下記は文春オンラインからの借用(コピー)です
高齢化に伴う介護需要の増加、少子化による労働人口の減少を背景に、介護業界は慢性的な人手不足に悩まされている。
『非正規介護職員ヨボヨボ日記――当年60歳、排泄も入浴もお世話させていただきます』(三五館シンシャ)を執筆した真山剛氏は、そんな業界に56歳にして飛び込み、さまざまな経験を重ねてきたという。ここでは同書の一部を抜粋し、職業訓練校で出会った男性の印象的なエピソードについて紹介する。
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介護ヘルパー養成スクールで出会った70歳の深沢さん
さまざまな職を経験し、たどり着いた仕事、それが介護ヘルパーだった。その資格取得のため、失業保険を受給しながら56歳のとき半年間、介護職員養成(介護職員初任者研修)スクール(*1)に通った。
*1 知識、技能、技術を習得するものであったが、実技にほとんどの時間が割かれた。受講者が負担する費用はテキスト代の5500円だけで研修期間は約半年。先生方も介護施設の現場を経験した人たちで、授業内容も現場の実情を踏まえた実践的なものだった。
スクールは鹿児島市内の駅近くにあり、失業者向けの職業訓練校の一つで、民間が運営している。ここで、訪問介護や施設介護における自立支援に関するサービスについて学ぶのだ。
ハローワークの相談員から、「このご時世、あなたの年齢で勤められるのは介護職くらいでしょうね」ときっぱり言われていた。
資格取得のため、相談員から紹介されたスクールに申し込み、入所が認められ初日スクールに出向くと、指示された教室にかなり高齢の体格の良い男性と50代と20歳くらいの女性が座っていた。
高齢の男性は学校関係者と思ったのだが彼も研修生だった。
私を含めて4名。たったの4名。結局この3人と半年間、机を並べることになる。
もう一人の男性、深沢さんは自己紹介で「現在70歳で、元は清掃員をしていました」と挨拶した。
あとで知ったのだが、彼は国立大学を出て、地元でも有名な企業で働いていた時期もあったらしい。卒業をあと1カ月に控えたころ、就職活動の一環として履歴書を書く授業(*2)があり、そのとき彼の経歴欄を盗み見て初めて知ったことだった。
*2 失業中、書類選考がある企業へ何度か履歴書を送ったが、すべて落とされた。その後スクールの授業を受けてその理由がわかった。私はいちいち手書きするのが面倒で、複写や、パソコンで入力した履歴書を送っていた。講師に打ち明けると「そんなことではごまかしの利かない高齢者の世話なんて到底無理よ」と指摘された。
食事前のお口の体操
深沢さんはとても親切だった。頼みもしないのに毎回、試験問題をみんなの分まで作り、ラミネート加工したものを配ってくれた。以前の仕事の関係でコーティング用の機械と材料が手元にあったのだという。
彼のおかげでとても楽をしたが、なぜか彼はケアレスミスが多く、4人の中でいつもテストの点数が最下位で、どうにも気まずかったことを思い出す。
ただ、彼はまったく気にするそぶりもなく、「次こそ僕が一番になるよ」と前向きだった。
こんな人柄だから、70歳という年齢でも新たなチャレンジをするのだと感心したものだ。
学校のカリキュラムの7割が介助の作業。つまり体の不自由な被介護者の身体を起こし、着替えを手伝い、オムツを替え、食事を与え、トイレ介助する、この一連の動作の訓練(*3)。その繰り返し。
*3 4名しか受講生がいないので、訓練の際、交代でオムツをつけたり、つけられたりした。20代の女性にオムツをつける際はさすがに神経を使った。深沢さんはお構いなしに彼女の足や腰に触れるため、彼女も複雑な表情をしていた。写真はイメージです
「パタカラ」をご存じだろうか。私も研修を受けて初めて知った。
食事の前、口を大きく開き、この言葉を被介護者に繰り返し言わせる。すると唾液が出て誤嚥を防ぎ、食事がとりやすくなるという口腔体操(*4)のようなものである。
*4 現場に入ってわかったが、この体操は入居者には人気がない。それはパタカラに意味や面白味がないからではないか。それならむしろ、「バカヤロー」「真山のハゲ」などと入居者のうっぷんを大声で怒鳴らせたほうがまだ有効のような気がする。
