---以下の内容です(一部)
「現在、新穂歴史民俗資料館で「高野喜久雄」に関する展示を企画準備しております。
ご存じかと思いますが、当地は氏の郷里であり、親族・友人に当てた私信などは集まってきているのですが、それ以外の資料は乏しいのが実情です。
------」
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ただ、佐渡市後援ではないことが、その後のやりとりで分かりました。担当者が一人で奮闘しているようだ。そのような状況で、佐渡市民でもない私がどう関わるか、大いに戸惑っています。
戦後詩の潮流の一つ「荒地」の詩人として、教科書にも載り、海外でも高く評価され、
ラクイラ国際文学賞やベルトリッチ国際詩人賞を受賞しています。
高田三郎とのコンビで、高野さんの詩は多くの合唱曲に取り入れられています。合唱に
携わる者なら「水のいのち」は誰でも知っているはずです。それらはYouTube で聴けます。
また数学者として、π(パイ)に関する「高野の公式」も作っています。
このような高野喜久雄を、島民で知っている人は皆無に等しいという。新穂歴史民俗資料館は、閉館の声も出ているとか。そのような風土には新しい文化は育ちません。
佐渡市当局は、どう考えているのか訊いてみたいです。
月1発行の市広報などはあると思う。そこに高野喜久雄の記事を載せる。(適当なのが
無ければ、末尾に乗せた私の文でもよい。)それを期に、最終的には、適切な場所に文学碑
などを建てる運動を起こす。---「独楽」と、その訳詩、とか「水のいのち」の楽譜と歌詞、これは長いので、核心の一部でいい。
「やわらかに柳青める北上の--」を求めて啄木の地、或いは「髪のみだれに手をやれば--」を聴きに塩屋崎に私が行ったように、観光客を呼び寄せる場所が佐渡にあるのだろうか?
金鉱の跡に潜り、「佐渡おけさ」を聴くだけでは、新規の客は呼べないだろう。(いくつかある?)歴史民族資料館を閉鎖していくような佐渡には、未来はないのではないか?
ここまで生きてきた私にとって、佐渡との接点は皆無に等しい。茂原時代に高野さんの他に、羽茂(はもち)出身の人と会話しただけだ。。北海道から沖縄まで、日本各地を訪れたが、佐渡に渡ったことは一度も無い。佐渡には、その気にさせる魅力が無いのではないかと感じている。
①入門編 笠木透の『私に人生と言えるものがあるなら』と高野喜久雄の『独楽』について
②高野喜久雄--手元にある詩集 の(p.17)「独楽」。これのほうが分かりやすい。
The Literary Review (autumn 1962), Fairleigh Dickinson University
Teaneck, New Jersey, United States of America / 「戦後日本文学特集号」