●人類消滅後の地球
◆https://www.youtube.com/watch?v=O3_eOdlTJHo
https://www.youtube.com/watch?v=EGB0v_SEiQE
2010/04/10 にアップロード
◆くろねこ
人類だけが消滅すると言うことはどういうことが起きたときだろうか?
人類が死滅するようなことが起きるとすれば、他の生命も多大な被害を受けそうです。
◆からうり
下に世界中の核打ち込んでも地球は自然治癒力で再生するって言ってる人がいるけど、
そんなことしたら環境どころか地球自体が壊れて地球じゃなくなるよ。
惑星と呼べるかもわからないかもよ?w
◆大輔
実際には人間が瞬時に滅ぶと言うことは核戦争が起きない限りないはず。人類滅亡までは早くて数千年以上の時間が必要。ということは、この動画の内容は当てはまるのかな?この番組は一瞬で人類がいなくなったということが前提になっているように見えるのだが・・・
◆iyopfm
チェルノブイリ付近は植物に覆われて動物も復活したかもしれないけれど、放射能はまだ強く残っているよ…(´・ω・`)
◆柚子猫
人間は人間がただの動物の一種、ってことを忘れてる気がする。ほんのたまたま2本足で立ったおかげで脳が大きくなって、他の動物より多めの知能を手に入れられただけ。ほんの偶然。
◆SyoShinozaki
人類がいなくなれば地球が「救われる」というのも一つの偏った信仰ですよ。考えようによっては、人類だけでなく、動物や植物さえも地球にとって害悪で、あらゆる生命がいないのが地球にとって最善の状態だ、とも考えられるでしょ?逆に、仮に地球がもの凄く汚染されて人類も住めないようになったとしても、そのときにはその環境に適合した別の生命が繁殖することになるだけでしょう。これらのうちどのような状態になろうが、地球そのものは痛くも痒くもないと思いますよ。実のところ、地球の巨大さに比較したら、人類も動物や植物も本当にちっぽけなもの、人体で言えば皮膚のほくろ程度のものでしかありませんから。「人類や動植物がどうなろうと、地球そのものにとっては知ったことじゃない」これが正解だと思います。
◆おとし どな
あのさぁ・・・ 1年で植物の力で建造物破壊できるって言ったよね? チェルノブイリ原発事故で壊れてない建造物があるんですけれど....
◆monoris2008
いや地球は全然ダメージ受けてないしいままで色んな環境変化があって大絶滅が起きてるし、その結果として今の地球環境があるが、どんな形であれ地球はずっと地球だったしこれからもそう。
◆shima
人類が、ってより白人が、だな白人がいなけりゃ良き世界だった…たぶん
◆tomomi
軍艦島を 思い出しました・・ 何だか切ないですね
◆konakonayukai
興味深いですねこういう動画こういう仮想も参考にして、私たち人間も資源の使い方や環境に大して見直さなければなりませんね
◆shill0804
緑豊かな大地~ってのも、定期的に繰り返される氷河期の間のインターバル期間に過ぎないんだし、地球が救われる、なんて考え方自体がおこがましいのでは。
『図説 死因百科』 - マイケル・ラルゴ 著 -
人はいつか死ぬ――そしてそこには死亡理由が必ず存在する。
おなじみの成人病や戦争などから、安楽死、厚底靴、巨大イカ、宇宙人、出会い系サイトまで……。 ...
