行田市荒木という所に「天州寺」があり、聖徳太子像があるそうですが、その胎内にあったのが大江季光(毛利)の法名の墨書銘だったそうです。なぜそこにあるのかを探ってみました。
まずは源海という僧に登場していただきます。
源海は藤原鎌足の末孫で、俗姓日野真夏11世安藤駿河守隆光と称する武蔵国豊島郡荒木村(現・埼玉県行田市)を領する鎌倉時代の坂東武者で、武州児玉党の随一といわれていた。
(源海 平安時代-鎌倉時代 の僧・源海(1164-1253)。武蔵国の坂東武者の生まれ。)
https://kurobe56.net/ks/ks0041.htm
荒木源海年譜
西暦 和暦 月 日 記 事
1164 長寛 2 安藤隆光、武蔵国荒木で誕生
1200 正治 2 安藤駿河守隆光、出家し、親鸞聖人に入門。法名:源海
1245 寛元 3 ? 荒木源海(俗名:安藤駿河守隆光)、鵠沼に清光山(鵠沼山)萬福寺(浄土真宗)を開基創建
1250 建長 2 万福寺開山=源海、寺を真弟(実子で僧職継承者)誓海に譲り故郷武蔵国荒木に帰る
1253 建長 5 10 22 万福寺開山=源海、故郷武蔵国荒木で遷化。享年89
以下は万福寺(藤沢市)のwikipediaからです。
鵠沼山清光院万福寺と号し、僧源海が寛元3年(1245年)開山・創建したという真宗大谷派(東本願寺系)の寺である。親鸞の弟子として師に仕えていた源海が寛元3年故郷へと志したとき、聖人の形見として、聖徳太子自作といわれる太子像(木像)を譲られた。帰りの途中江の島の岩屋に参篭し、夜の波間に浮遊する光るものを取り上げ、立像の阿弥陀如来を感得したとされる。霊場をもとめて砥上ヶ原にきた源海上人は、鵠(クグヒ・白鳥)の棲む沼地の一方を埋めて、一宇を創立し鵠沼山万福寺と号し、かの尊像阿弥陀如来を安置し、開基創建したと語り継がれている。寺務5年の後、真弟誓海に譲り(真弟とは実子で僧職を継承すること)、故郷荒木に帰り建長5年(1253年)10月22日89歳にて遷化した。
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俗姓日野真夏とありました。
日野氏ということは、藤原氏です。
日野氏の祖であった人物が藤原真夏と言います。
聖徳太子の像は以下のファイルにある写真の像と思われます。(10頁)
http://www.gyoda-shimindaigaku.net/pdf/6-1_rekishi_bunka_b.pdf
自作ではなく「慶禅」の作だったということが天州寺の記事にあり、以前もご紹介いたしましたが、再び記しておきます。
天洲寺の木造聖徳太子立像は、用明天皇の病気平癒を願う太子十六才の姿を写した孝養像で、髪をみずらに結い、香炉を持つ姿をしています。寄木造、玉眼、彩色からなり、胎内の墨書銘から、寛元5年(1247)関東評定衆毛利四郎季光(法名西阿弥陀仏)の発願により、大仏師法橋慶禅が鎌倉の地において造像したことがわかっています。季光は、鎌倉幕府確立に功績のあった大江広元の四男で、この像の作成目的は、仁治3年(1243)に没した執権方丈泰時の往生極楽を願うことにありました。
制作年代のわかるものでは最も古く、作は雄渾無比の鎌倉初期の様式が明確に表われています。運慶様の作風が忍ばれると共に、宋風も表われた優れた孝養像です。 聖徳太子の命日にあたる二月二十二日に、毎年例大祭がおこなわれ、この日には太子像を拝見することが出来ます。(行田市教育委員会掲示より)
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天州寺の大江季光の銘が胎内にあった像は、この時に鵠沼から武州荒木出身であった「日野真夏11世=安藤駿河守隆光=源海」によって運び込まれたものであろうと思われます。
親鸞の持っていた「聖徳太子の像」だったようです。
なぜ親鸞の持っていた像に「大江季光」の銘が胎内にあったのでしょう。そこは次回に書きたいと思います。
また、この天州寺他、行田市周辺のいろいろなことに詳しいページを見つけましたので、ご紹介したいです。
http://osimeisyo.blogspot.com/2012/01/blog-post_9597.html
そして鎌足さんと真夏さん、そして日野さんとたまたま文字で出ただけかもしれないのですけど隆光って文字も意味深ですよ、個人的には。
各時代に調べていた事が懐かしく思います。色々と繋がる時期なのでしょうかね?
鎌足の一族では必ず中に守られている女系のルーツがあるはずなんですよね。サカを持つプログ主さんと繋がっているならそれも嬉しい限りです。
藤原という名字にこだわるとトラップにはめられるように思うので中臣とか中原とか藤とか原とかそれぞれ分割してそのミックスと考えるといろいろ面白いことになるんではないか?と。
なんせ人間って違う所に生まれた男女がくっ付いて生まれるんですからね。元は兄妹から始まったとしてもそれぞれ違う背景持つからこその強みってあるはずで、DNAもさらにグレードアップするはずだと信じてます。
てっきり聖徳太子なので奈良とか近畿かと思いきや関東にってのも面白いですよね。鎌倉あたりに何か考えた方々いると思いますよ。
それぞれが自分の背景の関わりを調べると色々な真実も見えてくるでしょうね。
関東も大抵源氏かその前は聖武か推古からの伝説的なお話以外にもいっぱいその時代ごとに関わりあるはずですよね。9401
コメントありがとうございます。(2)には、関東の親鸞の活躍がわかるような記事のアドレスも入れておきました。皆さまのいろいろな記事をつなぎ合わせてのブログとなっておりますが、このつなぎ合わせでもわかることがあるものなのですね。
調べていて、非常に面白かったです。こちらもよろしくお願いいたします!