たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子2

2018-11-19 22:07:33 | 日記

伊勢にいる私は無我夢中でした。
祓川で禊を受け祝詞を上奏する日々。神に奉仕させていただき自分という概念を忘れるくらいに。
でも我が背子…大津のことを忘れたことはないわ。不思議だわ。自分を忘れてしまうというのにそなたのことは忘れられない。

川の水って近江の湖と比べようがないほど冷たいの。痛いの。骨が砕けるのかと思うぐらい。
夏も冬も変わりないの。
ただしばらく川の水に委ねていくと感覚もなくし何もない自分がいるの。神の前では何も持たないことを知らされるの。この世に生まれてきた時何も持たずに送り出させられたように。

でもそのふとした瞬間、そなたを思い出すと全ての感覚が戻り痛み、悲しさが押し寄せつらくなる。
神の御心から私が離れてしまったことに気付かされるの。

何度も祝詞をあげ神に許していただく、そんな毎日でした。

都からの雑音は聞こえてきます。ただそなたに会いたい。そうすれば迷いはなくなる。いえ、会えばもっととこの我欲がそなたを潰してしまうかも知れない。困らせてしまうかもしれない。

ただそなたに忘れられているようで辛い。


姉上のいる東の空を見つめています。陽は西に傾くからこそ東の彼方にいる姉上が心配でならない。
どんな女をこの腕に抱こうともあなたの面影を追う自分がいることはわかっている。
ただでさえ同母の姉であり、神に仕える美しい、清らかな女性。禁忌を犯しあなたを破滅させたくはない。もちろん姉上にとって我は昔の記憶にいる幼い弟でしかない。どこかで姉上は弟以上の感情を我に持ってくれているのではと何の根拠もないのに自惚れている自分に呆れてしまう。

我は何故この都にいるのであろう。姉上のようにこの国に何の役に立ちたい。苛立ちばかりが募る。
外国の話を聞かされてもこの大和に当てはめるのは違う。風土や民の気質が違いすぎる。
天皇皇后は何と自分たちの御代で制度を作り上げようとされている。まだ浅学な我には役不足だ。

ただ外国の詩には惹かれる。天紙風筆画雲鶴 山機霜杼織葉錦
…無限に広がる天を紙に見立て、思うがまま吹く風を筆にし我の目の前におこる現象を描きたい。雲間に佇む鶴。山がもたらすさまざまな現象、霜でさえ、葉に添え錦に見立て描きたいものだ…
そんなおおらかな生き方が我には合うのだろうかとも思う。

政治の世界は非情だ。
圧倒される。ただ民と力を合わせこの国を住み良き場所にし、民が誇れる国にするのでは駄目なのか。
他国も憧れるような自由でおおらかな国。この国に住む民にこそ相応しい秩序。

自分の役目が何なのか問いかけるばかりの毎日。

姉上に会いたい。我はそのような気持ちを持ってはいけないのに。

我が背子 大津皇子 1(一部校正)

2018-11-19 04:25:54 | 日記
二上山が金色を染め静かに闇に包まれていく。
この風景を何度見つめ私は幾星霜生きているのだろう。

あなたは何を私に伝えたかったのだろう。

無言のあなた。我が背。

あなたとの時間があった。

でもそれは真実でない、嘘でもない。誰も知らない時間があっただけのこと。

後の世の人たちにあなたは悲劇の皇子と千数百年経った今でも呼ばれている。
そして私は同母の姉であるのに弟を愛し、愛された姉と世の人は憐れんで悲劇と書く。
違う、違うのにね。ただの弟であれば我が背、我が弟背となど歌で詠めない。

そなたの母上である持統天皇は悲しい誤解を受けたままおいでです。聡明な皇子を死に追いやった冷徹な女帝と千数百年疎まれている。そんなことは大したことではないとあなたの母上は笑っておいでです。彼の寺にある自分たちの姿を見れば誤解はいずれ解けるでしょうにの一点張り。
ただ誤ちを信じたければそうするがいいと涼やかに笑っておいでです。
歴史書などその時の為政者にとって都合良く現実を曲げるのを目の当たりにしてきたではないのって。
さすが幾多の国難も正々堂々と受け入れられた持統天皇です。ただ夫天武天皇皇統をそなたのために継なぐという形をとられた天皇です。

