台所に立つ男・・・・そして喜寿を目指す

主夫の「早い安い美味い」奮戦記

ほかに闘病記録など

思い出すこと・・・そして

2019-12-13 07:09:23 | 日記
ここ数日・・昭和の俳優の死去のニュースでTVもいろんな媒体も
どこ見てもそれだけって感じ。
そして病歴紹介?のとこ読んでて・・・・あれれ・・・同じだなあーと。

わたしも尿管癌から腎臓への転移の恐れ排除のためにも腎臓摘出。
あとで同じ病室の先輩患者様に言われることになるのですが
59歳での手術でした。
朝八時・・・処置室で・・・まずは剃毛・・・それから浣腸されて
「我慢してくださいね・・・ぎりぎりまで我慢ですよ」って連呼されて
ようやくの排便。
癌の手術の最初思い出したらなにより先に浣腸排便を思い出すなぞ^^;

手術室に入り・・・点滴に麻酔いれますよー・・・そこでもうわたしは。
でも・・・・集中治療室に戻ったのがなんと11時間も経過してからのことだったらしい。
原因は・・・腎臓摘出に異常に手間取った。
なぜか?
普通腎臓には太い血管が一本だけ付着してるが
わたしは・・・なんと三本も。
それを慎重にはがすことにすごい時間かかったのである。
手術担当した助教授・・・あ・・・まだ助教授だったのですよ^^
時代がわかるはず。
かみさんに手術後摘出した患部と腎臓・・確認させながら言ったそうです。
「いままで二本の動脈って患者は知ってますが
三本もってのは初めてです」と。
注目されてる俳優さんはその摘出のあとに週に三日の「人工透析」ってありましたが
わたしはおよそ・・一月近い入院のあと・・・・それ以前と変わらぬ生活パターンで
いられました。
そこの違いはそれぞれの事情なんでしょうが・・・・わたしもその後転移があり
膀胱摘出・・・代替膀胱の作成となるのですが。

なにかの違い・・・そう書くと簡単でありますが
そのなにかで
大きな違いになっていく。
これって・・・なにげに放った一言で喧嘩にとか
生きてる今には・・・そのなにかって・・・・実に重いのですが
生きてる最中のおのれののろさで気づかずにいることが多いんでしょうな。

あ・・ニュースから・・・同じ病気で同じような手術だったんだあーーから
とりとめなく書き込んでいました。

みなさん・・・生きてることを一日一回くらい実感なさるべきです。
そうしてたら・・・なにか見えたり聞こえたりして
そばにいる方とも・・・・楽しく・・・・・

年寄りなのであります

2019-12-12 05:00:25 | 日記
ほんと40代の頃なんて睡眠3時間もあればそれでよしみたいなのがあったのに。
今じゃ・・・・夜11時くらいになると眠たくなる。
そんなわたしへのかみさんの言い方だと。
一緒になった頃なんてあなたは宇宙人だと思った。
とにかく眠らなかったわよねえー・・・・でした。
そして早くに寝るとこれまた起きだしが早い。
で・・・・ちまちま・・・ブログなど書き込むのであります。

ところで・・・・八丁味噌の時。
最後に・・・「なた漬」
これが分かる方なら同郷じゃないかと^^
この一言には・・・・こんな写真一枚もないブログにもしや?
だれかが?
なんかコメントくれないかなあーーっていう
年寄りのかすかな願望もあったのです。

ないんですよねえーー今のところ全く^^

令和元年もあとわずか

2019-11-26 14:11:00 | 日記
まもなく霜月も終わりになるころ。
ふと雑多なメールの仲にブログの視聴者詳細なるものが。
たまに・・・それこそ二年もほったらかしてたのにと。
誰かが何気に覗いてくれてる。

というわけで・・・・またもや病気の話になります。
今年一月にひどい便秘になったあーーって
下剤飲んだりしながら様子みてたのですが
ついにはおしっこすら出なくなる状況に。
さすがにこれは間違いなく病気なんだと^^;
で・・・・市内のかかりつけのドクターからの紹介状をもらい
総合病院に。
レントゲン検査・・・CT検査・・・血液検査に大腸内視鏡検査まで。
もうこのころは苦しさに耐えるのが精一杯。
なのに担当ドクターはそれを取り除く処置などなしに
ただただ検査検査で病院内をうろうろ。
そして・・・・「入院してください」
この一言と天敵だけ。
言われた病名は「腸閉塞」
入院して5日目にようやく水便がでて
三日後に退院。
これで済むはずなのですが
かかりつけの胃腸科病院で胃カメラ飲んでたときに・・・
胃に怪しい兆候あるから病理細胞検査をってなってて
その結果がどうやら・・・・胃癌の可能性が高いし更に詳しく検査を受けなさいと。