4名が交替で介護される側を演じ介助をするのだが、深沢さんに「パタカラ」を発声させると必ず女性2人は噴き出してしまう。
彼はなぜか「パタカラ」と発音できないのだ。私も笑いをこらえるのに苦労した。
先生方にも驚いた。認知症者介護の研修で、元看護師の60代の女性が演じる認知症の姿はすさまじかった。とても演技と思えない迫真さだ。完全に目がイッているし、体全体がトコロテン並みに弛緩しているのだ。
ほかにもみんなが口を揃えて介護のプロと称賛する、やはり60代後半の女性がいた。華奢な体つきにもかかわらず、私でも手こずる80キロの深沢さんをベッドからひょいと起こし、すばやく移動させ、いとも簡単に横にする。まるで手品でも見ているようだった。彼女曰く「いつも体幹を鍛えているのよ」とのこと。
実際、介護職員が仕事を辞める理由の一つに腰痛(*5)がある。それを防ぐ手段として、全身の筋肉を無理なく効率的に使う方法を長年の経験で体得していたようだ。
*5 ある調査では、腰痛で離職を考えたことがある介護職員が全体の約半分にのぼったという。施設の軒先にあった七夕飾りに「腰痛になりませんように」と書かれた短冊を見た。書いたのは当時68歳の大島施設長だった。
70歳の男性が面接即採用
今でも年に何回か4名で会うと、あのころの話「パタカラ」で盛り上がる。あとで聞いた話だが、深沢さんが最高齢の生徒だと思っていたらスクールの卒業生にはさらに年上がいて驚いた。80代だったという。完全に介護される側にいてもおかしくない年齢。
さてこの深沢さん、じつは最初に応募した施設で採用されたそうだ。信じられない話だが面接即決採用だったという。70歳の男性が即決。信じられない業界である。
深沢さんの施設には彼より年下の利用者も多いらしい。
深沢さんはよく職場の体験や失敗談を話してくれた。「間違って、救急用のセキュリティのボタンを押してしまってね。管理会社のスタッフが駆けつけてくるし、ドアは施錠されて施設内は大混乱よ。重大事故(*6)扱いで、何枚も始末書を書かされたよ」
*6 重大事故1つの重大事故の背後に29の軽微な事故があり、さらにその背後に300のミスがある、これを「ハインリッヒの法則」という。転倒、薬の飲み間違い、異物を食べるなど、職員は入居者ごとに起こりそうな事故の予測をして、予防を心がける。ただ人間に失敗はつきもの。友人の介護職員は、自分の薬を間違って入居者に服用させた。大事には至らず彼は胸をなでおろしたという。
そう言いながら笑っていた。笑い話では済まないと思うが、彼はどこまでも前向きな人物なのだ。
「亡くなる人も多いでしょ?」
深沢さんの勤め先は、利用者80人規模の病院併設の施設だった。「そうだね、病院へ搬送されて戻ってくる人は1割程度かな。そのあとどうなったか、ほとんど知らないよ。スタッフも話題にもしないし。たまたま病院から戻ってきた人を見かけると、心の中で『この人しぶといな』とか、『生還したんだな』と思うけどね」「仕事、楽しいですか?」「楽しいとは言えないね。ミスしてよく叱られるし、でも仕事だからね」
深沢さんは介護福祉士(*7)の資格を目指しているという。さらに勤続10年以上の介護福祉士には、給与を加算するという特定処遇改善などの国の施策も報じられているらしい。
*7 介護職の国家資格。試験を受けるには、3年以上の実務経験者か福祉系高校卒業が必要。ほかに養成施設からの受験ルートもあり。ほぼ正社員として雇用され、現場責任者として指導的な立場になることが多い。
そのとき、彼は80歳超え。前向きにもほどがある、とまたしても感心してしまった。
慢性的な人手不足の業界、やる気さえあれば誰でも就ける職業だと思う。体が丈夫で新たな職を探している方は年齢に関係なくチャレンジしてほしい。
毎日化粧をしてよく食べよく飲む100歳の入所者
児玉松代さんは施設の中でも最年長、御年100。彼女の個室の壁には内閣総理大臣から贈られた額縁入りの100歳祝いの賞状がかかっていた。
賞状が届いた日、彼女の部屋に入ると誇らしげに指さしてそれを見ろと言う。
「総理大臣からもらった賞状ですね。すごい」
私が感嘆の声を上げると、「でもね、年々お祝い金が減っているらしいよ」と大仏様のように指で丸をつくりニッと笑った。