膨大な死亡記録を渉猟した著者による、いっぷう変わった死因を集めた「読む事典」。
アメリカでは年間に
3人がワニに食われて
30人がスカイダイビングで
40人がサソリに刺されて
143人が落雷で
1795人が救急車の事故で
3761人がマスターベーションで
この世を去っている。
そんな様々な死因を「明るく紹介」♪
国益を毀損させ続けてきた東京大学の重罪
軍事=戦争という短絡思想が、無責任すぎる軍事忌避を生んだ
2014.06.02(月) 森 清勇
「産経新聞」は平成26(2014)年5月1日および15日付で、東京大学の「軍事忌避」について報道した。それによると、昭和34年の評議会で軍事研究を禁止し、42年には外国軍隊からの資金供与を禁止したとされる。
評議会決定の結果であろうか、旧帝大で東大のみが自衛官の研究科(修士課程および博士課程)への受け入れを拒否してきた。
筆者は拙論「東大卒に率いられてしまった日本の不幸 防大卒よ井の中から飛び出て日本再建の先兵となれ」(2012.1.13)で、安全保障が国家の基本でありながら疎かにされており、各官庁の東大卒幹部職員は自分が所属する省庁の利益確保に血眼で国益を毀損していることなどを論じた。
日本の官僚組織は「省益あって国益なし」と批判されてきたが、そうした状況を率先してきたのは多くが各省庁の幹部となった東大卒官僚たちであった。内閣人事局の発足で、省庁横断の人事や卒業年次にとらわれない柔軟性ある人事で、国益に資することを期待したい。
最高学府にこそ安全保障講座が必要
安全保障は国家存立の基本である。外交で安全が保持できれば言うことはないが、現実世界はむしろ軍事で安全が担保されていると言っても過言ではない。その観点からは日本の安全や平和は憲法が担保しているというのは少し違うのではないだろうか。
平和憲法という美名のもとに自分の国を自分で守ることをしてこなかったから、今日のように自国の領土である尖閣諸島などが侵犯されても十分な対処ができないでいる。
静かな環境で教育や研究ができればそれに越したことはないが、そうはいかない現実が安全保障分野の学問・研究を必要としている。どの国でも安全保障が最大の関心事であり、最高学府には安全保障や軍事に関する講座があるのが通常である。
軍事は戦争を前提にしており、そうした自衛官を受け入れるのは、およそ学問の府には似合わないという考えもあろうが、3つの意味において間違いである。
1つは自国の安全は自国で守るという意識の欠如である。敗戦直後の日本は食べることで精いっぱいで、相撲は他人にとってもらってきた(すなわち国防は米国に依存してきた)。これは例外的なことで、本来独立国家としてあるべき姿ではない。
2つ目は軍事についての理解不足である。古来勢力均衡(バランス・オブ・パワー)という考えがあるが、特に核兵器が出現して以降の冷戦構造は端的にそのことを示していた。今日、軍事は戦争を起こさない抑止力として機能する面が大きく、そのためにも勢力均衡が不可欠となっている。大学は学問的な視点から追求する任がある(のではないだろうか)。
3つ目は安全保障に直接的に関わる自衛官ではあるが、安全保障などに関わる講座がない環境下で、純粋に科学技術や研究管理手法などを学ぶことを目的にした自衛官を忌避する間違いである。
日本が二度と立ち上がれないようにと米国から軍隊非保有の憲法を押し付けられ、これを奇貨として戦後の大学では安全保障に関わる学問を排除してきた。しかし、何事も安全あってのことであるから、安全は誰かに保持してもらって、最高学府の大学、就中東大は象牙の塔にこもって知らんぷりを決め込んできたのではないか。
旧軍将校を受け入れた東京帝大
旧軍時代は国際社会全体が帝国主義の時代であり、軍人は尊敬され博士よりも大将を目指す風潮があった。士官学校で恩師の軍刀を拝領する優秀な将校の中には、技術で貢献してくれないかという声がかけられて困惑する者もいた。博士号を取っても技術将校では大将にはなれないシステムであったからである。
ともあれ、東京帝大にも員外生として軍人が送り込まれ、優秀な技術将校として育っていった。しかし、そうした成果が有効に活用される機会は少なく、結果的には米国の技術と物量(いわゆる兵站)を背景にした戦略・戦術に翻弄され敗戦に至った。
余談であるが、多くの重要な技術は元来軍事用に開発されてきた。レーダーは英国がドイツの空襲を予知するために開発したものであり、(カーナビの元になっている全地球的位置システムと呼ばれる)GPSは米国が世界に展開した軍隊の通信指揮用に開発したものである。原子力発電も当初は原爆として米国を中心に英加が秘密裏に開発したものである。
日本も八木アンテナなどの素晴らしい技術を開発していたが有効に活用することができなかった。しかし、こうして蓄積された軍事技術が戦後の日本では民間技術として拡散し、「技術立国」をもたらすことになる。飛行機や宇宙システムなどへの素材や部品供給、新幹線開発などに日本の技術力がいかんなく発揮された。
