髄膜炎の方が2ヶ所の病院で風邪と診察をされて、
病院の回想 続く
重症と言うニュースを聞いて、
若いのに……
気の毒な……
息子の髄膜炎になった時の経験、
人に話していたら、
色々思い出しました。
長文になります。
最初にかかった近所の町医者の対応は、
息子に障害が残ったら、
流石の私も……。
髄膜炎と診断されるまで、
4日間の経緯を残します。
息子小2
水曜日風邪の症状。
木曜日学校を休み近所の開業医へ受診
穏やかな医師です。
この日の医師の診断結果は
「尿に風邪の菌が入ったのでは?」
採尿して診断
「まだ出てませんがそのうちに出るかも」
=通常の風邪
風邪薬をもらったのだと思います。
翌金曜日はご飯も食べれない。
水も吐いてしまう。
同開業医に電話だったのか、再診に行ったのか定かではありませんが症状を伝えた→
薬を飲んでも全く良くならない。
嘔吐下痢の症状、
今までに38.5℃以上の熱でも、
こんなにぐったりしたことが無いと告げ対応を聞く。
「様子を見るように言われる」
終了。
夕方もう一度電話をした。
「何も食べれてないし、
水も吐いてしまう。
点滴をしてもらえませんか?」
と電話で告げる。
看護師←医師に断る事も無く
「今からだと点滴が遅くなるから明日の朝来てください」
私………💦
(息子はどちらかと言うと痛みに強かった。
2歳の時転んで、
保育園の下駄箱に額をぶつけ、
5針縫った。
縫った時、
毎日の消毒時、
抜糸時
に息子は1度も泣かなかった。
担当の医師「この年齢で泣かないで頑張るお子さんは初めてです」
と言われる程、我慢強い子供だった。
多分、
幼児の頃、
転んだ時には、
「手をつけて、上手に転べたね」と誉めていた。
すると転ぶと泣かずに立ち上がって
「僕、上手に転べた?」
と誇らしげに言う様になった。
勿論
「うん。上手に転べた。偉かったね」
そんなやり取りをしてきたせいか、
自分で転んで怪我をしても泣かない事が多かった。
誰かに押されて、
喧嘩してとかは悔しいのか、
大泣きすることはあった。)
話は戻って、痛みを訴える息子に何もしてあげられ無いまま夜を迎えた。
「お母さん痛いよ。どうにかして」
訴える息子
わかった。
夜間救急を探して行った。
運悪く……?
幼児時代に嘔吐下痢でお世話になっていた小児科医の担当だった。
医師「持病の嘔吐下痢ですね」
私「何時もの症状とは全く違うこと、相当の痛みを伴っているよう」と説明するも……
医師「熱が出てますから、痛いですよ。座薬を出すので辛いようなら挿してあげて下さい」
私「それなら今挿して下さい。自分でまともに歩けない程なんです。」
座薬を挿してもらって帰った。
帰りにゼリー等を購入して、
少しづつ水分を取らせるものの、
吐いてしまう。
痛がる息子を、
とにかく寝かせた。
朝になったら、以前かかった総合病院にいこう。
怪我で脳外科にかかった事があった。
翌土曜日、
朝7時過ぎに電話をして、
症状を告げると、
脳外科の先生が、見てくれるとの返答。
20キロを越えた息子を抱いて病院に入ると、
直ぐに看護師さんが車イスを持ってきて下さいました。
「大変でしょ。救急車呼んでも良かったんですよ」←そんな頭がなかった……
と息子を車イスに乗せるのを手伝ってくれました。
直ぐに、カルテを書き、診察室に案内してくれました。
脳外科の医師は、
「首を前に倒せる?顎を引いてみて」
と息子の頭を下げようとすると、
息子は痛がりました。
「髄膜炎です。
直ぐに処置をするので、入院の手続きを進めましょう。同意書を記入下さい。小児科医も呼びましたから」
と検査=手術になること。
細菌性とウイルス性の違いとリスク
検査結果は5日程かかること。
等を説明してくれました。
直ぐに対応してくださったので、
午前10時には処置が終り、
私が待つ病室に戻った息子の顔を見たときに。
大丈夫だ。
と胸を撫で下ろしました。
看護師さんから
「午後3時迄休んで下さい、
3時以降起きたら食事をお持ちしますね。」
と説明を受け、
3時には美味しそうにうどんを食べていた事を覚えています。
幸い息子はウイルス性の髄膜炎で後遺症も無く数日で退院しました。
息子は子供だったから、
自分が動けなくても、
親が対応出来る。
1人暮らしの方は、
病院の指示で、
家で安静にしているうちに、
自力で動けなくなり
手遅れになることも有る。
髄膜炎の診断
何で見逃されるのだろう……
先日の髄膜炎を併発して新型コロナにかかった青年のニュースは、
この時の事を思い出させた。
医師の誤診が当たり前なら、
自分で知っておいた方が良い。
お辞儀をして、首や背中に普通でない痛みが伴う時は髄膜炎の可能性も有ると言うことを。
病院の回想 続く