下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です
断ち切らなければならない、母娘の悪しき連鎖
母のようにはなるまいと思っていたのに
「このままだと取り返しのつかないことをしてしまいそうなんです」
開口一番、その母親(30代)は私に訴えた。
自分ではそのつもりがないのに、8歳の娘に体罰を繰り返しているというのである。
娘の引き裂くような泣き声にはっと我に返ると、娘の手が真っ赤に腫れ上がるまで叩いていたり、ときにはこぶができるほど娘の頭をゴツンとゲンコツで叩いてしまうこともあるという。
そんなことが重なって、娘は年中母親の顔色をうかがうような目つきをする子になってしまったと、その母は告白した。
母親自身、目に見えない力が働いてわが子に暴力を振るってしまうことに苦しみ、自責の念を強めていた。
いい母親であろうと思えば思うほど、その見えない力が邪魔をし、気がつけば幼い娘が悲鳴を上げている。
そんな自分が恐ろしくなり、カウンセリングを受けようと思い立ったとのことである。
「そうですか。いろいろと大変でしたね」
私はまず母親の苦労をねぎらい、
「でも、お母さんも小さいときにご苦労なさったのではないですか」
そう母親の娘時代に話を向けると、その母は声を振り絞るようにして自分の子どもの頃の話を始めた。
「私の母は厳しい人でした。
両親とも教員で、とくに母は私のことを教員の娘として恥ずかしくないようにと、しつけや学校の成績に関しては容赦しない人でした。
私が幼稚園に行き始める頃から、体罰もしょっちゅうでした。
お弁当を残すと頭をゴツンとやられましたし、手を洗わないでおやつを食べたというだけで、腕を平手で赤くなるまで叩かれました。
ときどき、私が叩かれているときに、父が『もういいだろう』と言ってくれることもありましたが、そうすると母の怒りの矛先が父に向くんです。
自分に悪役を押しつけて、あなたはいつもいいところ取りをする、と。
そうなると、ねちねちといつまでも言い続けるので、だんだんと父も母と私の間に割って入ることがなくなっていったんです」
叩いたのは、私を愛していたから?
今でも当時の自分の親に対する恨みやわだかまりが消えず、生々しい記憶として残っているようであった。
体罰を与える母親が嫌で嫌でたまらず、そういう親には絶対なるまいと心に誓ったのだという。
「夫は優しい人で、この人となら、穏やかで温かい家庭が築けると思って結婚しました。
結婚して娘が生まれて、私も夫もうれしくて、大事に育てようね、と言い合って……。
ところが、娘が物心がついてやんちゃをし始める年頃になると、すごくイラついた気持ちになりだしたんです。
『どうしてこの子はわがままばかりするんだろう、私の小さい頃は、こんなことをしたら母はただではおかなかった』と思うと、憤りがこみ上げてきて、『叱らなくちゃ。叱らなくちゃいけない』と思わず平手で娘をぶったら、そのときから手を上げる癖がついていって……。
最初は『叱らないとこの子が悪くなる、叱るのはこの子のためだ』と思い詰めていました。
でも、娘を叩いたあとに、ものすごく自分が嫌になるんです。
自分は今、あれほど嫌っていた母と同じことをしていると思うと、自己嫌悪でいたたまれなくなるんです。
でも、その一方で、娘がいい子にしていてくれたら叩かずにすむのに、と娘のせいにしている自分もいて、余計やりきれなくなるんです……」
「最初から問題なく子育てができるお母さんなんて、そういません。
今までよく頑張ってきましたね。お嬢さんがお母さんの気持ちをわかるときもきっとあるんじゃないでしょうか」
そう私が言うと、その母親はあふれ出すように涙を流し、「私は本当に悪い母親で、娘に申し訳ない」と震える声で言った。
「娘を叩いていると、その手が自分のものなのか、私の母の手なのか、もうろうとしてわからなくなってしまうんです。
私の中にはまだ小さかった頃の自分がいて、その自分がまだ母に叩かれているような怖い気分になるというか……。
私の母は、今は娘の祖母ですが、孫娘に『ちゃんと勉強しなくちゃね』と言い聞かせている場面などを見ると、まるで30年前に戻ったみたいに自分と娘が重なって見えるんです。ああ、あのときの母と私だと。
だからそんな母を見ると、私はいつも無性に聞いてみたくなるんです。
『どうして私を叩いたの?私のことを愛しているからだったんでしょ?』と。
でも、どんな言葉が返ってくるか怖くて、質問はできません」
この母は、娘を叩く手が自分なのか自分の母のものなのか、もうろうとしてわからなくなる、と表現した。
母と娘の関係の「連鎖」は、このような混同、混乱の中に生じているものである。
被害者と加害者が一体となり、自分がどちら側にいるのかも判然としなくなる。
子どもの頃から澱のようにため込んできた怒りや不安、不信感がよみがえって、こうした混乱を引き起こすのだ。