なんといっても日本の100歳以上のお年寄り(*8)は8万人超えである。役所から節目の年にお祝い金が出るそうだが、財政難から金額は年々減少傾向にあるという。
*8 8万人のうち約9割が女性。日本人の平均寿命は女性が87.5歳、男性が81.4歳(2019年現在)。65歳以上の高齢者は人口の約3割で、今後まだまだ上昇するという。2025年には20歳から64歳までの人1.8人で65歳以上の人1人を支え面倒をみる計算になる。お祝い金どころではなくなりそうだ。
耳が遠く、ややピントはずれの部分はあったが、松代さんの頭はまだ十分しっかりしていた。
彼女は朝起きると、必ず化粧をした。
私の差し出す温かいおしぼりで顔を拭いた後、まず櫛で髪の毛を整えてから化粧水を顔につけ、小さな掌でパンパンと頬を叩く。それから白おしろい粉をつけ、最後に薄紅色の口紅をさす(*9)。その様子を見ている私に「毎日、死化粧ね」と冗談まで言う。
*9 100歳になってもきれいに薄化粧する人もいれば、引いてしまうほど厚化粧の人もいる。ある女性は手元がおぼつかず、口紅が唇から大幅にはみ出し、福笑いのようになった。思わず笑ったら、その日一日、彼女から無視された。
小食だったが、おかずは残さず平らげた。肉類、とくに鶏肉が好物で、総入れ歯のわりに、どんなものでもよく噛んで食べていた。そしてとにかくよく水分をとった。
吸いのみに入れた水やお茶を、目を閉じ、「もういいですよ」とこちらが止めるまでひたすら飲み続ける。たくさん水分をとるので、尿の量も小柄な体からは想像できないくらいに大量だった。そして彼女はほとんど便秘をすることがなかった。高齢者としては、とても珍しいケースである。それは十分に水分をとるからだと思われた。
じつは施設の入居者、とくに女性の大半が便秘である。それで就寝前に便秘薬を飲ませることになる。
夜勤明け、日勤の職員が来ると、「〇〇さんと〇〇さんの便出た?」「量は?」「硬さは?」そんな会話が、挨拶代わりに交わされる。高齢者は腹圧が弱く、運動不足のため便秘になりがちなのだ。
それでも長い期間排便がない場合には、肛門に潤滑剤をつけ、指で便をほぐしながら掻き出す作業を行なう。これを「摘便」という。ただし、この作業は医療行為にあたるので現在のところ、介護職の私にはできないことになっている。
いつも私を気遣ってくれた松代さん
松代さんは、小柄な体をベッドに横たえたまま、「あなた、給料ちゃんともらっている?」と尋ねる。「はい、ちゃんともらっていますよ」「5000円くらい?(*10)」「はい、それ以上もらっていますよ。安心してください」と答えると、彼女は目を細めて、「どうにか生きていけそうね」と微笑んだ。どうやら彼女はいつも、ほかの職員から叱られてばかりいる風采の上がらない私を不憫に思っているようだった。
*10 日給か、月給か、はたまた100歳の彼女がいつかの時代の給与と勘違いしていたのか知る由もない。仮に昭和25年とすると、月の平均給与は1万円程度らしい。やはり彼女は私を薄給の可哀想なおじさんと認識していたのかもしれない。写真はイメージです
彼女の部屋の棚には当時、芥川賞をとった若手作家の小説があって、たまに読んでいたようだが遅々として進まない。本の間に挟んだしおりでそれがわかった。すぐに眠たくなるようだ。胸のあたりに本を広げた状態で眠っていることもよくあった。「この小説、面白いですか?」
あるとき、尋ねたことがある。すると彼女は、「全然面白くないね。だからなかなか先に進まないのよ」との感想だった。「だったら、別の本に変えたら(*11)どうですか?」などと1世紀以上生きた人に言ってはならない気がした。そんじょそこらの年寄りとはわけが違う。
*11 高齢者向けの活字の大きい本が出版されていて、試しに施設に持っていったところ、子どもの本のようだと拒否された。
自力では歩行も困難な彼女だったが、逆に私の体を気遣ってくれた。
「たまには栄養のあるものを食べないとダメだよ。ちゃんと食べている?」
やはり私が貧乏人だと彼女は見抜いていたのだ。
生涯2度目の東京オリンピックを楽しみにしていた松代さんはこの翌年、搬送された病院で亡くなった。
真山 剛
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