下記はnotオンラインからの借用(コピー)です
泣き叫ぶ娘の声が病院に響く。
息を吸うのも忘れてゼエハア言いながら、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
異変が起きたのは、前日の深夜。
突然の下痢、そして明け方に嘔吐。
つい春先、似たような症状があった。その時はウイルス性胃腸炎と診断された。また何かが当たったのか…?先月末の次女のRSウイルスがうつったか?
不安になりながら「明日は特に打ち合わせとか、どうしてもやらなきゃな仕事はなかったかな…」と頭を巡らす。翌朝、疲れて眠る娘は前回より落ち着いており、熱も上がらなかった。ホッとした。このままゆっくり休めれば大丈夫かな?
「でも、明日は土曜日か…(うーむ)」
「このまま回復しそうだし、コロナ禍で病院入るのも厳しいし、この程度で連れてってもいいものだろうか…」と悩みながら、一応かかりつけ病院を当日予約。ラストの11:30受診に滑り込むことができ、連れてくことにした。
この後、事態は思わぬ方向へ向かっていった。
横になっていれば落ち着いているが、先生がお腹を押すと異常に痛がる。
そして血液検査をしてみると白血球の数値が異常に高い。
「気になるので、十日町病院の緊急外来にこのまま行きましょう」
「ふえっ…!」
そして、緊急外来にてあらよあらよと検査が進むたびに不穏な空気が…
「虫垂炎(盲腸)ですね。これは今日、手術しましょう」
「…!!!」
なんと……
極度に怖がりの娘。何かを察知し
「もう痛いのないよね?痛いのしないよね?」と確認してくる。「うーん、分からん」としか答えれなかった。しかし、状況はそんな娘おかまいなしに進んでいく。
鼻からブスリとやる、新型コロナ検査。(大泣き)
点滴&血液検査→うまく針が刺さらず、2回……。(大大泣き)
そしてあっという間に手術が始まった。
手術から戻ってきた娘は、静かに眠っていた。
これまでたくさん流した涙で、髪が固まり、耳のあたりにべったりくっついていた。看護師さんから「あさちゃん、手術室に行くまでの道、車椅子で一生懸命涙をこらえてたんですよ」と聞いて、私の方が涙が溢れそうになった。
娘のお腹の中では、膿ができ、ただれていて、検査でみるよりひどかったようだった。お腹の中で虫垂が破裂すると命に関わるので、その前に対応できてよかったと聞いた。
気がつくと、もう窓の外は暗くなり始めていた。
思いがけず仕事から引きはがされた。
土曜のあれはキャンセルで、あそこにもメール打っとかなきゃ、あこにも連絡入れなきゃ、これは退院後対応にして……といろんなものが頭をよぎった。
8月の出産までに、色々片付けなきゃいけないことが山ほどあった。毎日ギリギリだった。入院期間は5日か……。
でも。
スマホから顔を上げ、眠る娘の顔をみると、すっかりその気力がなくなってしまっている自分に気づいた。
コロナ禍の病院は厳しく、娘と私は病室に引きこもり、その日から、久しぶりに2人っきりで過ごす、入院生活が始まった。
がんばる娘、痛がる娘、わんわん泣いちゃう娘、がまんする娘、毎日ちょっずつできることが増えてきて静かに喜ぶ娘、明日はもっと頑張ってみようと前向きになろうとする娘との2人っきりの時間で、あっという間に1日が終わった。
ときに辛く、しかし穏やかな時間だった。
穏やか……?