この母親にとって、自分と母親の関係や自分が娘に対して行っていることを肯定、正当化するには、自分の娘が「教員の孫娘にふさわしい」いい大学に進んで、自慢できる職業についてくれることが必要である。
そうして立派になった娘が自分に感謝してくれるのなら、自分も癒されるし、母親のことも許せる。そうやってこの母は、親に対する恨みや怒りを自分の娘で解決しようとしていた。
というと、いかにもこの母親が母親失格のように聞こえるが、そんなことはない。
どんな母親にも多かれ少なかれそういう部分はあるのである。
母にこうされたから私はそういう道を選ばない、という母親もまた、母の生き方を自分の人生に反映させているのである。
「私は自分の娘を束縛しない。自由を尊重する」という言い方も、一見話のわかる親のようでいて、その言葉自体が子どもを縛りつけることにつながることもある。
「こうあってほしい」と願う親の気持ちそのものが、否応なく子どもの人生にかかわってくるのである。
そういう話を丁寧にした上で、無理してすぐにいいお母さんになろうとしなくていい、と伝えた。
あなたはお母さんと同じじゃない
どんな母親も、娘にはこうあってほしいと思う理想や期待を抱いている。そうした気持ちは否定しなくていい。
しかし、「自分のしていることが、お嬢さんにとって本当に意味のあることかどうか、ほんの少しだけ考えてみましょう」と私は提案した。
そうすれば今までよりも母と娘の関係を客観的に見ることができて、イラつくことが少なくなるかもしれません、と説明した。
「あなたはあなたの母親と同じではないし、お嬢さんも子ども時代のあなたではありません。
それぞれが違う考え方を持った別の人間であると思えれば、気持ちも落ち着いてくるでしょう」
そう言うと、この母は何度もうなずいて、私にこう告げた。
「娘は娘ですよね。あの頃の私じゃない。
なのに、いつも私は娘に自分を重ねて見ていました。
今先生がおっしゃったように、私の母が少しでも私の気持ちを考えていてくれたら、こんなひどい母親にならなかったかもしれません。
やってみます。あの子が本当に喜ぶかなあと子どもの気持ちを考えてみるなんて、母親なら当たり前ですよね」
この母親はまず、叩かなくなった。
そして、怒鳴らなくなった。
やがて子どもをほめるようになり、ときおり面接でも慈しみの表情を浮かべるようになった。
娘は以前よりは母の前で安心していられるようになり、笑うことも増えたようである。
母と娘の関係はまだ始まったばかりで、これから乗り越えなくてはいけないことがまだまだあるだろうが、とりあえず苦難の序章には終止符を打ったと言えるのではないだろうか。
濃密な母娘関係の中で、ほんのちょっとだけ距離を取る。
それができないために不毛な憎悪の連鎖に呑み込まれてしまっている母娘は多い。それだけ母娘の結びつきは強固だといっていい。
しかし、苦しい中で少し方向転換する勇気があれば、心の重荷は思いのほか軽くなるものである。
絶望と怒りが生み出す悪しき連鎖
母娘の歪んだ関係が生じる原因は、実は母親だけにあるのではない。
娘を苦しめてしまう母親たちもまた、その母からの抑圧的な、あるいは攻撃的なメッセージにさらされてきていた。
カウンセリングの中で、母に苦しめられていると訴える娘が、「そう言えば、私の母も…」と口にするケースは珍しくはなく、母親自らが、「実は…」と自分の母親からかつて受けていた理不尽な仕打ちや、満たされなかった思いを苦しげに吐き出すケースも少なくない。
つまり、母娘の間で展開されていた愛憎劇は、母親の母、あるいはそのもっと前の代から受け継がれてきた苦しみの果ての姿なのである。
その意味では、娘を苦しめる母親たちは、加害者であると同時に被害者でもある。
そして娘たちも、そのままでは被害者から加害者になるおそれを秘めた存在なのである。
母親に自分の人生をつぶされた娘の絶望や怨嗟は深い。娘のその怨嗟は、また自分の子どもへと向けられてしまうことがある。
そうして母から娘へと引き継がれてきた負の連鎖を止めなければ、母と娘の間には果てしない絶望と怒りが続いていってしまいかねない。
しかし、ここで気をつけないといけないのは、連鎖という現象全般を悪いものと思ってしまうことである。
母から娘に受け継がれるものの中には、豊かな愛情の中で育まれたよき連鎖も当然多く見られる。
たとえば、寛容な母性の中で育った思いやる心や人を自然にケアできる心こそ、母娘間で受け継がれる最も大切なものの一つではないか。
わずかでもそれが受け継がれれば、いずれのケースにおいても見られたように、娘はその心を起動させて自分の道を切り開くことが可能となるのだ。母のようにはなりたくないのに、
袰岩秀章
ライフ・社会 あんな母でも、許さなければいけませんか?
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