元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

農業ふれあい公園から守谷城址公園へ

2016-05-06 22:26:18 | ウォーキング

日時;2016-05-05
天気;快晴
同行者;鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー5人
カメラ;pentax X90

往きの交通;鎌ヶ谷(7:29)---{(7:31)新鎌}---(7:48)柏(7:52)---(7:57)流山
   おおたかの森(8:02)---[つくばEX]---(8:11)守谷 //680円
  バス;守谷駅東口(8:25)---(8:35)さくらの森公園 //210円

徒歩コース 約9キロ。*トイレ
 バス停→(8:45)さくらの森公園(9:05)→(9:25)文化財公園(9:45)→市之代橋→
  小貝川・稲豊橋→(10:30)農業ふれあい公園*(11:00)→姫宮神社→(11:30)やすら
  ぎ苑(11:40)→会田記念病院→同地公民館・薬師堂→金崎橋→(12:25)守谷沼→
 城址公園*(13:10)→(14:00)守谷駅{駅ビル内の店で遅い昼食}
 ●みずき野の東端にある排水路に沿って北上を試みたが、道はだんだん怪しくなり、
   最後には藪の中に消えてしまった。それで、もと来た道に引き返えすことになり、時間
  を大幅にロスした。よって、上記のタイムは、かなりいい加減になった。


排水路(画面右手)の道に沿って進んだが、行く手が藪に阻まれて断念。
元の車道に戻るところ。


文化財公園にあった石碑。「原日本民族居住遺跡」と読める。
 納豆売りの少年・相沢忠洋の岩宿の発見で日本にも旧石器時代があったことが明ら
かになった。だが、それより37年も前の明治42年(1909年)に郷州原の森(現、守谷市
みずき野)で、地元の収集家・石田庄七によって旧石器が発見されている(郷州の発見)。
 すると、この辺りには旧石器人が住んでいたことになり、これを「原日本民族」と表現し
たのだろう。

 この公園から小貝川まで立派な車道が森の中を北上している。眩い新緑の森とウ
グイスの声を訊きながら進むゆるい坂道は、まるで軽井沢の森の道のさわやかさだ。

 小貝川に架かる稲豊橋に着いた。橋を渡り対岸の土手道には快適な遊歩道があり、
右に往けば間宮林蔵記念館だ。だが、この橋からだとかなりの距離なので、本日はパス。
 川のこちら側には土手道が無い。農園は何処かと、左に折れる道を探したが、なか
なか見つからない。地元の人に尋ねてやっと「農業ふれあい公園」に到着。

 中で農作業をしていた人によると、守谷市が管理する公園で、園内で見かける人は
皆、市から畑を借りているとのことだ。農園の奥の茂みに円墳があった。近くに10基
前後の古代円墳があるそうだが、皆私有地内なので、見れなかった。小貝川周辺は
平将門の支配地であったから、その碑も近くにあるとの情報だが、これも私有地内か。

以下4枚は農業ふれあい公園で撮影。


池の端に見えるのはシャクナゲだ。


姫宮神社への道も分かりにくかった。いなだ姫が祭神のようだ。


ゴルフ場かと思ったら、「やすらぎ苑」という火葬場・斎場だそうだ。ここで休憩を兼ねて
お茶タイムにした。


やすりぎ苑と道を挟んで、かなたの小貝川土手をバックに記念撮影。


会田記念病院の先を左折する4m道路を行くと、瑠璃光薬師堂があった。


薬師堂となりの「同地公民館」


市之代橋から排水路沿いに守谷沼へ向かう。


この日は、あちこちで田植え作業が見られた。


守谷沼から守谷城址公園内に入る。


本丸から出口へ降りていく。その後、守谷駅まで歩いた。
 守谷城は、千葉氏の流れをくむ下総相馬氏の城であったが、後に徳川家康軍に
よって滅ぼされたという。

駅ビル内の店で遅い昼食を摂りながら、今後の月間予定などを話し合った。


「つくばエクスプレス」ホームから出て行くタイミングに合わせて記念撮影。
このために、わざわざ次の車両に乗った。 


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