そう、どの瞬間も、かけがえのない瞬間だった。
以前、「弱さの思想」という本を読んだのを思い出した。弱さの思想: たそがれを抱きしめる
その中でこんな話が出ていた。
ー悲しみの果てにギフトがあるー
>重度の病を抱えているこどもを看病している親たち。なぜか彼らが元気で明るそうだった。いつ死ぬか分からない子どもたちが、母親たちに力を与えているのはなぜか。
「ぼくのたてた仮説は、お母さんたちも、佐々木さんも、僕もそうだったんですけど、なにをするかというより、その人のそばにいるだけでいい、っていう気持ちがあるんですね」
「我々がやっていることの大半は、仕事でもなんでも自分でなくてもできること、つまり代替可能なことばかりでしょう?でも、病んだ子どもの世話を親がするっていうのは、代わりようがないこと。言ってみれば神様から指名を受けたようなものなんです。(略)自分しかできないことがあったという気づきが大きいのかもしれない」
その当時は、これを読んであまり理解ができなかった。
そんな自分とこどもの運命を悲しむ方が強いかも……と思った。もしこれが介護なら、と思うとより一層暗い気持ちになった。
ところが今回娘と入院して、私は娘に大きなギフトをもらってしまったように感じだ。
それは「私は今まで、大切な時間を見逃してきたんじゃないかと思うくらい、仕事人間になってしまっていたのかもしれない」という気づきだった。
もっと言えば(引かれるかもですが)仕事と子育てを両立する中で、必死で、毎日疲れて、、、こどもたちに、自分の人生を邪魔されていると時々思ってしまう自分がどこかにいて、そんな自分に母親失格だと自己嫌悪したりして、独身の人たちや、仕事にしっかり打ち込める羨ましい環境の人たち、自分の自由な時間を持っている人たちが圧倒的に成長してく姿に焦りを感じて、負けたくなくて、叶えたい夢も頑張りたくて、でも思うように働けなくて、平日も土日もぐったりで……
あぁ、私、いっぱいいっぱいだったんだ。
焦っていたんだ。
子育てが始まって、圧倒的に時間がなくなった。でもそんなことを理由にしたくない。両立はできるんだ。やるんだ。
でも、想定外が多い子育て中は、毎日綱渡りしているようだった。
***
そんな日々から離れて、長女の顔をじっと見ながら、長女のことだけを観察し、考え、2人だけで過ごす時間がやってきた。
こんな時間、いつぶりだろう。
不思議だ……なんて愛おしい時間なんだろう。
静かな時間が過ぎていった。
長女は、いつの間にか、こんな目をするようになったんだ…
窓からの光が差し込み、ちょっとだけ白くなった長女の肌を眺めた。
頑張れば頑張るほど、また私は誰も幸せにできてなかったんじゃないか?
「おかーさんおかーさん」「見て見てー!」「これやろー!」と袖を引っ張る娘の顔をちゃんと見てきたか?何度も「ごめん、今、仕事だからさ!」と言ってきたじゃない。加工所に失敗してから、今度こそはと思っていたのに。
私は、今までちゃんと、娘の顔を見れていなかった…。
長女も私の顔をまじまじと見てくる。
用もないのに、「おかーさん」と呼ぶ。
そして、口角を少しあげて笑った。
もうすぐ6歳になる、少しずつ大人びてく長女の顔を見て、泣くのを我慢した。
***
病院の夜ごはんが終わると、娘のベッドの隣に支給された簡易ベットを広げた。
術後の夜は「お腹が痛い」と何度も泣き、何度もナースコールを押した。痛み止めを入れてもらいながら、乗り越えた。
体が弱っているせいか、毎晩喘息の発作も出た。
暗い部屋で、ベッドの柵の隙間から小さな手を伸ばす娘。その手を取って、手を繋ぐ。手は柔らかくて、温かかった。
柵の向こう側には、管に繋がれている娘がいる。
少しずつ、胸の喘鳴がおさまってきて、娘が夜に溶けてゆく。
「おかーさん」
「なに」
「……まだわたし、何も食べれないの?」
「そやね」
「いつ食べれるの?」
「うまくいけば明日かな…」
「お腹減った……」語尾が揺れた。
「……退院したら、何食べたい」
「……チョコタワー」
「チョコタワーか」
「うん」
「食べよう、チョコタワー」
「うん」
「いっぱい食べよう」
「うん……」
娘の寝息が、暗闇に馴染んでいった。
生きててありがとう。
今までちゃんと向き合えてなくてごめんなさい。ダメなお母さんでごめんなさい。そんな……こんな私のもとにやってきてくれて、家族になってくれて、ありがとう。
2人で過ごしたこの5日間は、一生の思い出だよ。またたくさんの思い出作ろう。
佐藤 可奈子 /エッセイを描く雪国農家
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