日時;2014-11-13
天気;晴れ
カメラ;ニコンのコンパクトデジカメ、COOLPIX S6600
同行者;鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー4人
電車;往きは鎌ヶ谷→船橋→小岩、帰りは柴又→高砂→船橋--(東武で鎌ヶ谷へ)
徒歩コースとタイム;徒歩約9キロ、*トイレ
JR小岩駅(7:55)→(8:25)善養寺(9:00)→江戸川土手(9:15)[休憩](9:35)→市川橋→(10:20)里見公園*[休憩](10:40)→(11:15)野菊の墓*[休憩](11:45)→(12:05)矢切の渡し(12:30)→(12:50)参道の店[昼食](13:45)→帝釈天→八幡神社(15:05)→(15:15)柴又駅
※このコースは、丁度一年前に歩いた→小岩・善養寺~葛飾・柴又~矢切の渡し~野菊の墓 そちらを見てもらえば、だぶる記事はかなり多いだろう。ただ、今回は市川橋を渡って、逆コースにした。
GPS logger "m-241" の軌跡をカシミール3Dの地図に読み込ませ、ソフトの「ペイント」で上書きして作成した地図です。次の拡大図も同様です。
私が子供のころの小岩は、水路が縦横に巡らされた湿地の田園が広がる辺鄙な田舎であった。蛇やタヌキも出るし、春には蛙の大合唱、秋にはアカトンボが群舞するという、自然そのもので、駅周辺だけに建物があり、その他は茅葺きの農家が点在していて、小岩駅から西を見ると、途中に建物が無いので、ずうっと見渡せたものだ。
それが、東京都23区に入るということで、今やすっかりと変わってしまった。区役所通りを
進んだ先にはドブ板に蓋をした「ベニスマーケット」があり、そこでは庶民の台所の材料を売っていたが、これも今や跡形もない。
小岩駅に栃錦関像があるが、この人でけは昔と変わらない。先日、BSジャパンで紹介された昭和通を行くと、なるほど、現代風の飲み屋に変わっていた。
千葉街道に出て、柴又街道を南に進み、少し先で左折すると、栃錦ゆかりの善養寺に着く。
菊祭りの最中だが、ここの「影向(ようごう)の松は東の横綱級の枝振りだ。
天明3年の浅間山の噴火では、犠牲者の死体が江戸川まで流れてきたようだ。
栃錦ゆかりの土俵の土を盛った小さな山から見下ろすと、影向の松全体像が見えるが、
善養寺の規模の大きさもわかる。
善養寺から江戸川堤に登ると、広大な景色が拡がる。向こうに聳えるのは、市川駅近くの
twin towers だ。そこの屋上からは都心方面が良く見える。
ここのグランドの前で女子生徒たちが運動をしていた。体育の時間なのであろう。訊くと
江戸川女子の中学3年生ということで、のびのびと走っていた。
前方に総武線の鉄橋が見えてきた。この先の階段で「おやつタイム」にした。
左手前方のビルは和洋女子大の校舎だ。
市川橋を渡ると、小学生の集団が、我々同様、小岩側から市川側に移ってきた。
どうやら、我々と同じ方向へ向かっている。200人くらいの集団だ。
里見公園の正門に回らず、ここから公園に上る。
里見公園では、バラが迎えてくれた。
里見公園を出て、野菊の墓文学碑のある西蓮寺へ向かったが、途中で栗山古墳群へ寄り道するのを、うっかり忘れてしまった。
「里見公園→野菊の墓文学碑」拡大図
西蓮寺の文学碑や国府台合戦などは、昨年の記事を読んでもらいたい。
西蓮寺から「矢切の渡し」に向かう河川敷には、広大な野菜畑が拡がっているが、ここの
ネギは「矢切ネギ」として、有名なのだそうだ。
「矢切の渡し」から帝釈天に出て、先に食堂に入った。その後、参道をゆっくりと散策し、最後に柴又八幡宮に寄った。ここは神社の起源を知る上で貴重だ。
→小岩から立石へ+葛飾柴又(その2)