軍事用に開発された技術を民間技術に応用することをスピンオフという。例示すればきりがないが、今日身近なところに応用されているものの1つにノンステップ・バスのニーリング(車高昇降装置)がある。車いすや高齢者などの乗降を容易にするために、乗降口が低下したり傾斜したりする装置である。
これは走行中の戦車が高い命中精度で射撃できるように、地形の凹凸に応じて姿勢を上下させ、戦車砲を定めた目標に維持するシステムの応用である。
今日は民間技術が高度化しており、過酷な運用条件に耐える抗堪性が求められる部位・部品以外は、経費節減などの観点から逆に民間技術が装備品には多用されるようになっている。これはスピンオンと呼ばれている。
自衛隊幹部の受け入れを忌避した東大
自衛隊幹部が東大研究科へ受け入れられなかったのは、大学が軍事忌避の方針をとった時期と一致している。
産経新聞は「『学問の自由』を事実上制限してきた」と述べるが、それは学内の関係者についてのことである。もっと広義には自衛官排斥という、沖縄で自衛官の子弟が入学を拒否されたのとはいささか異なるが、一種の差別であり人権問題ではなかっただろうか。
防衛大学校は幹部自衛官を養成する防衛庁(当時)傘下の大学であったが、文部省(当時)の大学設置基準にのっとり設置され、単位などは基準を満たしていた。そのうえで、幹部自衛官として必要な特別教育や各種の訓練は夏季・冬季等の休暇を活用して行われた。
技術・兵站を重視する自衛隊は、防大に研究科がなかったこと、そして海外の大学院への留学は経費がかさむことなどから、技術幹部養成のために旧帝大に送り込むことにし、東大を除く各大学は受け入れてくれた。
技術幹部を目指す自衛官は、主として東北大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の研究科を受験したが、前述したようにどの大学にも安全保障講座などはなかったので、各大学の院生が履修する科目を受講することが主体であった。
東大が自衛官の受け入れを拒否したのは「軍事研究はもちろん、軍事研究と疑われるものも行わない」とした評議会での方針に従ったものであろうが、そこには「自衛官=軍事研究(と疑われるもの)」、と短絡した考えからであろう。
「DINKS」という言葉がある。Double Income No Kidsの略で、共働きで裕福であるが子供を意識的に持たないセレブな生活観のことで、結婚して日が浅く子供がいない夫婦や、何らかの事情で子供を持てない夫婦などは含まない。若い時は精いっぱいエンジョイして、老後は他の家族が苦労して育てた子供に支えてもらう無責任なスタイルである。東大は正しくこのDINKSであったのだ。
反戦的な当時の構内
昭和30年代後半から40年代前半はベトナム戦争反対や日米安保条約延長阻止などの運動が盛んで、全学連の動きが報じられない日はなかった。筆者が履修した昭和41年、いわゆる1966年は京大構内でも毎日のように、学生団体などの騒ぎが起きていた。
学生と教授陣の団体交渉や、学生団による総長吊るし上げが常態で、総長たちは精神的にも肉体的にもくたくたになり、侍医から注射を受けながら対応する凄まじい状況をしばしば目撃した。東大安田講堂事件などもその後に起きた。
筆者は偶々日常生活に欠かせないエネルギーに関心があり、行く行くは枯渇すると言われていた化石燃料に代わるものが欲しいと思っていた。そこで、核融合に関心を持ち、研究することにした。全く民生的な意識である。
学生運動は主として学部の活動であったが、構内が騒々しくては勉学に相応しい落ち着いた雰囲気にはなり難い。また安保改定絡みでもあり、短絡的には軍事や戦争問題ともみられていた。
筆者は学部学生から「自衛官が核研究」とか「戦争準備」などの批判を受けた。階段やトイレの正面にはビラが貼られ、七夕の短冊には牽牛や織姫に代って「自衛官は去れ」なども登場し、批判の対象にされたりした。
自衛官を受け入れた大学ではいろいろな問題が生じていたことは確かである。履修2年目に、在学中の課程のみ保証する旨の伝言があったと記憶する。こうして修士課程の我々は博士課程への進学は認めないなど一段と狭き門になったが、大学当局は自衛官に期限付きながら勉学させるという方針を貫き通したことは確かである。
全体的に反戦的な雰囲気が漂ってはいたが、安全保障は国家の基本であり、その直接的な担い手である自衛官の受け入れを否定しなかった学校当局はあっぱれであったと思う。
東大のみは軍事忌避から、自衛官を受け入れた他の大学の苦労など知る由もなく、唯我独尊か夜郎自大か知らないが、国家の存立に関わる問題から逃避していたということになる。
おわりに
『偕行』2012年8月号は「南京事件」を特集している。その「各論4」で歴史研究家の溝口郁夫氏は第2次世界大戦時の米陸軍参謀総長であったマーシャル元帥が終戦直後の1945年9月1日に出版した『戦闘報告書』の翻訳に絡む経緯を考究している。
最終章は「日本は奉天、上海、真珠湾、バタアンにおける悪逆に対し充分なる償ひをさせられてゐるのであった」(46年8月発刊の最初の翻訳本)と書かれていた。
