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新型コロナ第4波の「地獄」を見た医師、「本当に怖いのは人間」

2021-08-15 12:30:00 | 日記

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 東京での新規感染者の拡大に歯止めがかからず、「このままでは医療崩壊。第4波の大阪の二の舞いになる」という声も聞かれるようになってきた。
 2021年3~5月の「第4波」では、「地獄の大阪」と呼ばれるほどの修羅場を大阪の医療現場は経験していた。このとき現地で実際に何が起こっていたのか。外科医の中山祐次郎氏が、近畿中央呼吸器センターの呼吸器内科医である倉原優氏に、当時の様子を詳しく聞いた。
大阪の週別新規感染者数
大阪府では2020年1月29日~6月13日を「第1波」、6月14日~10月9日を「第2波」、10月10日~2021年2月28日を「第3波」、3月1日~6月20日を「第4波」、6月21日以降を「第5波」として分析している(出典:大阪府感染症情報センター)
静かだった大阪の第1波、第2波
中山祐次郎氏(以下、中山):大阪での2020年の第1波はどんな具合でしたか。
倉原優氏(以下、倉原):ダイヤモンド・プリンセス号が横浜に到着して、感染症専門医の忽那賢志先生などが診療し始めていた頃、関西では、奈良県の観光バスの運転手が新型コロナだったということで、バスが立ち寄った店などを調査していたと思います。
 実際のところ、第1波ではほとんど入院患者はいない状態で、このときは保健所から委託された帰国者・接触者外来の診療が主でした。昨年の1~4月で最も困ったのは、PPE(個人防護具、マスクやフェースシールド、ガウンなど)の不足です。ボランティア団体から、手作りのエプロンやフェースシールドを送ってもらいました。
 4月に複数の病院でコロナ病棟が正式に立ち上げられ、診療が始まりました。第1波のときは、私の病院は軽症中等症病床で、診療するCOVID-19患者さんのほとんどは軽症でした。このときはまだ平和でした。
中山:それから第2波、第3波と続き、少しずつ疾患の実態や予防法、治療法などが明らかになっていったと思いますが、臨床現場はどのようでしたか。
倉原:大阪府では、軽症中等症病床で気管挿管(人工呼吸器を使用する際などに気道を確保するために気管チューブを挿入すること)が必要になった場合、重症病床へ転院になるのですが、そういった症例が出てきたのが第2波以降でした。それでも第2波は、高齢者クラスターなどが多く、そこまで不気味な肺炎という印象は持っていませんでした。治療のエビデンス(科学的証拠)は徐々に増えてきましたが、レムデシビルやデキサメタゾン(いずれも厚生労働省に新型コロナ治療薬として認定された薬)が、ものすごくよく効くかというと、そこまで頼れる「相棒」という感じではなかった。それは今も同じです。
 第3波になってくると、肥満や糖尿病の比較的若い患者さんがどんどん入院してきました。第1波、2波とは別の疾患じゃないかとすら思いました。CT(コンピューター断層撮影)検査では、両方の肺が真っ白のすりガラス陰影が多く、数時間で呼吸不全に陥る例もちらほらありました。
 第3波の時点ではまだ重症病床への転院はできましたが、「挿管しないと引き受けられない」という条件付きのことが多く、たくさん気管挿管を行いました。私の病院は呼吸器内科医が多く、全員がRSI(迅速導入気管挿管。気管挿管のなかでも特殊な技術を要する)をできるわけではなかったため、コロナ病棟を担当する呼吸器内科医が感染リスクを抑えて技術的に容易にできる挿管方法をということで、気管支鏡下挿管をルーティンにしていました。
誇張ではなく「ただただ地獄」
中山:やっと第3波が終息したのもつかの間、すぐに第4波がやってきました。特に大阪では感染者数が爆発的に増え、重症者があふれて大ピンチだったのではないかと思います。その頃の「大阪の地獄」と呼ばれるお話を教えてください。
倉原:決して誇張するわけではなく、ただただ「地獄」でした。当院は55床での運用でしたが、ほぼ満床でフル稼働していました。大阪府の「医療逼迫(ひっぱく)」が始まったのは、2021年4月上旬からです。このころから、重症病床が満床になりました。これは何を意味しているかというと、軽症中等症病床で気管挿管しても、重症病床が引き受けてくれないということです。つまり、療養型病床であろうと集中治療医がいない病院であろうと、自施設で人工呼吸器を装着してCOVID-19患者を診切らなければなりません。
大阪の重症患者数の推移(倉原優氏作成)
 図の黄色の部分が、転院できなかった重症患者さんです。5月4日には、全重症患者数が449人、そのうち転院できないのが94人にまで到達しました。大阪府のICUベッド数が610余りですから、これはもう医療崩壊と言ってもよいでしょう。待機手術(緊急手術ではない、計画的に行う手術)を止めないとICUが回らなくなる水準ですね。私はちょうどゴールデンウイーク中のコロナ当番だったので、4日連続で気管挿管することがあり、アドレナリンがずっと出ている状態で診療していました。