そうです。そなたのは母は持統天皇。実に愛された皇子でした。私の母大田皇女でない。
我が父天武天皇とそなたの母持統天皇はそなたと共に彼の寺で祀られています。
そなたを第一皇子とお認めなさっている。そこにおいでになる聖観音様はそなたによく似てる。持統天皇は二上山をそなた自身とされたけれど、まだうつせみにあった私はそなたの面影を思う時何度この御顔を観てはあなたとの時間を思い出し慰められたことか。

彼の寺に龍神が祀られている。そなたの守護である龍神を祀り、そなたがどれほど尊い人であるかをお示しくださっているのにね。
そなたは祟ったりなどはしない。そなたが民のことを考えて行動出来る皇子であり民もそのことをよく知りそなたを慕っていた。そんな我が背が怨霊などにはならない。
そなたの母上持統天皇の第一皇子は草壁となっているけれども彼の寺に草壁皇子は存在しない。
どうしてもそなたを悲劇にしてしまわないと溜飲が下らないらしい。

困ったものね。あなたは天皇、皇后である両親を助け国政に臨んでいた。
ただそなたは自由が欲しいな、漢詩を読み、姉上と毎日を大切に過ごせたらそれでいいと言ってくれていた。多くは望まない。みんなが幸せになれるよう自分は必要なものだけが最低限あればいい。民が貧しいとしたら自分は欲張ってないか、民が食べるもの、着るもの住む場所、時間でさえも自分は必要以上に奪ってないかと気にする人だった。

正直申せば草壁皇子の執念も困ったものでしたね。そなたのものは全て自分のものにしておかねばならないと済まない皇子でした。母上のことも私のことも。あと大名児もでしたかね。いつものお人好しでそなたも悪いのですよ。意地になり色艶のある歌を郎女に送ったのも草壁の自尊心を傷つけたのですよ。

皇子、私たちは禁断の恋などではありませんでしたね。

禁断というのであれば、ただ私が斎宮であったこと。父、天武天皇がそなたの母持統天皇より愛され早逝された大田皇女であり、成長していく私に母大田皇女の姿を求め道を外すことなかれとそなたの母上持統天皇が伊勢に私を遣わし斎宮とされただけのこと。

私が伊勢へ出立する前日の夜そなたの母上持統天皇は私の元をわざわざお訪ねになられました。私はまだ13歳。何故そなたから離れて遠くの伊勢へ行くのか理解出来ませんでした。
父上に「そなたこそ我が一番可愛い娘なのだ。わかるな」と仰いましたがわかりかねますとは申し上げにくかった。

幼いそなたは「どうして私たちが離れ離れになるのか、天皇、皇后にお聞きしても答えてはくださらない。」と私に泣いて訴えていましたね。私も理解でないままそなたには「仕方ないのよ、大津、天皇皇后のお二人が考え抜かれた結果なのだから。」と冷静に言いましたが私とて心が引き裂かれそうだったわ。

「我慢なさいませ。大伯皇女。」静かな口調でそなたの母皇后は語り出しました。
いつか都に戻り大津皇子と添い遂げられるようにしますと仰ってくださいました。
私は、私の心が大津にあるとご存知であったそなたの母上に驚きと恥ずかしさを覚えて、ただ黙ってしまいました。けれども何故そのように仰るのかただ知りたくてそなたの母皇后に申し上げました。

「皇后さま、いくらなんでも私たちは大田皇女の同母姉弟ですよ。」

「大伯皇女、早くにあなたの母大田皇女を亡くされた小さなあなたが不憫で、天武さまと私の息子大津の姉としました。そなたの弟として大津を可愛がってもらうことにしました。天武さまもあなたがそれで寂しくないのであればいいのではないかと仰いました。
先の変で我が父天智天皇を欺くににも好都合でした。内親王である大田皇女の第一皇子とした大津、皇女である大伯皇女あなたを近江朝廷に残すことで我が父天智天皇は、これで天武は二度と近江に現れまい、朝参出来まいと油断いたしましたから。そなたたちを父天智天皇は目に入れても痛くないほど可愛がってくれていましたしね。そなたの母の大田皇女を早くに失くし少し後悔もあったのかもしれませんね。あんなに慎重で思慮深い数々の政敵を葬ってきたのですから。そなたたちを大田皇女の忘れ形見の姉弟にしたのは天智天皇を欺くための一つの方法でした。」