ところが、1946年5月に東京裁判が始まり、7月には南京陥落時に城内にいた欧米人や中国人が召喚されて日本軍の悪行を証言し始める。こうして、東京裁判および南京裁判では南京事件で虐殺30万人などと騒がれるようになる。
その結果を反映するかのように、同11月発刊の別の翻訳本では「日本は南京、奉天、上海、真珠湾及びバタアンにおける反逆に充分なる代償を拂はせられつヽあった」となる。
原書にない「南京」が3か月後の翻訳本に幻のように現れ、しかも時系列的には「上海」の後に来るべきであるにもかかわらず、「奉天」の前に追加される混乱ぶりである。この翻訳をしたのは東京帝大中退の堅山利忠氏である。悪逆非道の日本にした原点とも言えよう。
溝口氏は、「アメリカが戦後に創作した南京大虐殺」に「左翼的日本人が密かに協力していた事実」を忘れてはならないと警告する。
東大の軍事忌避は政界や言論界で一層の影響力を発揮し、戦後日本のレールを敷いて国益を毀損させ続けてきたのではないだろうか。
【ソウルから消えた日本人客、今さら「来てね」と言われても】
中塩 秀樹
.「ソウルから消えた日本人客、今さら「来てね」と言われても絶対に行きません!」
「来てほしくもありません!」
2014.6.2 11:36 [日韓関係](産経ニュースより)...
今年の春以降、ソウル市内でタクシーに乗ると「日本人の客が少なくなった」と運転手からぼやかれるようになった。観光スポットの一つである南大門市場で、“お得意さま”である日本人観光客に韓国のりや高麗人参を売る店の経営者からも同じ話を聞いた。
“韓流ブーム”などで2009年に年間305万人を超えた訪韓日本人は、12年には351万人余と過去最高を記録した。
しかし、日本政府観光局によると、昨年韓国を訪問した日本人は274万7750人で前年より21・9%も減った。日本人50万人以上が訪問した国の中では韓国の落ち込みがもっともひどく、中国が18・2%減でこれに次いでいる。韓国銀行によれば、今年の第1四半期(1~3月)の日本人観光客も昨年同期より20・8%減少。ゴールデンウイーク期間も同様で、韓国文化体育観光省の発表では4月26日~5月6日の日本人観光客は10万1924人で昨年より14・5%少なかった。訪韓した観光客全体では0・6%減少の中、日本の数字は目立っており、韓国の「対日旅行収支」は赤字だ。
同時期に訪韓した日本の閣僚や政府関係者らは、韓日議員連盟の議員から「日本人観光客が減っている。どうにかならないか」と相談されたという。実際、韓国の財界人からも同様の懸念を耳にしたことがある。
訪韓日本人の減少について韓国では、円安傾向の影響とする見方が多い。また「08年秋のリーマン・ショックで円高が始まってからの数年間、訪韓する日本人観光客が飛び抜けて多かっただけ」という見方もある。しかし、円安の問題だけなのだろうか。今年1~4月に海外へ行った日本人は昨年より4・4%減少したというが、なぜ韓国に来る日本人が突出して減っているかが問題なのだ。
さきほども書いたように、12年は過去最高の日本人観光客を記録した年だったが、実はこの年の8月に李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)が、大統領として初めて竹島(島根県隠岐の島町)を訪問、上陸し、日本人の国民感情を刺激した。翌13年に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領も、外国訪問などでの各国首脳との会談で、直接、間接的に歴史認識問題をめぐって日本批判を繰り返してきた。こうした執拗(しつよう)かつ露骨な姿勢は当然、われわれメディアを通して日本に伝えられる。とくに大統領の語調や表情、態度がどんなふうであるかは映像で如実に伝えられる。
3月下旬にオランダ・ハーグで行われた日米韓首脳会談が記憶に新しい。会談の冒頭、安倍晋三首相が朴大統領にたどたどしいながらも、わざわざ韓国語であいさつした。ところが、朴大統領は反応せず、安倍首相と視線も合わさなかった。この態度は、日本に甘い顔を見せない大統領として、韓国国内向けとしてはよかったのかもしれない。だが、この様子は世界に伝えられ、多くの日本人も見ていた。
訪韓する日本人が激減した原因が、円安なのか日韓関係の悪化なのかは断定できない。ただ、ここ2年足らずの韓国大統領の反日発言を振り返ると、日韓の関係悪化が確実に影響していると思わざるを得ない。
「日本人の観光客が減った」と嘆く韓国の財界人や観光関係者ら現場の声に対し、筆者は「日本で韓国製品の不買運動があるわけでもない。大統領の態度を見て、韓国に来たいと思う日本人がどれだけいるでしょうか」と答えている。
日本人の韓国観の変化に気付いている韓国人は少なくないが、表向きは問題視されていないようだ。おおっぴらに問題視したくないのかもしれない。(ソウル支局編集委員・名村隆寛)
新興国が先進国になれない理由(3)嘘つきが得をする世界
ワイルドインベスターズブログ
理由の3つめは、嘘つきが得をする世界だからです。
...
