傘堂から大池の向こうにある車道を進むことにした。左手の小高いところに当麻池という釣堀があって、釣り人で賑わっていた。道路を挟んで小さなお寺があり、大龍寺とあった。 ここからは、車が1台しか通れない細い道となった。簡易舗装はしてあるが、傾斜のある鬱蒼とした山道という感じだ
左下は渓流になっていて、水かさを増して勢いよく流れ落ちている。右の崖からは振った雨水が噴出している。女性が一人、傘をさしながら私を追い越していった。私はあちこち撮影しているので、歩くのに時間がかかる。
祐泉寺に着いた。左は岩屋峠コース。私は直接「馬の背」へ出る右手の道を選ぶ。あの青年僧が電車の中でつぶやいた「アヤシヤ タレカ フタカミノヤマ--」(p.73)
が刻んであるという歌碑に、なんとしても出会いたいからだ。
祐泉寺からの谷道は「竜谷川コース」と云って、素晴らしいコースだ。暑い季節には小さな滝しぶきに触れて最高だろう。また一人女性が私を追い越して行った。足にスパッツを巻いている。山慣れた様子だ。
ところで、例の歌碑が見つからない。探しているうちにかなり時間をロスした。もしかして、もっと上なのかな、と思いながら登りを続けてしまった。谷筋の道は結構危険なので、軽装の女性は途中で断念したようだ。
相変わらず、右下の竜は暴れまくっている。この日のために沢歩き用の地下足袋を用意してきたのは正解だった。ところどころ、浅い流れの中はじゃぶじゃぶ歩いた。水を避けて歩くより、これのほうが安全だ。
もう一人の女性に追いついたころには歌碑の発見を断念していた。彼女に歌碑のことを訊ねながら、少し言葉を交わし、そのまま先へ失礼した。
※『風の王国』p.85
<岩屋峠ごえのコースを選ぶべきだったかな>
と、速見はすこし後悔しはじめた。しばらく歩くと、道の左斜面に、岩盤に打ち込まれたような石柱があらわれた。上のほうに四角な窓がくりぬいてある。
<これだな> 車中で若い僧が教えてくれた歌碑にちがいない。速見卓は石柱にちかづいて、表面に彫られた文字を指でたどった。-----[ 途中割愛 ]---------
<南無阿弥陀仏の御名を呼ぶ 小鳥あやしや>
で、どことなく語調がととのう。最後は、<ふたかみの山>
となっているから、どうやらつながった。
※この悪天候の中で、私はこの歌碑を見落としたようだ。「歌碑のことはフィクションだろう」という人がいるかもしれないが、私は歌碑の存在を信じている。
そこから、すこし登ったところで不思議な岩に遭遇。中央部のやや上に「ことり」という文字が私には見えたのだ。そうではないとしても、なんかの文字ではあるようだ。
雨が上がったころ、ようやく「馬の背」に這い上がった。見ると、どんずる峰への案内標識があり、下り道が確認できて一安心。すぐさま、雄岳へ向う。
先に二上神社に出、奥隣が大津皇子の墓。想像していたより地味だ。銅像もなく、周囲には人一人いなかった。天皇側の歴史では「謀反人」ということだが、宮内庁では無視できないのか、一応柵を設けて「管理」している。だから、中へは入れない。
『風の王国』にあるように、大津皇子の墓は大和平野を見下ろしていない。抹殺者の側からすれば、安心して眠れないないのであろう。それとも良心の呵責に苛まれるということか。大和に背を向けるようにつくれれている。
或いはまた、同書にあるように、(大和から見て)日が沈む二上山から西は死の世界。仁徳陵と同様、多くの大王墓のように、あの世で安らかに眠れ、ということか。
この時間帯は雄岳の頂上には誰もいなかったので、二上神社の前で「一人さびしく」コンビニおむすびを食べた。すぐに、雌岳へ向う。
雌岳の頂上には日時計があった。
再度、馬の背へ戻り、標識に導かれて「どんずる峯」へ向う。少し下ると、右へ行く山道があるが、そこではなく、もう少し先の標識のある所が下り道だ。
ときどき、ダイヤモンドトレイルの埋め込み柱があったので、道は間違えていないはずだ。だが、国土地理院の山道とは明らかに異なる。前者のでは太い林道のような道があり、もっと楽に短時間でバイパスに下れるようになっていて、降りたところが「どんずる峯」入口のそばになっている。
だが、標識に従うことにした。ダイヤモンド・トレイルとは(葛城・金剛の山並みを辿る)どんづる峯から槙尾山まで、総延長45キロの自然歩道のことだそうだが、金剛(山)に由来するネーミングであろう。
この道は尾根を歩き通すことにこだわっているようだ。多くある隆起もほとんど巻くことをせず、「こぶたん」の上を忠実に越えるようにしてある。だから、アップダウンの連続となる。ただ、道路のあるところより二上山のほうが高いのだから、平均的に言っても、どんずる峯入口の基点から二上山に向うほうが辛い筈だ。特に、夏はやめたほうがいい。私のように、二上山から基点に下るほうがよいであろう。
下りの終盤、尾根の上から竹内峠の方角を見たら、山が無惨な姿で削られている。そこだけ緑が無くなって、地肌がむき出しになっている。道路建設のためだろう。ブルドーザーやユンボも見える。
電車の音が聞こえ出したころ、ダイヤモンドトレイルは尾根道をはずれ、谷道を下りだした。穴虫峠に向うのかと思いきや、尾根の右ではなく、左斜面の道らしい。つまり、穴虫峠からますます離れていく。おまけに道の両側の斜面から水がどんどん流れこんできて、山道は小さなせせらぎと化した。もう、水の中をじゃぶじゃぶ歩くしかない。ここでまた、地下足袋が威力を発揮。
車道に降り立ったところに、ダイヤモンドトレイル北入口の案内板があった。
バイパス工事のため自然破壊が進んでいる。 どんずる峯入口にあるトレイル基点。
どんづる峯(ぼう)は屯鶴峯と書き、鶴が群れているようだ、ということから名がついたそうだ。左下の写真の場所から左に階段がある。そこを登って百メートルも進めば「現場」に出る。
この谷に入り、あちらの岩に這い上がり、こちらのピークにひらり(とはいかないが)、しばらくは役小角のように遊んだ。この白い岩壁の世界には私以外に人間の影すらない。
当初はこの中を歩き通すくつもりであったが、万一足でもひねって捻挫でもしたらと、(周囲に人影もないし)単独行の身であるので、自重した。
左手に奥へ進む山道があり、関屋駅方面へ向う(一般的な)道なのであろうが、 入口のある国道バイパスにもどり、二上山駅まで歩くことにした。
大伯皇女のうたといえば、多分最後に大津皇子の姿を見送った時のうたが、思い出されます。
わがせこを やまとにやると さよふけて
あかときつゆに われたちぬれし
うたは、うろ覚えなのですが、朝露のおりた野に立ち尽くして弟を見送っている情景が、胸に痛いほど鮮明に浮かびます。