下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。
胃潰瘍だと思って病院を受診したら
あれは35歳のある日のこと。みぞおちに差し込むような痛みを感じました。でもそのときは「胃潰瘍かな」くらいにしか思っていなくて。市販の薬より効果的な薬をもらいたいと考えて、かかりつけの内科へ行ったんです。
すんなり処方してもらえると思っていたのに、なぜか医師は、診察するなり「ちゃんと調べたほうがいい」と、大学病院への紹介状を書き始めた。咄嗟に「ありがとうございます」と言ったものの、心のなかでは「面倒だな、どうせたいしたことないのに」と思っていました。
ところが大学病院で検査を受けた結果、担当医から「膵臓にウズラの卵くらいの大きさの腫瘍がある」と告げられてしまったのです。「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないのよ」と、行き場のない怒りがこみ上げてきたのを覚えています。
なにしろ当時私は離婚してシングルマザーになっていたので、まだ5歳の息子と二人暮らし。どうしろっていうのよ、と。しかも医学書には、膵臓がんは早期発見が難しいとか、進行が速くて生存率が低いとか書いてあるし……。詳しい検査結果が出るまでの間が、とにかく苦しかった。
幸いにして、腫瘍は良性でした。でも医師から、悪性に変化する可能性が高く、痛みの症状も出ているから手術したほうがいいと勧められて。結局、膵臓の3分の2と脾臓の摘出手術を受けることになりました。
2週間の入院と聞いて気になったのは、仕事のこと。息子は母に預かってもらうとしても、そのころ原稿の締め切りを月に60本ほど抱えていたんです。多くの人に迷惑をかけてしまうこと、仕事を逃してしまうかもしれない不安など、いろいろなことが頭をよぎりましたね。でも命には代えられないと腹を括り、いっそこれまで忙しくてできずにいたことをしようと、心を切り替えたんです。たとえば、いつか読もうと思っていた本を読むとか、DVDを見るとか。
ちなみに、どんよりした気分を一掃しようとネイルサロンへ行ってから入院したんですけど、あれは失敗。主治医から、爪は手術中や術後の健康状態を確認するための重要なバロメーターなのにって叱られてしまいました(笑)。今思えば動揺していたのだと思います。8時間に及ぶ大手術だと聞かされていたから。
手術は成功したものの、腹部を縦に20センチくらい切ったので、麻酔から覚めたあとが痛くて痛くて。それなのに私は、翌日にはカラダを「く」の字に曲げながら点滴台を杖にして廊下を歩いていました。どうしてもタバコが吸いたくて、喫煙所まで行かねばならぬ、と命がけで。
医師からは咎められたけど、「イライラするときに吸わなくて、いつ吸うんですか!」と逆切れ(笑)。でも、無理して歩いたのが術後のリハビリとして効果的だったらしく、予定より早く退院できたんです。
食べても太らないことを指摘されて
膵臓の手術を受ける前、医師からは「術後、確実に糖尿病になります」と宣告されていました。膵臓は、血糖値をコントロールしているインスリンを分泌する臓器。それをほとんど摘出するのだから、と。とはいえ、半年もすると手術の傷跡も目立たなくなってくる。いつのまにか糖尿病のことなどすっかり忘れ、手術前と変わらない日常を過ごしていました。
ところが手術から3年ほど経ったころ、友達に「なんでこんなに大食漢なのに太らないの?」と言われて。確かに、フルコースを平らげて、ハシゴ酒をして、帰りに〆でラーメンを食べる……みたいなことをしても太らない。そればかりか痩せていく一方でした。
そういえばここのところ寝起きに激しい立ちくらみがするな、と思って、糖尿病の知り合いに「どう思う?」と尋ねてみたら、「朝のめまいは糖尿病の特徴的な症状だ」と。そこで慌てて病院へ行き、血糖値の検査を受けたら、やはり発症していました。