先進国では、まず正直であることが教育されます。
それが科学技術を発展させ、社会をスムーズに回します。
大きな事故が起こったら、真実を突き止めて再発防止に努めます。
社会を発展させながら、リスクを最小限にしてゆくメカニズムが働くのです。
科学技術の世界では、嘘は大きなマイナスです。
嘘をついても真実にはたどり着かず、むしろ進歩を阻害します。
欧米諸国は科学技術で他国に先んじたために先進国になったのです。
その土台である「真実の追究」を台無しにする行為はタブーとされています。
学者が嘘や剽窃(文章の窃盗)を行えば、アカデミックな道で成功することは絶望的となります。
先進国では小さな罪のない嘘は見逃されても、大きな嘘は裁判で通用しません。
様々な「事実」と突き合わされて「真実」が明るみに出ます。
しかし嘘の証言をすれば罪に問われ、おかしな判決を出した裁判官は職を失うことになっています。
もちろん人間が判断するのですから、間違いもあります。
先進国でも嘘が後になってバレたりします。
世間で嘘がまかりとおっていることも多々あります。ということは、うまく騙し通した嘘も山ほどあるのでしょう。
それでも先進国では、「嘘は良くない」とされています。
すぐバレる下手な嘘は信用を失います。
現実はともかく、少なくとも表面上は正直で誠実な人物でなくては出世できません。
ひとりひとりが正直であることで得をし、同時に豊かな社会の恩恵を受ける仕組みになっているのです。
しかし、新興国は違います。
正直者は馬鹿を見ます。
嘘をついて誰かを陥れ、生き延びなければ自分が殺されます。
そもそも真実なぞ誰も求めませんし、殺された後でたまたま無実が証明されても意味がないことです。
それ以前に新興国では、支配者が一番の嘘つきだったりします。
嘘で功績を横取りし、嘘で罪をなすりつけ、嘘で国を支配します。
国のために働くふりをしながら私腹を肥やし、家族と財産を海外に逃がします。
自分の国や国民のことを全く信用していないのです。
それを支える支配階級もまた嘘つきだらけです。
誰も真実を求めていないので、解決策を考えるより他人の責任にしたほうが楽です。
事故で人が死んでも、責任のなすりあいが優先します。
その間に多くの国民が死んでゆきます。
それでは、新興国の人が先進国に移民したらどうなるでしょう?
そのうち半分は良いところに来たと感謝して、一生懸命働きます。
先進国では正直と勤勉が報われることを知っているからです。
もともと正直な人は先進国の文化にすぐ馴染み、その国に貢献します。
その結果、移民を受け入れた国はますます繁栄します。
しかし、そんな移民ばかりではありません。
もう半分は騙しやすいカモばかりの国に来た気付いて、自分の国の支配者と同じことをしようとします。
嘘で罪をなすりつけ、嘘で利益を横取りし、嘘で国を支配しようとします。
その危険性に気付いて移民制度や教育制度を立て直した国は健全でいられます。
それに気付かなかった国は移民に乗っ取られて滅びます。
先進国と新興国には大きな壁があります。
それは「嘘つきが損をする世界」と「嘘つきが得をする世界」です。
その違いに気付かぬまま移民を受け入れたら、先進国であってもその座から滑落します。
「人はみな同じ」「話せばわかる」などと幻想を持たず、根本的な思考回路の違いを理解しておきましょう。