で前の総合病院の対応には自分で不満大いにありでしたから
また新たに大学病院への紹介状をもらい
内視鏡ではなく胃カメラの検査。
そしてまちがいなく胃癌だと。
このかかりつけのドクターからの話の中に
わたしが仰天する言葉がでたのです。
「どうやらあなたのはステージ4」
いくら素人でもこの意味の凄さには愕然
でも・・・・おいら・・・・癌をもう体験してますからそこはがんばって
平然と^^;
そして後日の大学病院での結果聞かされた時に
恐る恐るドクターに・・・「ステージ4なんですか?」と
そしたらドクターが紹介状の仲にあった資料覗きながら
「あ・・・ステージ4ではなくあなたはステップ4なんだと」
これで勇気勇気百倍
一月の始まりから・・・ここにたどりつくまでが約3ヶ月半
正直前の癌とちがって
ついに消化器のものだから
おいらも食べられなくなってやせ衰えるんだろうかとか
胃の何分の一か切除されるんだろうとか
そこそこナーバスな上体でしたね。
でもやはりドクターからの発言。
内視鏡治療で問題なく消去できると思いますからね
手術といわずに治療??
そして当日・・・ドクターからは二時間ほどの時間かかるでしょうと・
でも麻酔きいて眠ったわたしには経過知らずで
翌日昼過ぎにかみさんがいうには
「九時間ちょっとかかったのよ」でした
あとでドクターに聞いたら「あなたは内臓脂肪がすごくてそれを処理するのに時間がかかったのですよ」と。

長くなったのでここらで一度切りますが
私至って食など細くなっておりません!
さすがに73歳昔のようには大食ないのがしぜんでしょうしね・。。

まずはまた気がむいたらここに書き込みますね。
謝謝。。


71になって思う

2017-08-27 18:38:19 | 日記
以前・・・ブログでは男が「安い・はやい・うまい」を掲げいかに料理をしてるかを
つづっていました。
ちょうど今。TVは24時間のあの有名番組が流れてます。
ずうっとは見てないけれど・・・・何気に時々チャンネルを合わせてます。
癌との闘病の家族のあり方なぞ・・・・・

今更なのですが・・・・わたしが主夫になり台所に立つようになったのは
二度の手術入院のあとなのです。
病名は「左尿管癌」
癌におかされていた尿管と転移の恐れのあった左腎臓の摘出。
11時間近くに及んだ手術とその後40日ほどの入院。
退院前のドクターからは「あなたのは悪性の癌です。再発したら余命生存率3割」と言われ
抗癌治療を勧められましたが
ドクターとの面談で内科的な処置は拒否。
そのかわり定期的な検査。そして異常が見られたらその時は外科的な処方をと決めたのです。一年半後・・・・・膀胱内に転移ありとの検査結果。
約束通り・・・・膀胱の摘出手術と・・・・代替膀胱の製作手術。
「再発したら余命生存率3割」・・・・なんども思い浮かびました。

手術入院後
一番におのれにショックを与えたのが
製作された膀胱。腸を袋状にした膀胱ですからおしっこたまってるよーとは
信号をくれません。
自分が起きているのに突然に訪れる股間の濡れ。
街を歩いていてズボンの中での垂らしてる自分。
その時はもう再発した事実より
そうなってしまってる惨めな自分のほうがはるかにショックでした。
欝になりかけすねてしまう自分。その自分をもてあまし
無頼になるしかないやーーって
半ばやけになり。妻のへそくりまで持ち出し博打をしたりと
今思えば羞恥の極みでもありました。

妻が一人家計のために必死に働きに出てる。
そのことへの感謝はあれども・・・・・なにをどうしていいのか道を見出せず。

そんなある日。ふとスーパーに出かける気になり
それなりに美味しいもの作れる自分。
ああ・・そうか
我が家で自分がやれることがあったのだと・・・・・・
主夫ではあっても
妻の主張で
掃除洗濯はあなたがしたらだめ。
「美味しいものを月の予算内で作ってて」
その役割ができておのれの立つ場所見つけ今日に至っているのです。

長くなりましたので・・・いちどここらで中断。

以後・・・・料理ばかりじゃなく・・・・こういうことも書き込んでまいります。