《かけ声としての「ヤベェ」》
この言葉もいまだにしぶとく生き続けている。これは昔はヤバイと発声していた。大昔、日本に耶馬台国があったと学校で教わっている。近畿説もあるが、私は九州説だ。一般的には、ヤマタイコクと発音する。だが、耶馬渓でも分かる通り、耶馬はヤバ。耶馬台国の人々は自分達をヤバイと言っていた。それで、なにかと団結の印に、ヤバイを連発していた。それがいつのまにかエの民の血が混じり、ヤバイ→ヤベェに音韻変化した。耶馬台国はもしかしたら、アの民が中心だった可能性がある。エの民はアの民より言葉が汚い。うるサい→うるセェ、きたナい→きたネェ、うマい→うメェ、おマえたち→おメェら、という具合だ。話はそれるが、森鴎外の「阿部一族」は、ヤベ一族の祖先だろう。アの民は九州から瀬戸内海を経て、千葉県海岸へと進出して、アフ島→大島、アワ→阿波・安房のように、各地に地名を残していった。エの民も彼らと行動をともにし、江田島、江の島などの痕跡を残していった。
ヤバイと言ったら、その人はアの民の末裔で、ヤベェと言ったら、エの民の末裔と思っていい。だが、あくまでもヤバイが先で、日本のことをヤバーンと昔は言っていたくらいである。現在の Japan は、ヤバーンやヤポンの名残である。
[使用具体例]場所設定:某高校のトイレで生徒が順に見張りを立てて、タバコを吸っている。そこへ、向こうから生徒指導部の山田先生が廊下を歩いてくる。見張りの生徒の第一声。
(a) やや不良の生徒:「大変だ、山田先生が来るぞ」
(b) アの民末裔の不良:「ヤバイ、山田が来る」
(c) エの民末裔の不良:「ヤベッ、センコーだ」
[更に、エの民との会話]場所は某高校の廊下。時は昔、(伊藤四郎らの)脱線トリオが活躍していて、その一人がTVのCMで、カレーの宣伝をしていた。その中で「ハヤシ(ライス)もあるでよ」が受けていた。或る生徒が喫煙でつかまった。トイレで待ち伏せをしていた教員に見つかったのだ。みっちりしぼられた「指導期間」終了後、登校してきたその少年Aが廊下を向こうから歩いてきた。私はこちらから近づいていく。二人の距離はどんどん縮まる。周囲には他に誰もいない。一瞬緊張が流れ、すれ違いざま目線を合わせず、少年Aがぼそぼそっとつぶやいた。「キタねぇーぞ」」。私もぼそぼそっとつぶやく。「そうかなぁ。俺の地図にはミナミもあるでよぉ。」----これ、ノン・フィクション (2,000年1月7日)