 自宅療養中のCOVID-19患者さんが救急車を要請しても、どこも引き受けられない事案が出始めました。こちらとしても診てあげたいのですが、軽症中等症病床の看護というのはマンパワーが限られています。そのため、人工呼吸管理が必要な患者がズラっと並んでいる状態では、看護師の人手が足りないがゆえに引き受けできなかったのです。
急激に酸素飽和度が低下し、気管挿管に至る
中山:お話を伺って、本当に大変な状況だったのだろうと身震いしました。気管挿管という、医師にとって非常に感染リスクの高い行為を日常的にしなければならなかったと思います。その頃はどんなストレスがありましたか。
倉原:まず、挿管に至る予測が難しかったです。普段私たちが経験するARDS(急性呼吸窮迫症候群)は、細菌感染症などが原因によって呼吸不全が起こるものが多く、そろそろこの人は挿管だなぁという予測が立てられていました。しかし、COVID-19はその常識が通用しません。朝元気だったにもかかわらず、夜に電話がかかってきて緊急で挿管になったこともありました。
 新型コロナ肺炎の怖いところは、両肺すりガラス陰影になっている患者さんでも、当初はSpO2(酸素飽和度。体内の酸素濃度のこと)が比較的保たれているところです。それから恐らく肺胞腔(くう)内に滲出(しんしゅつ)液が出始め、換気できなくなる肺胞が指数関数的に増えることで、急激にSpO2が低下するのだろうと理解しています。
 他院で挿管中に感染した医師をコロナ病棟で診ていたこともあったので、自分も感染したらやばいなと思ったこともありますが、第3波、第4波と経ていくにつれて、(感染対策がしっかりした)コロナ病棟では意外と感染しないことが分かってきました。看護師も挿管の介助に慣れてきていました。ですので、第4波のときよりも、実はコロナ病棟を立ち上げて間もない第2波あたりのほうが怖かった、というのが正直なところです。
中山:「軽症中等症病床で気管挿管しても、重症病床が引き受けてくれない」とのこと。想像しただけで恐ろしいストレスですね。これはつまり、一般病棟で人工呼吸器の管理に慣れていない医師・看護師で管理をしたということでしょうか? 
気管挿管の例(写真はイメージ:123RF)
倉原:そうです。特に看護師の配置が問題になりました。集中治療では「2対1看護(患者2人に対して看護師が1人)」が標準ですが、そんなスタッフ数を想定していません。怖かったのは、「国公立病院の病床数の多さ」です。当時、私立病院もぼちぼちとCOVID-19患者を診てくれるようになっていたのですが、それでも5床とか10床のレベルでした。国公立病院の病床数は、例えば当院は55床、堺市立総合医療センターは60床、十三市民病院は90床と、かなり多いのです(いずれも第4波の時点)。
 第4波では、軽症例はもう入院してきません。新規入院の70%がSpO2 90%を下回っていました。このうち、少なくとも1割、多くて2割が重症化しますので、病床数が多いところほど地獄を見ていたと確信しています。夜勤看護師3人の病院で、人工呼吸器4台を診ていたところもあったと聞いています。
 人工呼吸器装着患者も「1床」のカウントですから、空きがあればどんどん新規入院がやってきます。しかもその7割が呼吸不全です。地獄の悪循環でした。
「患者の選別」に現実味
中山:倉原先生の病院では人工呼吸器を装着するかどうか、患者を選別する必要に迫られたのでしょうか。
倉原:直接的な選別はありませんでしたが、この次もし悪化した場合、この人を挿管するかどうかという議論にはなりました。すでに人工呼吸器が3台稼働していて、1人が悪化しそうだったのですが、ネーザルハイフロー(鼻を経由して酸素を投与する機器。気管挿管は必要ない)で乗り切るべきかどうか議論しました。
中山:まだコロナ禍が明けたわけではありませんが、これまで最も恐ろしいと感じたことは何でしたか。そして、学びになったことは何だったのでしょうか。
倉原:当初は新型コロナのことを私たちは恐怖していましたが、だんだん慣れてくると、自施設でクラスターを出さないように頑張ろうという一体感のほうが強くなってきて、恐怖心は薄れてくるんです。しかし、新型コロナ診療に従事する医療従事者への差別は結構ひどいものがありました。特に、職員の子供が保育園の登園をやんわり敬遠されたり、コロナ病棟に勤務している保護者は名乗り出てほしいという手紙が小学校から来たり。まぁこれは報道にある通りです。
 たぶん、差別している人は悪気があるわけではなく、えたいの知れないものを自分のそばに近寄らせたくないだけなんですよね。だから何が最も恐ろしかったのかといえば、「人間」そのものです。ハンセン病、HIV感染症、ペストなどいろいろな感染症と人類は対峙してきましたが、これは差別の歴史でもあります。この情報化社会になってもなお、感染症で差別が起こるというのは信じ難かったですし、「人間」の怖さを思い知りました。
中山:なるほど、「地獄」といわれた大阪の第4波をくぐった先生がおっしゃると、重みがあります。本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

倉原優(くらはら・ゆう)
国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科医。2006年滋賀医科大学医学部医学科卒業。日本呼吸器学会呼吸器専門医・指導医、日本感染症学会感染症専門医。



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