志位和夫氏が委員長となり、市民と野党の共闘を推進していった。志位氏は「相手を見くだしては相手もこちらを尊重しない。相手を尊重する気持ちを大切にしよう。」と言った。日本共産党は前々から準備していた候補者をおろしても野党共闘を貫いてきた。このような「統一と共闘」はしだいに全国に広がっていった。東北8県の7つの県で野党共闘が自公政権側に勝利していった。 その後、政治状況は変わっていった。共闘をくんだ野党が踵をかえすように反共産党のスタンスをとっていった。
だがこれは、市民と野党の共闘が勝利すれば、反共闘側の政権与党はこの発展を破壊するために表面に出ない部分をふくめて反動のエネルギーは一気に噴き出してゆく。 私は志位和夫氏の「寛容と共闘」の政治方針は、画期的なものだったと考える。同時に政治に人間的な寛容や協同を提起したことは極めて価値があると考える。
一時的に共闘が破壊されても、民衆の側の抵抗はガンジー研究を起点に非暴力闘争を提唱したジーン・シャープ(1928~2018)の『独裁体制から民主主義へ』のように、時代の精神としていつか必ず草の根から湧き上がってくる。江戸期の文化史を専門的に研究する田中優子元法政大学総長は、「一揆」の合理性、目的をたて遂行されればそこでいったん一揆をやめ日常に戻るパターンなどを示し、「現代の一揆」を構想し研究を進めている。
日本共産党が政治的情勢に危機に遭遇しても、現実の経験から新たな活力をくみ出していくだろう。
最近『希望の共産党 期待こめた提案』を読んだ。内田樹・有田芳生・池田香代子・木戸衛一・佐々木寛・津田大介・中北浩爾・中沢けい・浜矩子・古谷経衡この10人の発言論考は実に独創的であり自主的である。同事に、著書出版社あけび書房発行者の岡林信一氏は、神戸を拠点に「市民社会フォーラム」を結成して長年市民運動を創造的に組織運営した実践的知識人である。彼が東京まで来て市民講演会を開いた。2度参加して、一度は芝田進午氏の哲学を私が報告したことがあった。島崎隆・牧梶郎など同人『葦牙』の理論家も傍聴された。岡林氏は日本共産党に近いが、市民社会の思想と実践を日常的に市民の日常的暮らしの基盤で運営されていった。 この出版物が松竹伸幸氏らと同じ傾向としてとられているようだが、もっと長く深い土壌がある。
そして、志位和夫氏が市民と野党の共闘を推進するなかでいっそう発展していった営みでもあった。
さて、日本共産党は危機を脱するために実践を重ねている。「市民と野党の共闘」は。選挙では日本共産党が地力をつけ、「ふたたび歌え」(中里喜昭氏小説―多喜二・百合子賞受賞作品)。ちまちました籠の中から、日本国民と共同しリードしてゆく時はいま。
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