皆さま、お元気でしょうか。今年も田植えの季節が近づいてきました。
(撮影地:福岡県)
近年後継者不足で耕作の放棄、相続での農地の持分も放棄が相次いでいるそうです。
確かに農業で生計を立てていくには、並大抵の努力ではできないような状況です。これから日本の農業はどうなっていくのでしょうか。
経営が成り立たないような小規模になったのには理由がありそうです。戦後民法が改正され、兄弟姉妹の均等相続で広大な農地の維持が難しくなったことも原因のようです。
豪農と言われるような家でも主な遺産が農地であった場合、相続するには、相続人が子だけであった場合、子の数で土地を均等に分割するしかないこともあります。いわゆる「田分け」です。言霊(ことだま)を研究しているユーチューバーが話していた言葉です。戯け者(ふざけてばかげたことをする人)に通じるような嫌な言葉です。
今のご時世、相続の持ち分を辞退する人はいないでしょう。もらえる権利のあるものは平等にもらいましょう、と考えるのが普通だと思います。家の農業を守っていくために農業を継ぐ人に土地をあげてもいい、と考える人は少ないようです。
「平等に」という考えが邪魔をしているようです。これについて興味深い記述がありました。
『非ユダヤ人の中の識者ですら、自然は「理と性格と才能とを不平等に創造したのであるという自然法則に気づかなかったのである。だから、自由、平等、四海同胞なる語は、盲従的な我々の識者によって、全世界に宣伝され、幾千万の民族を狂気の旗幟(はたのぼり)に近寄らせたのである。この標語(自由、平等、博愛、四海同胞なる語)は、”平和・安寧・一致”を破壊し、国家の基礎を覆したのである」(第一議定書より)』
※「ユダヤの世界支配戦略」山蔭基央著(マネジメント社)(1991年)より引用しました。
民法の平等という言葉によって、「家」の制度は相続時にも破壊されていったのです。「家」の制度がなくなり、新しい社会を作って行くのだと希望を持った人も多かったと思います。ところが、とんでもない、からくりが仕組まれていたのです。
これからは、相続時には遺言書を用意して平等の魔術に惑わされないようにしなければ、と真剣に考えています。公平さも平等と同じように大切なのです。
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