●戦雲アジアの女王 新東宝映画
◆https://www.youtube.com/watch?v=LJvsUTo8xU0
1958年、新東宝映画/シネスコサイズ/カラー/95分
監督/野村浩将
出演/高倉みゆき/高島忠夫/丹波哲郎/中山昭二/宇津井健他
◆三等兵
新東宝は、昭和20年代は文藝映画を製作して名作も結構生み出したようですが、昭和30年代に入るとエロ、ホラー、バイオレンスに走り、結局昭和36年倒産してしまいました。
でも、その後新東宝の俳優達はテレビに進出し、昭和30年代後半からのテレビドラマ黄金期を支えたようです。それは、テレビ局側にとっても、俳優の手っ取り早い供給源として幸いしたのではないでしょうか。この戦雲アジアの女王も、傾き出した頃の新東宝の雰囲気が感じられないでもないですね。
◆キャスト(役名)
高倉みゆき タカクラミユキ (川島芳子)
高島忠夫 タカシマタダオ (山野英介)
江川宇禮雄 エガワウレオ (川島浪速)
丹波哲郎 タンバテツロウ (田代少佐)
古川緑波 フルカワロッパ古川ロッパ (板倉大佐)
宇津井健 ウツイケン (王謹明)
中山昭二 ナカヤマショウジ (中田軍曹)
三重明子 ミエアキコ (春蘭)
御木本伸介 ミキモトシンスケ (小六)
岬洋二 ミサキヨウジ (万順柱)
信夫英一 ノブオエイイチ (王蓮風)
泉田洋志 イズミダヒロシ (張英俊)
大谷友彦 オオタニトモヒコ (蘇炳文)
細川俊夫 ホソカワトシオ (長富)
川部修詩 カワベシュウジ (橋口)
◆解説
棋本捨三原作の「或る女の終幕」を関沢新一と小野沢寛が共同脚色し、「湖水物語」(大映)の野村浩将が復帰第一作として監督したスペクタクル映画である。撮影は「憲兵とバラバラ死美人」の山中晋が担当した。主演は新人高倉みゆきと「ひばりが丘の対決」の高島忠夫で、助演は江川宇禮雄、宇津井健、古川緑波、中山昭二など。色彩はイーストマンカラー。
◆ストーリー
清朝の王族粛親王の第十四王女として生れた芳子は、幼少時を日本人川島浪速の養女として育てられた。養父や関東軍参謀板倉大佐は、美しく成人した芳子を蒙古王子カンチェルチャと政治結婚させようとした。が、芳子は彼女の乗馬の指南役山野少尉を恋していた。陰謀家田代少佐は、二人の仲を割こうと、山野少尉に奉天の特務機関へ転勤を命じた。傷心の芳子にむかって、浪速は日本と満洲と支那とを結ぶためと諭し、蒙古王子との結婚を承諾させた。その結婚式の夜、王宮に蘇炳文馬賊の一隊が襲撃し、王子は敵弾に倒れた。一人残された王妃芳子はその美貌と才智により部下の信望を集め、金司令として三千名の安国軍を統率することになった。芳子は蘇馬賊の兵器入手ルートを探るため、部下一人を連れ敵地にのりこんだが、捕えられた。その隣の室には、部下中田が捕えられたのを助けに来た山野中尉が、やはり捕虜となっていた。その夜、三人は逃亡に成功したが、途中で中田は死に、山野と芳子は散りぢりになった。芳子に板倉大佐が武器調達を許可したことを知った田代少佐は、山野にその輸送隊を爆破せよと命じた。何も知らぬ山野は輸送隊を襲い、謹明に捕った。謹明は山野の銃殺を金司令(芳子)に迫った。芳子は、板倉大佐へ山野引取りを頼み、その護送隊が帰途についた時、蘇馬賊の一隊が襲いかかった。陰謀露顕を恐れた田代少佐の依頼だった。それを知った芳子は安国軍を連れ、山野救出に駈けつけた。馬賊は逃げ去ったが、山野は弾を受けて死んだ。山野の内ポケットから、昔日の二人の写真が出てきた。芳子は王宮の近くの丘に、彼の墓をつくった。--田代少佐は責任を問われて自決した。
◆高倉 みゆき http://urx.nu/8IRC
本名:東道子(旧姓:和田)、昭和9年(1934年)3月28日 - )は日本の女優。旧芸名は本名の和田道子。千葉県銚子市出身
◆人物・エピソード
『明治天皇と日露大戦争』(渡辺邦男監督)の大ヒットで味をしめた大蔵貢社長は、矢継ぎ早に『天皇・皇后と日清戦争』を制作決定。嵐寛寿郎に再び天皇役を打診したが、アラカンは高倉の皇后役起用に反発、「昭憲皇太后こんな人やない、まるでイメエジ違う」と大蔵社長に言ったところ、大蔵社長は立腹し、「ワシの女やから、気品がないというのか? よし、見ておれ!」と無理やりに起用。さらに『明治大帝と乃木将軍』でも皇后役に起用、これでマスコミに高倉と大蔵社長の関係がばれてしまった。「女優を妾に」発言はこのとき出たものである。アラカンは「言わんこっちゃない」とこの騒動を振り返っている。
新東宝の俳優だった高橋勝二によると、当時大蔵貢社長と高倉の関係は社内では知る者はあまりおらず、高倉の抜擢をねたむ女優はいたが「公然の秘密」めいたものはなかったという。大蔵社長が高倉や女優たちを銀座のバーなどに呼んで接待させることはよくあった。また、小川欽也監督によると、大蔵社長は最後まで高倉のことが好きだったそうで、夫人に隠れて高倉の出ているテレビや雑誌をいつも見ていたという。
明治天皇役の嵐寛寿郎が史実より若干年長だったのに対し、史実では40~50代だった昭憲皇后を20代半ばで演じている。
◆高島 忠夫(たかしま ただお、男性、1930年7月27日 - )http://urx.nu/8IRL
日本のタレント・俳優・司会者である。本名は高嶋忠夫(読み同じ)。所属事務所は東宝芸能。