
* 梅の花が咲き始めました。
2月11日(水)
おやっ!今日は何の日だったかな?
と、気づかぬぐらい、今日が何の日なのか存在感が湧かない。
こんなことを言うのは『非l国民』かな?
そうそう、この言葉も昔のものになりそうだ。
子供の頃(戦時中)登校する。モーニングを着た校長先生が天皇陛下の御真影、つまり写真を大事に捧げ、天皇のお言葉(勅語)を恭しく述べる。
その間、子供たちは首を下げて、長いお言葉が早く済まないか(?)と鼻をすすりながら聞く。
これは、他の人ではなく、自分が体験した思い出である。
校長先生の長い長~い講話の後も、子供達には、まだ緊張は続く。
国歌『君が代』に始まり、紀元節の歌が始まる。
♩ 雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世を あほぐけふこそ楽しけれ🎵
と、2番まで歌う。
子供の頃は歌の意味が分からなかった。
ただ、学校へ式のために出席して、その後、紅白のお菓子をもらって帰るのが楽しみであった。
しかし、それも戦争が激しくなると、お菓子はもらえなくなった。
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この日本国の誕生日(神武天皇の即位日)とも言える祝日が、戦後の日本史についての疑問から占領軍の意向で紀元節が無くなった。
しかし、その後、紀元節復活の動きにより『建国を記念する祝日』となった。
(正直に言うと、なんとなく存在感のないものを感じる私だ)
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と、いうわけで、今も建国記念日に対する賛否両論が行われている。
先日、高校生の社会科の選択科目についての話題が出ていたが、世界史を除く、日本史や地理についての習得率は、僅かなものであると出ていた。
これは由々しき問題であると思う。
これから社会で活躍する若者が、自国の歴史や地理を学ばずに、どうして世界へ目を向けたり活動出来るだろうか?と、私は思う。
そういえば、私の時代には日本史の学習はあったが、なんとも、戦前戦後の違いが余りに大き過ぎて、どれを信じて良いのか分からなかった事を覚えている。
そういうわけで、自然に、世界史への選択へと回った自分の事を思い出す。
今にして、あの大きな過渡期に現れた日本の歴史をもっと学ぶべきであったと、残念に思う。
ところで、今日のニュースを見ても、この『国民の祝日』が軽く見過ごされているような気がする。
なんのための祝日か?不思議でならない。
最近の世界の情勢を見たり聞いたりしていると、この平和な?国、日本の国民として、このままでいいのだろうか?
一見、幸せ(苦しい事は沢山あるが、とにかく、他国に比べて平和である)に見える日本の国民として、真剣に考え行動しなくてはと思う。
紅白のお菓子はいらないが、せめて、建国の日(2月11日)の意義を真剣にとらえて、自分なりに考え行動したいものだ。
子供たちと、その親たちも、これからのあり方を考える日として過ごして欲しいものである。
昼間は暖かだった。しかし、今夜も寒そうだ。眠れると良いが…