最初は薬で様子を見ていましたが、血糖値が十分に下がらず、インスリン注射を自分で打つことに。「そこまでやらなきゃいけないの?」と疑問を抱きましたが、そういう人は私だけじゃないんでしょうね。病院では、まず糖尿病を放っておくとどうなるかの説明を受けるんです。神経障害で足を切断した人とか、網膜症で目が見えなくなった人の症例写真を見て、事の重大さに気づきました。
8年経った今では、すっかり習慣です。毎朝、指先に針を刺して採取した血で血糖値を測り、その数値に合わせた量のインスリンを腹部に注射しています。
血糖値を測るようになってわかったのですが、人間のカラダって精密機械みたいによくできてるんですよ。前日に何を食べたか、お酒をどれくらい飲んだかが面白いくらいはっきりと血糖値に反映される。
空腹時の血糖値の基準値は年齢によって違うけど、40代の女性だと大体100mg/dL。それが前日に炭水化物をしっかり食べると130に、深夜にラーメンを食べた翌朝は160まで数値がはね上がります。
逆に何も食べずに過ごすと、60くらいに下がって低血糖になるんです。目がかすんで、このまま見えなくなってしまうのではないかと不安におののいたこともあって、健康に生きるための要は食生活なのだと思い知りました。
とはいえ、私は乱れた食生活から糖尿病になったわけではないので、高血糖の対策は炭水化物を控えめにすることくらいしか意識していません。低血糖に関してはお腹が張るのがサインだとわかってきたので、気づいたら甘いものを口に入れるようにしています。
人って、禁じられると余計にやりたくなるじゃないですか。そのせいか、やたらと甘いものを欲するようになっちゃって。でも主治医は「上質なものを少量にしておきましょうか」と寄り添ってくれる。
「何を考えているんですか!」などと怒られていたら、私はこの医師とは相性が合わないと感じて、病院ごと変えていたでしょう。それも患者の権利ですから。そういう性格なので、友達などの近しい人から病院や医師を紹介してもらうのはやめたほうがいいと学びました。(笑)
室井さんが持ち歩いている「糖尿病患者用IDカード」。低血糖や交通事故などの緊急時、周囲の人や医療関係者に糖尿病であると知らせることができる
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ちなみに糖尿病患者が恐れるのは、地震や台風などの災害。私自身、避難生活を余儀なくされた場合、インスリンが切れたらどうなるのかと不安でした。でも日本糖尿病協会が発行している「糖尿病患者用IDカード」の存在を知ってから、常に持ち歩くようにしています。表には「わたしは糖尿病です」という文字と、緊急時の対処法が。裏には氏名、家族の連絡先、かかりつけの病院名と主治医の名前が書いてあるので安心です。
いずれにしても糖尿病とは一生向き合っていかなければなりません。これからも体調の変化に気をつけながら、といってもあまり深刻にならず、うまくつきあっていく覚悟です。
「後悔しても知らない」友達の言葉で病院へ
もう病気はたくさんだと思っていたのに、昨年の夏、初期の乳がんと診断されました。さすがに「嘘でしょ!」って叫びましたね。でも、考えてみれば糖尿病はがんのリスクを20パーセント高めるといわれているし、私が膵臓とともに摘出した脾臓はがんの抗体をつくる働きがあるといわれているし。
つまり私はがんを発症しやすい体質になっていたわけで、自分はどれだけ呑気だったのかと反省しきり。ただ私は悪運が強いのか(笑)、不思議な流れで早期発見することができたのです。
2019年6月、ツイッターで5年ぶりに漫画家の友達とつながり、食事をしました。そのとき、彼女のアシスタントの女性が乳がんで亡くなったことを知ってショックを受け、帰宅後も頭から離れなかったんです。とりあえずお風呂に入ろうと浴室へ行くと、操作ミスで浴槽にお湯が溜まっていなくて。
しかし、すでに真っ裸の私。お湯張りが完了するまで手持ち無沙汰になり、ふとおっぱいをモミモミして乳がんのチェックをしてみたんです。すると、あれ? 梅干しの種みたいなしこりがあるけどまさかね、と思いました。