「私と大津は異母姉弟…初めて知りました。しかし父である天武天皇が畏れ多くも薨御されないと私はこの浄御原に戻れないのでは… 」あまりに畏れ多くも聞かずにいられませんでした。

皇后は優しく微笑まれ「心配なさいますな。なんとでも方法はあります。近江朝の手前まだ公にできない。そなたたち二人がいることで近江朝であったものたちの不満分子をおさえているにですから。
大田皇女を亡くしたあなたの後ろ盾になる人はいない。それは大津皇子も同じこと。しかし然るべき時が来れば大津は我らの皇子であると宣言しましょう。 そして斎宮として神に仕えていたこの世でもっとも清く得難い妃を妻とすることで大津の立場は磐石なものとなり天武天皇の皇統は続いていくでしょう。
大田皇女の妹としても大津の母としてこんな嬉しいことはありません。」
と仰いました。

「しかし持統さま…あなたさまには草壁皇子がおいでです。」

「大伯、残念ながら草壁は天皇の器ではありません。生まれながらに身体が弱く、気が弱い。優しくていいところもあるのに他の皇子と比べ劣等感から卑屈になりやすい。そのくせ第二皇子と周りからはもちあげられる。可哀想です。天皇は激務です。下手に政治の中央に引っ張り出すことが草壁にとって幸せだとは到底思えない。とても天武さまの皇統を続けられると私には思えない。天武天皇のそばにいるから我だからこそわかるのです。年齢からしても大津の方が上です。」

「でも肝心な大津の気持ちがわかりません。」

「あんなにそなたを慕っている大津を。時間が経つとあなたは姉大田皇女に似て美しくなる。大津が本当のことを知ればあなたを異性としてみるのは火を見るより明らか。
大津は聡明です。」

「大津と離れる時間が必要なのですか。」

「悲しいことですが、父天武と離れることが大切でしょう。
私は天皇をお慕いしています。しかし最近たかがはずれたかのような妃の入内にはどう思われますか。この夏もそなたと年が幾ばも離れていない采女を妻にしました。嫉妬を超えて呆れてしまいます。
大津も大伯ともども離れるのは試練でしょう。その試練を乗り越えた時お互い手放したくない相手となるでしょう。吉野に隠遁していた私たちがまさにそうでした。我が父天皇、近江朝廷から逃れていた時私たちは本当に必要な関係なれたと思います。試練が絆を深めてくれるのです。そなたたちがも遠くでも支え合うのです。精神を高め、絆を確かなものにして欲しい。そして国難に立ち向かう大津を支えてやってほしい。しかし私は吉野からずっとそばにいるのでいて当たり前で今では鬱陶しがられておりますわ。今も若い妻のところにいらしているのでございましょう。」

「そんなことはありませんわ。皇后さま。
父上はお側に皇后さまがいてくださるから安心して政治に打ち込めるのですわ。」

「私は天武さまの皇統を守りたい。わがままを言えば私との子から願いたい。
別腹からの皇統は御免です。私の意地と笑わないでおくれ。」

「いいえ、皇后さま。私は皇后さまの深い御心を知りませんでした。大津を支えるにはまだ頼りにならないことがよくわかりました。
ただ頂いたお役目を務めてまいります。持統さまのご期待にそえるように。」

「よくぞ申してくださいました。」その時皇后さまの美しい切れ長の瞳から光るものがありました。

伊勢に出立する朝、大勢の人が送ってくださいました。その中で美しいそなたがまだ幼顔で涙をこらえ見送ってくださったこと昨日のことのようにまた思い出してしまいましたわ。

朝晩、露が雫となる季節が今年も巡ってきたわ。
そなたの眠る二上山が金色に染まる。私はこの風景が私が見てきた世界で一番美しいと思うわ。
そなたと私の世界が広がっているわ。良い人、悪い人、名もなき人たち、逝った人たちはみんな仏となり自分の生き様を誇らしく微笑んだり苦笑いしているわ。みんなそれぞれいいお顔をしているわ。嘘ではないわ。