伊勢にいる私は無我夢中でした。
祓川で禊を受け祝詞を上奏する日々。神に奉仕させていただき自分という概念を忘れるくらいに。
でも我が背子…大津のことを忘れたことはないわ。不思議だわ。自分を忘れてしまうというのにそなたのことは忘れられない。
川の水って近江の湖と比べようがないほど冷たいの。痛いの。骨が砕けるのかと思うぐらい。
夏も冬も変わりないの。
ただしばらく川の水に委ねていくと感覚もなくし何もない自分がいるの。神の前では何も持たないことを知らされるの。この世に生まれてきた時何も持たずに送り出させられたように。
でもそのふとした瞬間、そなたを思い出すと全ての感覚が戻り痛み、悲しさが押し寄せつらくなる。
神の御心から私が離れてしまったことに気付かされるの。
何度も祝詞をあげ神に許していただく、そんな毎日でした。
都からの雑音は聞こえてきます。ただそなたに会いたい。そうすれば迷いはなくなる。いえ、会えばもっととこの我欲がそなたを潰してしまうかも知れない。困らせてしまうかもしれない。
ただそなたに忘れられているようで辛い。
姉上のいる東の空を見つめています。陽は西に傾くからこそ東の彼方にいる姉上が心配でならない。
どんな女をこの腕に抱こうともあなたの面影を追う自分がいることはわかっている。
ただでさえ同母の姉であり、神に仕える美しい、清らかな女性。禁忌を犯しあなたを破滅させたくはない。もちろん姉上にとって我は昔の記憶にいる幼い弟でしかない。どこかで姉上は弟以上の感情を我に持ってくれているのではと何の根拠もないのに自惚れている自分に呆れてしまう。
我は何故この都にいるのであろう。姉上のようにこの国に何の役に立ちたい。苛立ちばかりが募る。
外国の話を聞かされてもこの大和に当てはめるのは違う。風土や民の気質が違いすぎる。
天皇皇后は何と自分たちの御代で制度を作り上げようとされている。まだ浅学な我には役不足だ。
ただ外国の詩には惹かれる。天紙風筆画雲鶴 山機霜杼織葉錦
…無限に広がる天を紙に見立て、思うがまま吹く風を筆にし我の目の前におこる現象を描きたい。雲間に佇む鶴。山がもたらすさまざまな現象、霜でさえ、葉に添え錦に見立て描きたいものだ…
そんなおおらかな生き方が我には合うのだろうかとも思う。
政治の世界は非情だ。
圧倒される。ただ民と力を合わせこの国を住み良き場所にし、民が誇れる国にするのでは駄目なのか。
他国も憧れるような自由でおおらかな国。この国に住む民にこそ相応しい秩序。
自分の役目が何なのか問いかけるばかりの毎日。
姉上に会いたい。我はそのような気持ちを持ってはいけないのに。