深夜に起きていそうな友人に電話をして事情を説明したら、普段は穏やかな彼女が「絶対に病院へ行って! 後悔することになっても知らないからね」と語気を強めて言うのです。あのとき友人が強固に背中を押してくれなかったら、気のせいだと流していたかもしれません。
翌日の午前中に、糖尿病の治療をしている病院へ行きました。予約なしでは無理だと言われたのに、大雨でキャンセルが出たからと運よく乳がんの名医に診てもらうことができました。細胞検査を受けるよう促され、X線やエコー検査などを受けた結果は「ステージI」の乳がん。幸いリンパ節への転移はなく、ごく初期のものということでした。
手術で腫瘍を取り除いてから放射線治療に移ると説明を受けましたが、先々まで病室に空きが出ないらしい。ところがまたもや奇跡的に、お盆で多くの入院患者が一時帰宅する時期なら、と言われ、8月9日に手術することに。とんとん拍子で治療が進み、自分でもビックリでした。
ただし私の場合、手術前に先生から「なんでこんな余計なことをしたんだ!」と責められたことがあって……。それは若いころにした豊胸手術のこと。乳がん手術をする際、癒着した筋肉をはがして食塩水パックを取り出すのが大変だと聞かされました。パックが潰れる危険性があることからマンモグラフィー検査を受けることができず、発見が遅れてしまうというリスクもあるのだとか。
おっぱいを大きくして男にモテたというなら、「豊胸した価値があった」と開き直ることもできます。でも実際には肩こりが激しくなるばかりで、男運の悪さは変わらず。本当に愚かでした。
手術直後はおっぱいの皮がペローンと垂れてしまいさすがにショックでしたが、3ヵ月ほどで見事元の位置におさまり一安心。お茶碗のように丸かったおっぱいが小皿みたいになっちゃいましたけどね。(笑)
放射線治療も、せっせと病院に通って無事終了。おっぱい全体が赤紫色になったり、肌がざらざらになったり、歯ぐきが下がって差し歯が抜けたり、だるかったりと多少の副作用はありましたが、半年経過した今はすこぶる元気です。セーフだったと喜んでる場合じゃない
膵臓に腫瘍ができたころまで遡って思うのは、ホームドクターの大切さです。風邪でも何でも、まず訪れて気軽に相談できる医師がいなければ、病院へ行くことすら億劫で取り返しのつかないことになっていたかもしれません。
それから、乳がんかもしれないと思ったとき、糖尿病でお世話になっていた病院を選んだ自分は冴えていたなと思います。持病を抱えている場合には、専門医同士で情報を共有してもらうのがベスト。たとえば私は現在乳がんのホルモン治療を続けていますが、ならばインスリンの量を少し増やしましょうと微調整することで、2つの病気の治療におけるゴールデンバランスを保つことができているのです。
私は怖がりなので、少しでも体調が悪いと友達に相談したり、医師に訴えたり。病気に限らず、何かあると大騒ぎしてしまうのは自分の悪い癖だと思っていましたが、今は自分のカラダや体調に関しては心配性なくらいでちょうどいいと考えています。
病気はつらいけど悪いことばかりではありません。息子に「私、乳がんだって」と知らせても心配するそぶりを見せませんでしたが、私の友達の家を一人訪ねて、「あのひと、死ぬの?」と訊いていたそうです。すごく嬉しかったし、「私はまだ死ねない」と心の強さを備えることもできました。
実は乳がんで入院したのを機に、タバコをやめたんです。セーフだったと喜んでる場合じゃないと気づいて。病は人生を好転させるチャンスだったとポジティブに捉えています。
室井佑月
作家・タレント
1970年青森県生まれ。ミス栃木、モデル、女優、レースクイーン、銀座のクラブホステスなどを経て97年に『小説新潮』の「読者による『性の小説』」に入選、文筆活動に入る。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍中。
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